和田一雄・伊藤徹魯 『鰭脚類 : アシカ・アザラシの自然史』東京 : 東京大学出版会 、1999年、284頁。, 和田一雄編著 『海のけもの達の物語 : オットセイ・トド・アザラシ・ラッコ』東京 : 成山堂書店、2004年 172頁。, 斜里町立知床博物館編 『知床のほ乳類』斜里町 : 斜里町教育委員会、 2000年。. 南極に生息する16種のタコは全て、血液の中に特殊な色素を持っている。 ... 氷の下を泳ぐウェッデルアザラシ。地球上の哺乳類の中で最も南で繁殖する。海岸近くに生息し、氷に開いた穴から鼻を突き出し … Ronald M. Nowak " Walker's Mammals of the World (Walker's Mammals of the World)" Baltimore : Johns Hopkins University Press (1999). 南極にもシャチはいて、アザラシを食べることもあるようです。南極のアザラシの数の変化はよくわかっていません。主要な餌であるオキアミの量が減っているため、アザラシの数が減少している可能性も … その日、わたしは椿池という湖を調査していた。 南極大陸に覆い被さる巨大な氷床の末端にある淡水の湖である。スカルブスネス露岩域の最南東の氷河に接し、氷河で削られた細かい粘土質の粒子が大量に流れ込むため、椿池の水はミルキーブルーの色をしている。まるでソーダアイスのような色だ。 チャプ…………。 湖の真ん中辺りにボートを浮かべ、水面から水質計をゆっくりと下ろしていく。 水中に沈み込んでゆく水質計をジッと見つめていると、その輪郭はすぐおぼろげになり、ミルキーブルーの水に吸い込まれるように一瞬で消えてなくなった。そこから下はもう暗闇に包まれた世界だ。南極の湖のほとんどはかなり透明度が高く、いつもなら水質計の姿は湖底に到達するまで水面から見ることができるのだが。これがミルキーブルーの色をしている所以である。 この、水の中へと調査器材が沈んでいく様子がわたしは大好きだ。静かに、静かに、ゆらゆらと。色が変わり、輪郭がおぼろげになり、水に吸い込まれ、同化していく。今自分がいる陸上の世界とはまったく違う世界がすぐ真下に存在していることを実感できて、無性にワクワクするのだ。このまったくと言っていいほどに環境が連続していない境界面に、自分が相対していることが感動的なのかもしれない。だって、ほんの1cm先にはわたしが決して生きることのできない、劇的に異質な環境があるのだから。, 南極のとある湖を調査していたときのこと。気温は0℃、まだ湖面には半分以上もの氷が残っていた。そんななか、水面から湖底に向かって水深1メートルごとに水を採取していった。初めに汲んだ水深1メートルの水は気温や氷の温度と変わらない0℃くらいだった。ところが、水深5メートルになると自分の手に持ったボトル越しに、汲んだ水からなんとなく温もりを感じるということに気づいた。水温を測定すると、水温計にはなんと“15℃”と表示されているではないか。 また、とある別の湖でのこと。その日の気温は5℃以上にもなる真夏の盛りだった。いつものように水質計を水中に下ろし、水面から湖底までをゆっくりと往復させて水質を計測した。湖岸に戻り、水質計のデータを見てみると、そこに表示されていた水面の温度は5℃。が、水深2メートルで15℃。そして水温は湖底の直上で急激に下がり、最深部である水深8メートルの水温はなんと“マイナス12℃”であった。液体の状態のマイナス12℃の水なんて……信じがたい気持ちになったのを今でもよく覚えている。, 椿池の真ん中でボートに乗ってひっそりと調査をしていると、氷河末端側の湖岸から水が流れる音が聞こえてきた。 水上からの調査を終え、水の音がするほうを目指してボートを漕いだ。ちょうどそこの湖岸は平らになっており、ボートを着けやすそうな地形になっている。湖の周囲の様子を歩き回って調べるため、どこかに上陸しようと考えていたわたしはそこへ向かうことにした。, 上陸し、ボートが流されないように陸の上に引き上げ、早速わたしは歩き出した。目の前には急峻な沢があり、水が勢いよく岩壁沿いに落ちてくる。沢の上には真っ白な雪と氷の塊が迫ってきている。 湖の畔を歩いてみても、生き物の気配がまったくない。赤茶けた荒々しい岩肌が湖を取り囲み、岩にピッタリと貼り付いて暮らす地衣類がわずかに見つかるだけだった。, 知らない惑星に迷い込んだような気分だった。岩石砂漠のような世界が続くなか、湖岸の砂地をしばらく歩き回っていると、ふと前方の砂地に見慣れない色を見つけた。, 南極を歩いていると、普段なかなか目にすることのない緑色。鮮やかなその色に嬉しくなり、わぁっと駆け寄った瞬間だった。, そこに横たわっていたのは小さい、体長80〜90センチメートルくらいのアザラシのミイラだった。おそらく、まだ赤ちゃんだろう。その状態から、かなり古いものだと想像できた。すぐ傍らには鮮やかな緑色のコケが眩しく輝いている。, 小さなアザラシが横たわっている背後では、椿池の水面(みなも)が午後の太陽でキラキラと反射していた。椿池の向こうには氷で閉ざされた白い海と、そこに浮かぶいくつもの巨大なテーブル氷山が果てしなく遠くまで続いていた。, 南極から一部持ち帰ったアザラシのミイラを年代測定すると、2千年ほど前のものだという値が出たことを最近聞いたばかりだった。バクテリアも少なく、低温で乾燥しているこの土地では、ものがなかなか腐敗しない。, はるか昔、この幼いアザラシは海から湖に迷い込み、そのまま命を落としてしまったのだろう。それから何百年、いや、何千年もの時間、その体は朽ち果てることなく、静かに、静かに、人知れずこの場所で眠り続けているのだ。 静寂の中、亡骸を取り囲むように、コケや地衣類など、小さな生命が力強く息づいていた。アザラシは栄養となって、いつの日か自分の姿がすっかり消えるまで、この小さな生命を大きく育てあげるのかもしれない。生き物の気配など何もない荒涼とした世界で、まるでそれは、小さなアザラシのために誰かが作ったお墓のようだった。, その、あまりにもわかりやすい生と死の風景に、わたしはしばらくその場で呆然と立ち尽くした。, それから数日経ったある日のことだった。 その日の調査も終わり、夕食の用意のかたわら、わたしはきざはし浜小屋の外へ出ていた。風のない静かな海は鏡のようになり、ちょうどいい光の加減が当たった岩壁“シェッゲ”が海に映し出され、空には紫色の半月が昇っていた。 プシュ────ッ。 急にすぐ近くから聞き慣れない音が聞こえた。とっさに音がする辺りを見ると、そこにはちょうど頭だけを海面から出し、鼻をプクッと広げて呼吸をしている一頭のアザラシの姿があった。目が合った瞬間、アザラシはまた海の中に潜り込んでしまった。 わたしも突然の訪問者に驚き、かがんで水中に目を凝らすと、思ってもみないことに、アザラシはなんとすぐ目の前に顔を出したのである。お互いの顔が、距離にしておよそ30センチメートル。真ん丸の潤んだ大きな黒い目が、なんの警戒心もなく、好奇心旺盛にこちらを真っ直ぐに見つめている。一瞬、時が止まったような気がした。細長いヒゲが前後に小さく動くのさえもはっきりと認識できる。 それにしても、顔つきがなんだか幼い。浮かび上がってきた体を見て、その感覚が間違いでないことがわかった。体長はピンと伸びている状態で1メートルちょっとくらいだろうか。きっと、今年産まれたばかりの、離乳して間もない赤ちゃんだろう。顔だけでなく、体全体もまだ丸みを帯びた可愛らしい形をしている。 水中に潜り、ウロウロと少し泳いでは顔を出し、わたしが話しかけるとまたこちらにス──ッと寄ってくる。こんな行動をしばらく繰り返し、いつの間にかどこかへ行ってしまった。  “何か探しているのかなぁ……” そんなことを思いもしたが、一日の終わりにアザラシの赤ちゃんにあんなにも至近距離で出会えたことに心が弾み、その日はなんとなく幸せな気分で眠りについた。, それから2週間くらい経った頃だった。 夕方になって外に出ていると、不意にどこからか大きな唸り声のような重低音が響き渡ってきた。 「ヴォ──ッヴォ────ッ」 耳を澄まして音のする方向を探すと、小屋のすぐそばにある湖“親子池”から海へ水が流れ出る辺りからだった。小屋の周囲を取り巻く岩壁にその音は反響し、繰り返し、繰り返し聞こえてくる。明らかにただ事ではない声だった。 声のするほうへ走り、少し小高くなっている岩を越えると、海岸の砂地にニョロニョロと動く灰色のものが見えた。近寄るにつれ、正体が分かった。2週間前に現れた、あのアザラシの赤ちゃんだったのだ。 少しパニックになった様子で、ひたすら大きな声で鳴き続け、周囲をバタバタと動き回っている。声も枯れそうだった。鳴き疲れ、動き疲れたのか、アザラシはその場で眠り始めた。 きっと、母親を捜しているのだろう……しばらくのあいだその様子を見つめ、なんとか海に戻ってくれることを祈りながら、わたしは小屋へ戻った。 翌朝、少し心配になって、昨夜アザラシが眠っていた場所まで行ってみたが、そこにはもうアザラシの姿は消えてなくなっていた。 “よかった…………きっと海に帰っていったんだ” 胸を撫で下ろし、いつものように湖の調査に出かけた。 しかし、その10日後、あのアザラシの赤ちゃんはわたしの前に再び姿を現した。 すっかり白夜も終わり、夜になると海岸から見える岩壁“シェッゲ”が、地平線に沈む太陽で真っ赤に染まる時期になっていた。海岸に腰を下ろし、まるでそこだけが燃えているような赤い光景に見とれていた。 ふと、ピタッと張り付いたように静かだった海の、とある一点がほのかにざわめきはじめた。小さな波紋が現れたのだ。ジッと目を凝らすと、黒い何かがわずかに水面から出ている。 “あ!! もしかして————” 近寄ってきて海の中から顔を出したのを見て、確信した。また戻ってきたのだ。 背後には赤く輝くシェッゲ。不気味なほどに静まり返った海はこの世のものとは思えないほど不思議な青緑色に染まり、その中をゆっくりと、流れるように泳ぎ回る幼い小さなアザラシ。時折、アザラシが顔を出すと水面にそっと波紋が生まれる。 言葉にしがたいほどに美しい光景だった。 わたしはなんて素晴らしい世界に生きているのだろう。この世界に生まれてきたこと、これからも生きていくこと、それ自体意味のあることではないのかもしれない。が、わたしは今見ているこの光景だけで、そのことを心から肯定できると思った。それくらい、この光景は強い力を持ってわたしの心の中に入り込んできた。, アザラシはしばらくの間、いつものようにウロウロと泳ぎ回って、いつのまにかどこかに消えていなくなっていた。少し心配だったが、もしかしたらしっかりと独り立ちして、自分の力で餌を採って暮らしているのかもしれない、そう思うと少し落ち着いた。 2日後の夕方のことだった。 その日も大きな唸り声が小屋の外で轟いていた。またあの親子池の流出口のほうからだった。駆けつけると、いつもの幼いアザラシは砂地を這い回って、騒々しく鳴いていた。よく見ると、少し体長が大きく、というよりも長くなってはいるのだが、体は痩せ細って、肋骨が浮かび上がっている。 アザラシは海には向かわずそのまま湖の中に入り込み、泳ぎ出した。途中途中で水面に顔を出しては、何度も何度も叫ぶように鳴き続け、海とはまるで真逆のほうに向かって進んでいく。 「そっちじゃないよ!」 幾度か話しかけてはみるが、どんどん海から離れていく。途中の湖岸に上陸し、パニックを起こしたように鳴きながらさまざまな方向へ進もうとするが、角ばった石でゴロゴロとした陸地を痩せ細った体を引きずっている姿がとても痛々しい。腹部にはいくつもの傷がついている。恐らく、長時間にわたって、そしてこれまで何度も必死に陸の上を動き回っているに違いなかった。 しばらくすると、鳴き疲れ、動き疲れたのか、憔悴し切った様子でその場で目をつぶって力なく横たわった。しかし、少しすると動き出し、また湖のほうへ戻ってしまった。, アザラシの進む方向へ、わたしも湖岸を走りながら追いかけていった。心の中で“海のほうへ戻ってくれ……”と願いながら。 しかし、アザラシはそのまま湖の向こうへ泳いでゆき、海からはすっかり遠く離れてしまった。あそこから戻ってくるのはもはやとても難しいだろう。 アザラシの行方を追うのはもうやめよう……わたしは歩みを止め、遠く離れていくアザラシの姿を目に焼きつけ、小さくなる声が消えるまでただ黙って湖の畔で立ち尽くしていた。 わたしはただ傍観していることしかできない。手出しをすることは決して許されることではない。わたしたちは境界を越えてはならない。それは目に見えない掟のようなものだ。 切ない気持ちでいっぱいだった。, 当たり前の自然がそこにあった。 その時、椿池の畔で見つけた、人知れず横たわる幼いアザラシのミイラと目の前で繰り広げられている光景とがオーバーラップした。 自然はいつも脆く、そして力強い。その脆さに煌めきを感じ、わたしはいつも心を揺さぶられる。それは、日常の暮らしの中で忘れている、生きていることの根源的な悲しさと、いとおしさを問いかけてくるからなのかもしれない。 誰かの生命(いのち)が無くなって、誰かの生命になっていく。 生き物は、生まれたときからすでに悲しみを背負っているのかもしれない。生きるということは悲しいものなのかもしれない。けれど、それが生きることなのだろう。生き物はそうやって長い間、生命を紡いできた。さまざまな生き物が絶え間なく生まれては消え、この星にはこんなにもたくさんの、こんなにもすてきな生態系が出来上がってきた。 この夏、何度も迷い込んできたあの幼いアザラシと、鮮やかな緑のコケに囲まれた幼いアザラシのミイラは、そっと、遥かなる生命の物語を語りかけてきた。, それから2日間、雪が降り続けた。すべてをリセットするかのように、雪は南極の大地を真っ白に覆い尽くしていった。 雪が止んだ朝、劇的に季節がめぐっていた。つい数日前まで見ていた世界はもうどこにもない。空にはどこまでも透明な青が広がっていた。宇宙まで見えてしまいそうな青だった。 この日、ついにこの夏最後の調査に出かけた。 真っ白な、サラサラとした雪の上を長靴でしっかりと踏みしめて歩いてゆく。自分の歩いた後ろに道ができていく。サングラスをはずすと、澄んだ太陽光線の照り返しが眩し過ぎて目を開いていることができない。 親子池の脇を通り、長池の方向へ進んでいくと、いつもの斜面の手前で、わたしが通っていたのとは対岸側へと続く小さな道を見つけた。10センチメートル弱の小さな三つ又の足跡が無数についている。アデリーペンギンの歩いた跡だった。よく見ると、歩くたびに揺れる尻尾がつけたジグザグの線も描かれている。それはきざはし浜とは逆方向にある海岸から一直線につながっていた。早朝から餌採りにやって来ているのだろう、そろそろヒナも換羽を終えて旅立つころだろうか……なんとなく微笑ましくその足跡を辿っていくと、途中でそのペンギン道と交差する不思議な道にぶつかった。太い一本の筋と、その筋の両側に短い斜線が等間隔で描かれていた。 アザラシの通った跡だった。 その形跡を目で追ってみると、クネクネとさまざまな方向へ行ってはまた戻り、いくつもの蛇行した道がその辺一帯に残されていた。わたしはアザラシの道を辿って歩いた。 ずいぶんと海から離れた斜面へと登っていった。そして、小高い丘の中腹あたりでいつしか沢のなかに迷い込み、道はそこで途絶えていた。 丘の上から親子池のほうを見下ろすと、わたしがそれまで見たことのない真っ白なきざはし浜の風景があった。 澄んだ空気から、懐かしい冬の匂いがした。 あと2日。 南極から旅立たなければならない日がすぐ目の前に迫っていた。, http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20111124/291528/.