元々211系の世代では性能向上分をm車削減に振った車両が多かったが、その例からたまたま漏れたのが5000番台。 関西の221系は走行機器こそ211・213系と同一だが、mt比は1:1となっている。このため最高速度も211系より速い。 ‘•j‚µ‚½ŽÔ—¼B, Œä“aêü‚Ì‘”­—p‚É“Š“ü‚³‚ꂽ‚T‚O‚O‚O”Ô‘ä‚Ì”h¶ƒOƒ‹[ƒvB–{—ˆ‚Q‚P‚PŒn‚Ì‘–sƒVƒXƒeƒ€‚Í‚l‚lfƒ†ƒjƒbƒg•ûŽ®‚Å‚ ‚邪A‚U‚O‚O‚O”Ô‘ä‚Í‚Q‚P‚RŒn‚Æ“¯Žd—l‚Ì‚P‚l•ûŽ®‚Æ‚È‚Á‚Ä‚¢‚éBƒNƒ‚ƒn‚Q‚P‚P|‚U‚O‚O‚P`‚Ì‚Ý‘¶Ý‚µA‘Š•û‚̃Nƒn‚Q‚P‚P‚Í‚T‚O‚O‚O”Ô‘ä‚Å‚ ‚éB. 国鉄213系 電車(国鉄213 ... 寺本光照「211系・213系一族のあゆみ 運転編その2 」『鉄道ファン』第573号、交友社、2009年1月、 122 - 127頁。 『jr 普通列車年鑑 2015-2016』、イカロス出版、2015年8月、 isbn 978-4-8022-0030-1。 東海旅客鉄道向け213系直流電車システム 富士時報 第62巻第8号(1989年8 2017年10月からは、岡山 - 琴平間で、「ラ・マルことひら」としても運転を開始した[14]。原則として、土曜日が「ラ・マルせとうち」、日曜日が「ラ・マルしまなみ」、祝日(土曜日も含む)ないし振替休日が「ラ・マルことひら」として、それぞれ運行されている。, 国鉄時代、いわゆる国電の設定がなかった名古屋地区では、近郊輸送は並行する私鉄がシェアの大半を占めていたが、その中でも桑名・四日市方面は近畿日本鉄道(近鉄)の独擅場であった。その後、分割民営化で発足したJR東海は、これらの競合私鉄路線に対抗すべく、ダイヤや車両の改善に着手した。本番台は、関西本線の輸送改善にあたり老朽化・陳腐化した165系を置き換えるため、JR東海が投入した車両である。, 1989年から1991年にかけて2両編成14本(28両)が投入され、関西本線の輸送改善を果たした。2020年4月1日現在、全車が大垣車両区に配置されている[16]。, JR東海の独自設計車両であり、0番台を基本としながらも、同社の211系5000番台に準じた仕様の変更がなされている。また当初から2両編成 (1M1T) でサハ213形は存在せず、同社では3両編成に2M1Tの211系5000番台が投入されている。本番台における0番台との仕様の違いを以下に示す。, 空気圧縮機や冷房装置、添加励磁装置、補機類の電源が直流600Vとなったため、補助電源装置がC-SC27形DC-DCコンバータ(GTOサイリスタおよびダイオード使用、連続定格出力90kW)に変更された。さらに、C-SC27形DC-DCコンバータの直流600Vを電源とし、補機類に直流・交流100Vを供給するためにC-SC31形制御用補助電源装置を搭載する。電源電圧の変更により、添加励磁装置もC-HS65形に変更された。, 空気圧縮機は、短編成化による容量適正化を考慮し、MH3094-C1000MLを搭載する。, 主電動機は、内扇形構造や冷却風通期構造の改良を施したC-MT64A形とした。性能は0番台に搭載されるMT64と同等である。, 台車は、牽引装置をZリンク方式としたC-DT56(動力台車)およびC-TR241(付随台車)とした。ブレーキに応荷重装置が付加された。, JR東海管内の在来線電化区間全線に対応するため、クモハ211形5600番台と同様にパンタグラフは狭小限界トンネル対応のC-PS24A形とされ、取付部が20mm低くされた。, 冷房装置がインバータ制御による集約分散式(C-AU711D-G4形×2台)に変更された。, 静岡地区で使用されている2両編成用のクモハ211形6000番台のシステムは、本番台と共通である。また、211系以降に製造・使用されているJR東海の一般型電車各系列との併結・一括制御が可能である。, 0番台から変更点として、クハ212形のトイレ設備は省略された。乗降口から外側の車端部がロングシートとなり、転換クロスシートは扉間の8列のみとされ、ドア横には1両あたり4箇所8席分の補助席が設けられた。前面列車種別(行先)窓は、211系5000番台と同様の天地寸法が大きいタイプとなった。側面行先表示幕は、211系5000番台2次車と同様の天地寸法の狭いタイプであったが、2次車以降は天地寸法が拡大された。戸閉め車側灯については、211系5000番台と同じく小丸形の物が採用されている。空調関係では、0番台で省略されていたラインデリアが本番台では設置されている。, 5000番台は1989年から大垣電車区(現・大垣車両区)に配置されて関西本線(名古屋駅 - 亀山駅)の普通・快速列車や東海道本線の一部の普通列車(主に日中の大垣駅 - 岡崎駅)に充当されたが、2000年より関西本線で閑散時間帯の普通列車においてワンマン運転が開始されるのに先立ち1999年に神領電車区(現・神領車両区)に転属。前後して後継の313系3000番台が投入されると、日中の大多数の列車が置き換えられた。以後は朝と夕方以降の列車と日中の中央本線の一部の普通・快速列車[注 4]を中心に運用されるようになり、2011年10月1日に関西本線での運用から撤退している[17]。, 関西本線の撤退に前後し、飯田線で運用されていた119系の置き換え用としてトイレの設置や半自動ドアの設置などの改造工事を施した上で大垣車両区へ再転出し、2011年11月27日より飯田線および中央本線の茅野駅 - 辰野駅間での運用を開始している。その後、119系は2012年3月17日のダイヤ改正で定期運用を終了、全車引退した。, 2011年からは飯田線への転用改造のため近畿車輛に甲種輸送され[18]、改造第一陣は2011年4月21日に近畿車輛を出場した[19]。改造内容は次の通り。, 2020年1月22日に新型車両315系の導入が発表され、本形式は211系、311系と共に置き換えられる予定である[20][21]。, 101系 - 103系 - 105系 - 111系 - 113系 - 115系 - 117系 - 119系 - 121系 - 123系 - 201系 - 203系 - 205系 - 207系 - 211系 - 213系 - 301系, 401系 - 403系 - 413系 - 415系 - 417系 - 419系 - 421系 - 423系, 151系 - 153系 - 155系 - 157系 - 159系 - 161系 - 165系 - 167系 - 169系 - 181系 - 183系 - 185系 - 187系(計画のみ) - 189系 - 381系, 451系 - 453系 - 455系 - 457系 - 471系 - 473系 - 475系 - 481系 - 483系 - 485系 - 489系 - 581系 - 583系, 141系 - 143系 - 145系 - 147系 - 191系 - 193系 - 443系 - 495系 - 591系 - 791系, 103系 - 113系 - 115系 - 117系(トレイン117) - 119系 - 123系 - クモハ12形, ワム80000形 - トラ90000形 - チキ5200形 - チキ5500形 - チキ6000形 - ホキ800形 - ヨ8000形 - ケ10形 - ソ80形, 103系 - 105系 - 113系 - 115系 - 117系 - 123系 - 125系 - 201系 - 205系 - 207系 - 213系 - 221系 - 223系 - 225系 - 227系 - 321系 - 323系 - クモハ42形(運用終了), 271系 - 281系 - 283系 - 285系 - 287系 - 289系 - 381系, トラ45000形 - チキ5200形 - チキ5500形 - チキ6000形 - チキ7000形 - ホキ800形, C56形(160号機) - C57形(1号機) - C61形(2号機、展示用) - C62形(2号機、展示用) - D51形(200号機), ワム80000形 - ワキ5000形 - ワキ10000形 - トラ70000形 - チ1000形 - ケ10形 - ソ80形 - ヨ8000形, EF15形 - EF58形 - EF59形 - EF60形 - EF64形 - EF66形, ふれあいSUN-IN* - ふれあいパル*- ほのぼのSUN-IN* - セイシェル*- リゾートサルーン・フェスタ*- ビバ・ウエスト*, 瀬戸内マリンビュー * - みすゞ潮彩 *- 天空の城 竹田城跡号* - うみやまむすび - ベル・モンターニュ・エ・メール(べるもんた) - 花嫁のれん - みまさかノスタルジー - ○○のはなし - あめつち - etSETOra, ゆうゆうサロン岡山* - いきいきサロンきのくに *- 旅路 *- わくわく団らん* - あすか *- いこい* - きのくにシーサイド *- 奥出雲おろち号, 『JR電車編成表』2020夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2020年、p.189。, 『JR電車編成表』2020夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2020年、p.127。, 永尾信幸「JR東海 関西線より213系が撤退」『鉄道ピクトリアル』2011年12月号、電気車研究会、p.79。, 「晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン」にあわせた観光列車の導入について, 観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」の車両デザインおよび春の運転計画などについて, 観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」は10月から「ラ・マル ことひら」としてJR四国琴平へも運行します!, https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000040199.pdf, https://this.kiji.is/584835390193845345?c=39546741839462401, 451系 - 453系 - 455系 - 457系 - 471系 - 473系 - 475系, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=国鉄213系電車&oldid=80127878, クハ212形にバリアフリー対応の大型トイレを設置し、その正面部分に車椅子スペースを増設. 国鉄213系電車(国鉄213けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)、西日本旅客鉄道(JR西日本)、東海旅客鉄道(JR東海)が1987年から1991年まで製造した直流近郊形電車である。, 国鉄として最後の新規系列車両[注 1]であり、国鉄時代に岡山地区向けに製造された0番台と、国鉄民営化後にJR東海が関西本線名古屋地区向けに製造した5000番台が存在する。, 車体は、117系100番台と211系との折衷的な構成となっている[1]。つまり、211系と同様のステンレス製軽量車体ながら、側面は117系100番台と同様の全長 20 m の車体に片側2か所の両開扉と、戸袋部を除いて2枚1組の一段下降式ユニット窓が並ぶ(中間車の場合「21D122221D12」、Dはドア、1は戸袋窓)という窓割り・ドア配置であり、さらに前面は211系に準じたFRP 製のマスクを採用する[1]。ただし国鉄時代に投入された211系と違い、客室からの展望に配慮して、前面窓は助士席側と貫通扉の窓が下方に拡大され[1]、このデザインは民営化後の新型車両(JR東海製造の211系、719系、6000系)にも引き継がれた。列車種別表示器は、415系1500番台と同様の、天地寸法の小さいタイプである。座席は転換クロスシート(先頭車運転台後部戸袋窓部(1・2位)およびクハ212形3位側戸袋窓部は、固定クロスシート)である[1]。, コストダウンのため、その他の機器も211系と極力統一化が図られていることが特徴である。, 本系列の最初の投入先となる宇野線(瀬戸大橋線)では、211系のような長大な基本編成での運行は採用されず、基本編成が3両単位とされたが、運用線区が平坦であること、軽量ステンレス車体の採用により編成重量が小さくなったことから、国鉄新性能電車として一般的なMM'ユニット電動車方式ではなく、1両のみで完結する単独電動車(1M)方式を採用して、1M2T (Mc - T - Tc') が基本組成とされた[1]。この組成であっても、25‰の勾配上で運行可能な性能は確保されており[1]、抑速ブレーキも搭載しているため[1]、山陽本線瀬野八の通過も可能である。, 主制御器は、211系と同様の界磁添加励磁制御を 1M 方式に対応させた電動カム軸方式の CS59 が採用されており、回生ブレーキの使用が可能で、省エネルギーにも配慮されている[1]。本系列での界磁制御を行うため、CS59 主制御器に付随して HS65 励磁装置が搭載されている。この励磁装置は弱め界磁制御と回生ブレーキ使用の際に界磁制御を行うものである。なお、当時の岡山鉄道管理局管内では初の回生ブレーキ搭載車であり、その習熟運転に苦労したという逸話が鉄道趣味雑誌に掲載されていたが[2]、本系列の投入によって岡山運転区所属の運転士は221系などの新系列車両の運転も可能になった。, 主電動機4個で直並列組合せ制御を行い、主電動機は端子電圧750VのMT64形であるが、歯車比は211系と同一の5.19である[1]。, 本系列のシステムは、もともと211系の横須賀・総武快速線投入が計画された際に地下線(東京トンネル)を走行する関係で、編成の電動車比率を上げる(4M7T → 5M6T)ために開発されていたもので[注 2]、ユニット方式の電動車を増結すると性能面で過剰になり、コスト面でメリットがなくなることが背景にある。そのため、本系列は211系と混結(併結)することを前提に開発されている。力行時の速度・引張力特性は極力211系に合わせられている[1]。, 台車には205系で採用された軽量ボルスタレス台車を引き続き採用している[1]。動力台車はDT50B形、付随台車はTR235B形と称する[1]。205系の台車と同様、軸箱支持方式は円錐積層ゴム方式で、台車枠は側梁をストレートタイプ、横梁にはシームレスパイプを採用するなど構造を大幅に簡素化したものとした[1]。また、軸箱方式と合わせて構成部品数を少なくし、保守性の向上を図っており、合わせて軽量化と新製コストの低減を実現している。この結果、従来の台車よりも1台車あたりの重量は約 1.5 t 軽量化されている。基礎ブレーキ装置は動力台車は片押し式踏面ブレーキ、付随台車は片押し踏面併用ディスクブレーキ方式を採用した[1]。, 旅客サービス用補助電源装置には電動発電機 (MG) ではなく静止形変換装置 (SIV) が採用された[1]。これは国鉄時代の製造車では本系列のみである。集電装置は、菱形パンタグラフであるPS24を搭載する。, 冷房装置は集中式ながら、ドア数と乗車定員が少なく、室内の空気の出入りが比較的少ないことから、一般的なAU75形(42,000 kcal/h×1台)ではなく、冷却能力を抑えたAU79A形(33,000 kcal/h×1台)を搭載する[1]。, なお、東日本旅客鉄道(JR東日本)にサロ213・212形という形式が存在するが、これらは211系に属する。, 奇数向きとは、瀬戸大橋線基準で岡山向き、関西本線基準で名古屋向きを示す。偶数向きとは、瀬戸大橋線基準で高松向き、関西本線基準で亀山向きであることを示す。なお、サロ212形とサロ213形は211系の形式である。, 奇数向き制御電動車である。集電装置、主制御器、空気圧縮機 (CP)、補助電源装置を搭載する。, クハ212-1(C1編成・ワンマン対応車)(2006年4月1日 / 赤穂線 長船駅), JR西日本が1988年の瀬戸大橋線開通に合わせて独自に設計した、高松寄りのグリーン制御車であり、後述する5000番台には存在しない。瀬戸大橋走行時の客席からの眺望に配慮した設計となっており、側窓は屋根肩部にかかる大型の固定窓で、前面も流線型に大型の窓を備えた展望式である。車内も床面全体をハイデッキ構造として回転リクライニングシートを装備しており、座席を外側または内側に向けて固定することも可能であった。構造の関係上、車体は普通鋼で製作されており、重量が重いため、台車は強化型のWTR235形を装着する。冷房装置は床置き形のWAU301形 (33,000 kcal/h) ×1台を搭載する。, 6両が製造されたが、5両は213系との連結用の0番台 (1 - 5) で、最高速度は 110 km/h である。1両は0番台の予備車でもあり、211系電動車ユニットと編成を組む「スーパーサルーンゆめじ」用の1000番台 (1001) で、最高速度 120 km/h である。塗装は0番台では白をベースにJR西日本のコーポレートカラーの青と番号順にピンク、黄色、淡緑、オレンジ色、黄緑の各車異なる色の帯を窓下に巻いていた。1000番台は青とピンクだが細帯となっている。, 3, 5の2両は運用末期、岡山県の民話である「桃太郎」にちなんだラッピング車両となっていた(ベースの色は番号順に青緑、ピンク)。, 2003年の「マリンライナー」車両置換えに伴い、0番台5両全車が運用を離脱し、編成から外された。1が試験車「U@Tech」クヤ212-1に改造され、その他は運転台機器が後述の先頭車化改造車クハ212形100番台に転用された。2006年4月以降、2のみが保留車として在籍し京都支社吹田工場(現在の近畿統括本部吹田総合車両所)に留置されていたが、2008年11月17日付で廃車され廃区分番台となった。1000番台は引続き「スーパーサルーンゆめじ」として運用されていたが、2010年3月7日にさよなら運転を行い退役、同年6月30日付で廃車され形式消滅となった[3]。なお、「スーパーサルーンゆめじ」は、需要に応じて編成中間に213系一般車を連結して運行されたことがある。, 1987年から岡山地区で運用を開始し、1988年3月の瀬戸大橋開業以降は快速「マリンライナー」に充当された。2003年10月以降は岡山地区を中心に普通列車での運用に転用された。2020年4月1日現在、3両編成4本と2両編成7本の26両が岡山電車区に配置されている[4]。, 岡山電車区の115系老朽車両取替えのために、国鉄末期の1987年3月に3両編成 (Mc-T-Tc') 8本24両が導入された。製造会社は、近畿車輛・川崎重工業・日本車輌製造・東急車輛製造・日立製作所[1]。帯色は、新規に海をイメージした青(青23号)と水色(青26号)が設定された[1]。これははからずも、直後に発足するJR西日本と四国旅客鉄道(JR四国)のコーポレートカラーとなった(JR西日本は青、JR四国は水色)。, 約1年後に開業が予定されていた本四備讃線(瀬戸大橋線)用車両の先行投入であり、1987年3月22日から宇野線宇高航路連絡快速列車11往復で運用を開始した[5]。翌月1日からは「備讃ライナー」との列車名が付与された[5]。なお、灰皿は使用列車が当初から全て禁煙であったため取付けられていないが、これは当時としては思い切った施策であった。, 営業では3両編成を3本連結した9両での運用を基本とし、通常は9両編成を2本使用、残る3両編成2本は予備車とし、多客期には12両での運用も見られた[5]。, 1988年の瀬戸大橋線開業からは、快速「マリンライナー」に充当。このときからクロ212形が製造・連結されるようになった。それに先だって、クモハ213形2両、クロ212形3両、サハ213形1両と団体用「スーパーサルーンゆめじ」の3両が近畿車輛で製造され、従来編成の一部を含んだ組替えが実施され、Mc-T-Tsc×3、Mc-T-Tc'×6、Mc-Tc'-Tc'×1となった。, 「マリンライナー」は運行開始当初から大半の列車が9両編成で1時間に1本運転されたが、臨時列車が運転されるほど利用者が多かったため、同年内にMc-T-Tsc'×2が近畿車輛で製造されて、1989年3月「マリンライナー」の増発が行われ、大半の列車が6両編成で1時間に2本の運転となった。これにより、211系2両を含む合計で3両編成13本39両の陣容となり、岡山電車区向けの製造は終了した。, 瀬戸大橋線開業以来15年間変わらず同区間を走行していたが、開業ブームが過ぎると年々瀬戸大橋線の利用客が減少傾向となっていたこと、塩害による床下機器の故障が増えていたこと、JR四国がJR西日本に支払う車両使用料が負担になっていたことから、2003年10月1日のダイヤ改正で「マリンライナー」運用は新型車(JR四国5000系/JR西日本223系5000番台)に置き換えられたのに伴い、本系列は同列車の運用から外れた。, 新型車両はグリーン車を除き片側3扉で製造されたが、これは223系が当時のJR西日本で増備途上にあったという以外に、朝夕のラッシュ時を中心に岡山 - 茶屋町間が激しく混雑し、片側2扉の213系では乗降に時間がかかり、同区間は単線区間が多いこともあって列車遅延が慢性化していたということも大きい。, 瀬戸大橋線以外では、1998年10月まで山陽本線快速「サンライナー」の1往復で三原駅まで運用されていた。これは21時台に岡山から三原まで走り、その後折り返し普通福山行きとなって福山駅で滞泊。翌朝「サンライナー」として岡山へ戻った後に「マリンライナー」の運用に入るというもので、クロ212形グリーン車も締切扱いとせず自由席グリーン車として営業運転された。, ゆめじ編成(C13編成)を「マリンライナー」で使用する際は、運行開始当初はクハを2両連結しているC12編成のクモハの前にクモロ211-1+モロ210-1を連結して11両編成というのがあったが、それ以外ではC12編成を分割し、クモロ211-1+モロ210-1+クハ212-8、クモハ213-10+クハ212-7+クロ212-1001の編成で運用していた。特に後者はC07 - C11編成が検査入場中などに多く見られた。いずれにしろ、クハ212-7は営業運転で先頭に立つことはなかった。, 「マリンライナー」運用から外れた後は、クロ212形組み込みの5本からクロ212形が抜き取られ、同時にサハ213形への運転台取付改造が行われ2両編成化された。また全車普通車編成7本のうちの3本からサハ213形が抜き取られ2両編成化された。これにより2両編成化された計8本にワンマン運転対応改造が行われた。改造工事が2003年10月から約1年かけて吹田工場(先頭車化改造+ワンマン改造)と網干総合車両所(ワンマン改造のみ)で順次対象となる編成に実施された。2両編成は全てワンマン対応車となり、戸袋窓上半分が塞がれてワンマン表示機(ワンマン運転時に出入り口を表示)が設置されている。, 改造途中は暫定的に大阪寄りからMc-Mc-T-Tc'の4両編成も2本存在したが、対象車の改造が終了した現在は、3両編成×4本(Mc-T-Tc'×3 (C04 - 06)、Mc-Tc'-Tc'×1 (C12) )、2両編成 (Mc-Tc') ×8本(C01 - 03・07 - 11。ワンマン改造併施)に組替えられ、クロ212形3両(1両は保留)とサハ213形2両が廃車となっている。なお、C12編成は通常クハ212-7を抜いた2両編成で運用され、C04 - C06編成が検査の際にクハ212-7を組み込んで3両編成となる。, 正面と側面の種別・行先表示器の字幕は「マリンライナー」時代も含めて、白地に黒文字であったが、2006年になって全編成がJR西日本標準の黒地に白文字のものに変更された。また、「マリンライナー」では側面の表示に号車番号も併せて表記されていた。, また、ワンマン非対応のクモハ213形とクハ212形については、EB装置・TE装置の整備に伴い、機器箱を設置する必要が生じたため、運転席直後の1列2席分(1A・B席)が車内向き固定となり、乗務員室との仕切扉左にその旨を知らせるステッカーが貼られている。, 快速「マリンライナー」運用から離脱したことによる運用の変更に伴い、以下の改造形式が発生した。, 2003年の「マリンライナー」置換えに伴う編成替えにより、サハ213形から5両が改造された制御車である。当初は4両改造の予定であったが、計画変更で1両追加された。, 車体を端から1,900mm分、台枠のみを残して切断し、普通鋼で新造された運転台が取付けられた[6]。そのため、新造車(クハ212形0番台)と比べて側面の白塗りの部分が長い。運転台形状は新造車に基づくが、後退角のない切妻形が特徴である。また、前照灯・尾灯形状が新造車の「四角枠に丸灯」から「四角枠に四角灯」に、排障器(スカート)は改造時より鉄板が太く厚い強化型を装備する。, 全車がワンマン運転対応であり、同社のキハ47形ワンマン車のように運転台から前部客用扉までの座席が全て撤去されている。トイレは0番台のような車端部ではなく、前部客用扉の直後に車椅子対応の大型のものが設置され、対向側のスペースも車椅子利用者のために座席が撤去されフリースペースとされた。これらのことから着席定員は減少している。, 上記の編成替えで余剰となったクロ212-1およびサハ213-1が技術試験車(愛称「U@tech」)として改造されたものである。車体塗色は青系統のラッピングに変更され、室内は座席が一部撤去された上で各種測定用の機器が設置されている。, 牽引車は、223系クモヤ223-9001が務める。223系の最高速度は 130 km/h であること、新型台車の試験を行うこと、異なる系列との連結を行うことから、機器類は改造や交換がなされた。また、雨天時の走行を再現するための装備として、サヤ213形の室内に水槽と散水装置が搭載された。, 2004年10月22日付で車籍を抹消(機械扱い)されたが、2007年3月31日付で車籍を登録した。その後、吹田総合車両所に配置され、車体端には同車両所の所属であることを示す「近スイ」の文字が表記されている。, 2019年3月31日付で、クヤ212-1とサヤ213-1を含む「U@tech」が廃車となった[7]。, JR西日本が施工する旧形車の延命と接客設備改善のための体質改善工事で、JR西日本に所属する213系全28両についても、2012年にC8編成が吹田総合車両所で体質改善工事を施工したのを皮切りに[8]、2015年までに全編成の工事が終了した。, 岡山近郊の山陽本線和気駅 - 糸崎駅間、伯備線岡山駅 - 新見駅間、赤穂線播州赤穂駅以西、宇野線全線、本四備讃線児島駅以北で普通列車として運用されているが[9]、3両編成は原則として山陽本線・赤穂線のみで運用される[9]。本系列の転用により、岡山電車区電車センターの103系の全編成と105系の一部が置き換えられ、転属や廃車が発生したが、103系は宇野線などの朝のラッシュ対策などで阪和線などから転入した車両によりすぐに運用が復活した。また、2009年3月14日のダイヤ改正では「サンライナー」三原行き (2725M) にも運用されていた。2両編成は、伯備線、赤穂線、宇野線での運用が多い。, 2007年2月8日に早島駅付近で踏切事故の被害を受けた223系5000番台P3編成が網干総合車両所へ緊急入場。偶然にも他の編成も定期検査中で予備車がなくなってしまい、その間の代走として213系が抜擢され4月中旬ごろまで「マリンライナー」77号(下り最終)と2号(上り始発)の限定運用が復活した。なお、代走にはC04編成のみが使用されたが、代走運用から数日後に3両編成から中間車のサハ213-4を抜いた2両編成となり、山陽新聞など地元のメディアにも取り上げられた。, 2009年7月11日、12日に223系5000番台P編成の前面窓ガラスが破損したため、急遽213系C05編成がマリンライナー1号で代走を務めた。両日、所定9両のマリンライナー8号は223系を1編成抜いた6両での運転となった。, 瀬戸大橋開通20周年記念事業の一環として、2008年4月10日に213系での「マリンライナー」が上り1本で復活運転した。列車名は「懐かしの213系マリンライナー」で、当時と同じくグリーン車を含めた6両(全車指定席[注 3])で運転された。なお、この列車を運行するために岡山→高松で回送列車が設定された。, 車内では、記念オレンジカードの販売や記念乗車証の配布が行われた。また駅売店では記念弁当などの販売が行われた。, C04編成3両とC06編成から2両、クロ212-1001を使用した6両編成が使用された。なお、普通車5両の方向幕は当時と異なる黒地幕であった。, クロ212-1とサハ213-1は223系の制御電動車と連結の上で在来線試験車両「U@tech」に改造され、吹田工場(現在の吹田総合車両所)へ転出した。この2両は2004年10月22日付で「車両」籍が抹消され、モーターカーなどと同様に機械扱いされていたため、車両数には計上されていなかったが、2007年3月31日に再登録された。編成は以下のとおり(1編成のみ)。「U@tech」については223系の項目を参照。, JR西日本岡山支社では、2016年春の「晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン」(以下、岡山DC)および「瀬戸内国際芸術祭2016」、岡山市内の「IMAGENEERING ART PROJECT」などに合わせ、213系1編成2両を改造した観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ、フランス語で旅行かばんの意)」を宇野線を中心に新たに導入した[10]。, 種車はC04編成からサハ213-4を抜いたクハ212-4とクモハ213-4の2両で、外装は白を基調として、車内にはサイクリング自転車などを組み立てた状態で搭載することが可能なサイクルスペースが設置され、地域の特産品とコラボしたグッズや飲料などの販売を新たに設置したサービスカウンターで行っている。編成定員は全席グリーン指定席で52名となり[11]、これに伴いクロ212-7004、クモロ213-7004と改番、編成番号もLA1編成となった。なお旧C04編成から抜かれたサハ213-4については、2016年6月現在C01編成の中間に組み込まれて運用されている。, 本列車は普通列車という扱いだが全席グリーン指定席であるため、青春18きっぷや定期券では乗車することはできない。, 2016年4月9日に岡山 - 宇野間で「ラ・マルせとうち」として運転開始[12]。岡山DC終了後の7月1日より毎週金曜日に岡山 - 高松間での運転を開始した。これに伴う乗務員訓練のため6月6日に高松駅へと回送されている。213系が四国へ渡るのは実に約7年ぶりのこととなる。この他、10月1日から岡山 - 尾道間で「ラ・マルしまなみ」としても運転を開始した[13]。