All Rights Reserved. 女子日本代表:2020年度第1次強化合宿スタート「日本の柱になれるように」渡嘉敷来夢選手 2020.11.05 2020年度 3×3 バスケットボール女子日本代表チーム 3×3 女子日本代表候補選手発表 2023年のワールドカップに向けて富永啓生&河村勇輝も日本バスケットボール協会は今日、5人制と3人制の男女の『2020年度バスケットボール日本代表チーム』の候補選手と、2023年のワールドカップに向けた重点強化選手を発表した。2021年に延期になった東京オリ 女子日本代表:2020年度第1次強化合宿スタート「日本の柱になれるように」渡嘉敷来夢選手, 「2020年度バスケットボール女子日本代表チーム 日本代表候補選手」および「第 1 次強化合宿 参加メンバー」発表, 「BASKETBALL ACTION 2020 SHOWCASE」バスケットボールファミリーが集結し、日本を元気に!, 「BASKETBALL ACTION2020 SHOWCASE」各セッションのチーム分け発表 -5人制男子にベンドラメ礼生選手の参加決定 –, 「BASKETBALL ACTION 2020 SHOWCASE」 イベント参加予定選手変更のお知らせ (トヨタ自動車 アンテロープス所属選手・スタッフ出場辞退のお知らせ), 明日開催!5人制・3×3・車いすバスケが垣根を越えて競演 「BASKETBALL ACTION2020 SHOWCASE」, 「BASKETBALL ACTION2020 SHOWCASE」 イベント参加予定選手発表, 「2020年度バスケットボール日本代表チーム」 5人制男女 / 3人制男女 日本代表候補選手 および 「FIBAワールドカップ2023 重点強化選手」発表, 女子日本代表:オリンピック予選[第3戦]日本 68-70 カナダ ラストシュートが惜しくも外れ2連敗、3位で閉幕. 11月5日から始まった女子日本代表の『2020年度第1次強化合宿』について、こう思いを語ったのは髙田真希(デンソーアイリス)。昨年9月の「fiba 女子アジアカップ 2019」ではキャプテンとして日本を4連覇に導いた頼もしいリーダーだ。 女子日本代表結成のきっかけとなった日米戦 塚本が車いすバスケを始めた当時、日本では代表チームは男子のみで、まだ女子日本代表の存在はなかった。 初めて全国から選抜された女子選手が一つのチームとして結成されたのは、1981年。 Copyright © Japan Basketball Association. 11月10日: 女子日本代表:2020年度第1次強化合宿スタート「日本の柱になれるように」渡嘉敷来夢選手: 11月5日 「2020年度バスケットボール女子日本代表チーム 日本代表候補選手」および「第 1 次強化合宿 参加メンバー」発表: 8月17日 公益財団法人日本バスケットボール協会(jba)の公式サイト。jbaの取り組み、日本代表の活動や、国内外の各種大会情報など、日本におけるバスケットボール競技の統括団体として情報をお伝えします。 【会員限定】AKATSUKI FIVE® バスケットボール日本代表になりきり世界の強豪国からゴールを守り切れ!, 「SoftBank ウインターカップ2020 令和 2 年度 第73回全国高等学校バスケットボール選手権大会」 大会概要発表 および 放送・配信予定決定のお知らせ -大会特別協賛 (冠スポンサー) は 3 年連続で SoftBank に決定-, 「第96 回天皇杯 全日本バスケットボール選手権大会 」2 次ラウンド実施概要およびチケット販売概要発表, AKATSUKI FIVE® バスケットボール日本代表になりきり世界の強豪国からゴールを守り切れ!, 「第96回天皇杯 第87回皇后杯 全日本バスケットボール選手権大会」組み合わせ発表, 3×3女子日本代表:2020年度第1次強化合宿 開催報告「全員に平等なチャンスがある」中田珠未選手, 女子日本代表:2020年度第1次強化合宿スタート「日本の柱になれるように」渡嘉敷来夢選手, 2020年度 3×3 バスケットボール女子日本代表チーム 3×3 女子日本代表候補選手発表, 「2020年度バスケットボール女子日本代表チーム 日本代表候補選手」および「第 1 次強化合宿 参加メンバー」発表. バスケットボール女子日本リーグ、日本の女子トップクラスのチームによって行うリーグ wリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)公式サイト ... 2020年11月6日(金) インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。, Vol.10で登場した平井美喜(九州ドルフィン)が、「尊敬している先輩で、自分にとっては母親のような存在」と語るのが、塚本京子(ELFIN)だ。塚本も「同じ持ち点2点台ということもあって、美喜の成長ぶりをずっと見てきた」と振り返る。パラリンピックには女子日本代表が初めて出場した1984年ニューヨーク/ストークマンデビル大会(当時の大会名は「国際ストークマンデビル大会」)から6度出場し、まさに歴史をつくってきた。現在、JWBF(日本車いすバスケットボール連盟)に登録している選手としては、唯一2つのパラリンピックのメダルを持っているレジェンドにインタビューした。, もともとスポーツが好きだった塚本は、幼少時代にママさんバレーをしていた母親の練習についていったことがきっかけで、小学校に入ると大人にまじって練習に参加。中学校、高校ではバレーボール部に所属した。, 高校卒業後もバレーボールを続けたいという希望が叶い、実業団のクラブを持つ企業に就職することが内定していた。特に強豪というわけではなかったというが、それでも大好きなバレーを続けられることが何より嬉しかったという。, ところが内定が決まった1カ月後、描いていた卒業後の青写真は突然かき消された。交通事故に遭い、脊髄を損傷。内定が取り消されてしまったのだ。, それでも塚本は諦めてはいなかった。「退院をしてケガが治ったら、またバレーボールをする」。そう信じていた。だが、入院はリハビリ期間も含めて1年半に及び、徐々に現実を理解し始めていったという。, 「入院して2カ月後にはリハビリ専門の病院に転院しました。その初日に主治医の先生から『このまま車いす生活になる』ということははっきりと告知されたんです。でも実感がなくて『先生は何を言ってるんだろう?』と。でも、そのうちに徐々に『本当なんだな』と思うようになりました」, その時、塚本にとって何よりの支えとなっていたのが、車いすバスケットボールだった。1年以上のリハビリ期間中、さまざまな車いすスポーツを経験した中で、好きだったバレーボールと唯一同じチームスポーツで球技だった車いすバスケに、自然と魅かれていったのだ。, さらに病院の敷地内にある体育館に練習に来ていた地元のクラブチーム「パラ神奈川」の存在も大きかった。夜、そっと病室を抜け出し、パラ神奈川の練習を見ていたという塚本。選手たちの姿に「車いすでもこんなにかっこよくなれて、何でもできちゃうんだ」と、明るい未来を描けるようになっていった。, そのうちに「一緒にやろう」と声をかけてもらい、練習にも参加するようになると、ますます車いすバスケに夢中になっていった。退院後もパラ神奈川の練習に通い、さらに当時唯一の女子チームだった東京の「GRACE」の練習にも参加。仲間たちと地元の神奈川を拠点とする女子チーム「Wing」を結成したのは、その数年後のことだった。, 「車いすバスケとの出合いがリハビリの一番のモチベーションだった」と塚本は語る[写真]=JWBF / X-1, 塚本が車いすバスケを始めた当時、日本では代表チームは男子のみで、まだ女子日本代表の存在はなかった。, 初めて全国から選抜された女子選手が一つのチームとして結成されたのは、1981年。その年、国連では障がい者の社会的な完全参加と平等を促すことを目的に「国際障害者年」を宣言。それを記念して男女のアメリカ代表チームが来日することになり、急遽全国から女子選手が招集されたのだ。塚本はその一人だった。, 札幌、仙台、東京、横浜、大阪の5カ所で日米戦が行われ、塚本はガードとして全試合に出場した。結果はといえば、前年の1980年アーネム大会では銅メダルを獲得しているアメリカに対し、日本はまだ一度もパラリンピックに出場していないどころか、代表チームもなかった時代。アメリカの圧勝だったのでは……。, そんな予測に対して、塚本は嬉しそうに「それが、意外にも接戦だったんです」と答えた。当時の試合は20分ずつの前後半。世界的に競技レベルは今とは比較にならず、30点台の争いだったと塚本は言うが、それでも日本はアメリカと堂々と競り合った。勝つことはできなかったが、一度はドローに持ち込んだ試合もあったのだ。, その日米戦をきっかけに、日本では正式に女子日本代表として活動がスタートし、男子と同じように強化合宿が行われるようになった。塚本は「日米戦を見て『もしかしたら女子はパラリンピックでメダルが狙えるかもしれない』という期待が寄せられたのかもしれませんね」と想像する。実際、女子日本代表は3年後のパラリンピックで初出場にして銅メダルを獲得してみせた。, 最高のかたちでスタートを切り、パラリンピックの歴史に名を刻んだ女子日本代表。その主軸の一人として活躍した塚本は、2004年アテネ大会まで6度パラリンピックに出場し、00年シドニー大会では若手の活躍もあり、2度目の銅メダルを獲得した。88年ソウル大会以降は決勝トーナメントにも進出できずに苦しい時期が続いていただけに、日本にとってやっとの思いで手にしたメダル。塚本自身「何がなんだかわからないうちに取ってしまった1度目の時とは、意味も重みもまったく違うものだった」と語る。, 04年アテネ大会を最後に第一線から退いた塚本は、現在はクラブチームでプレーを続けながら、学校に講演に行ったり、まだ始めたばかりの子どもたちに基礎を教えたりするなど、普及活動も行っている。, そして、女子日本代表が結成された81年からちょうど40年が経つ今も、塚本たち初代メンバーの交流は続いているという。毎年2月に開催されている「国際親善試合女子車いすバスケットボール大阪大会」には応援するために会場に駆けつけたりもしているのだ。, 「来年の東京パラリンピックには、ぜひみんなでメダルをかけて戦う後輩たちの応援に行きたいですね」と塚本。これからも日本女子の車いすバスケ界を見守り続けていきたいという気持ちは変わらない。, 塚本がキャプテンを務めた00年シドニー大会で2つ目の銅メダル。来年はそれ以来のメダル獲得を目指す代表を全力で応援している[写真]=JWBF / X-1, 女子日本代表初代メンバーの塚本京子は2個のパラリンピック銅メダルを持つ[写真]=JWBF / X-1, 新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。2011年よりパラリンピック競技を中心に、国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドン、16年リオ、18年平昌、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。, 【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.12】 川原凜「不気味さを漂わせるプレーで世界に挑む」, 【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.11】塚本京子「人生の支えとなった車いすバスケで女子日本代表の初代メンバーへ」, 【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.11】緋田高大「試練を乗り越えてつかんだ代表としての自信」, 【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.10】平井美喜「熊本地震で再確認した車いすバスケへの思い」, 【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.10】宮本涼平「目指すは車いすバスケ界のエンターテイナー」, 【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.9】南川佐千子「生活のすべてをバスケに捧げて獲得した銅メダル」, 【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.9】髙柗義伸「“何もできなかった”悔しさから生まれた人生初の本気の目標」, 【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.8】西田比呂華「健常者もハマる車いすバスケの魅力」, 【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.8】鳥海連志「掲げる青写真は“NBAのコービー・ブライアントになる”」, 富山グラウジーズが終始リードを奪い敵地で快勝…川崎ブレイブサンダースと1勝1敗の痛み分け, 大阪エヴェッサが橋本を中心に第2Qに躍動…島根スサノオマジック相手にホームで連勝を飾る, 名古屋ダイヤモンドドルフィンズが第1戦の雪辱を晴らす快勝…試合を通してサンロッカーズ渋谷を抑え込む, レジェンド田臥勇太が370日ぶりにコート復帰。「自分を支えてくださった皆さんに感謝です」, デレック・フィッシャー、古巣レイカーズの優勝について「今年の優勝はこれまでとはまったく異なるもの」, 【ウインターカップ2020】大阪府予選、女子は大阪薫英女学院が優勝。ウインターカップへの残り一枠は22日に決定, 信州ブレイブウォリアーズが敵地で金星!琉球ゴールデンキングス の連勝は「11」でストップ, 富永啓生がネブラスカ大学編入に正式サイン…「来シーズンから一つの夢であったNCAAでプレーします」, NBA復帰を目指すジェレミー・リンがカリーを含むウォリアーズの選手たちとワークアウト.