えちぜん鉄道株式会社(えちぜんてつどう)は、福井県 福井市に本社を置き、福井市から勝山市・坂井市を結ぶ鉄道路線を運営する、福井市・勝山市などが出資する第三セクター方式の鉄道事業者である。 略称・通称はえち鉄。. えちぜん鉄道株式会社(えちぜんてつどう)は、福井県福井市に本社を置き、福井市から勝山市・坂井市を結ぶ鉄道路線を運営する、福井市・勝山市などが出資する第三セクター方式の鉄道事業者である。略称・通称はえち鉄。, かつて、京福電気鉄道が福井県下で運営していた越前本線(現:勝山永平寺線)および三国芦原線を引き継いで運営するために設立された。, 1992年、京福電気鉄道が越前本線の東古市駅(現:永平寺口駅) - 勝山駅間と永平寺線の廃止・バス転換を表明。これに対し1997年、福井県と沿線市町村が越前本線および永平寺線存続のために京福越前線活性化協議会を設立し、行政支援や利用促進策を講じることになった。, そんな中、2000年12月17日に越前本線志比堺駅 - 東古市駅間で、2001年6月24日に越前本線保田駅 - 発坂駅間で、半年間に2度も電車同士の列車衝突事故(「京福電気鉄道越前本線列車衝突事故」を参照)を起こし、全線で列車運行を停止した。そのため収支悪化により福井鉄道部の事業継続が困難になったとして同年10月19日に廃止届を国土交通省に提出した[4]。, 福井県は越前本線・三国芦原線を地域の足として第三セクター方式で存続させることを決め、2002年にえちぜん鉄道[5]を設立し、国土交通大臣より2003年1月17日付けで京福電気鉄道の越前本線・三国芦原線に関する鉄道事業を譲り受ける認可を受け、同年2月1日に開業した[6]。この譲渡を受け、越前本線は勝山永平寺線と改称したものの、永平寺線は収支の好転が見込めないことから同日付で廃止された。, 同年7月19日、事故以来休止していた勝山永平寺線の福井駅 - 永平寺口駅間、三国芦原線の福井口駅 - 西長田駅(現:西長田ゆりの里駅)間で特別列車を運行。翌20日から正式に営業を再開した。同年中に三国芦原線・勝山永平寺線の残る区間も正式に営業を再開した。, 営業再開時には自動券売機が全廃され、駅での切符は購入年齢層を把握するため[7]、すべて窓口の係員または車内のアテンダントから購入するスタイルに改められた。なお、2020年春には福井駅に自動券売機が設置されたが、今後他駅での設置や増設は予定していない[8]。, 2016年3月27日、「フェニックス田原町ライン」として、三国芦原線の鷲塚針原駅(朝のみ福大前西福井駅)から田原町駅経由で福井鉄道福武線越前武生駅との間で相互直通運転を開始した[9]。, 今後の北陸新幹線の開業にともなう福井県並行在来線準備への西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線の経営移管に先立ち、福井県議会では当社と福井県並行在来線準備、そして同じく福井県内の第三セクター鉄道である福井鉄道との経営統合も含め、3社のありかたについて検討している[10][11]。2020年6月には、線路の保守にかかわる資材および工事をえちぜん鉄道と福井鉄道が共同で発注することについて合意が成立していることが報道された[12]。, 京福時代の形式称号は、電動車がモハ、電気機関車がテキと名乗っていた(1975年の形式称号改定以前は、電動車がホデハ、制御車がホクハ、付随車がホサハであった)。えちぜん鉄道移管後は、電動車がMC、電気機関車がMLに変更されている。モーターカーは「MCR」と表記される。車号の書体は阪神電気鉄道で使われているものと同じものが使われている。車両は2両固定編成のMC7000形とすでに廃車になったMC2101形の一部編成をのぞき、すべて両運転台式の単行車両である。, 以下で車号間の +記号は編成やユニットを組む車両、-記号は範囲を表す。例:6101+6102 …6101と6102からなる編成、6103-6112 …6103から6112まで。, 勝山永平寺線・三国芦原線の昼間の列車には2003年の各線の運行再開時より、乗車券の販売・回収や観光・接続案内の車内アナウンス、高齢者などの乗降時のサポートを行う女性客室乗務員(アテンダント)が乗務している。一般的な車掌とは異なり、扉扱いや出発合図などの列車を操作する業務は行わない(えちぜん鉄道ではこれらは運転士が行っている)。ただし昼間でも一部の列車にはアテンダントが乗務しない場合がある。具体的な乗務列車や乗務区間は非公開である。, かつて、MC1101形・2201形・2101形のアテンダント乗務列車には、側面に赤地に白抜きで「アテンダント」と書かれたサボが掲出されていた(上節のMC2101形・MC2201形の写真を参照)。, 2008年1月18日、えちぜん鉄道開業時からアテンダントとして勤務しているチーフの嶋田郁美がその仕事の様子や営業再開までの道のりを綴ったノンフィクション本『ローカル線ガールズ』(メディアファクトリー刊・ISBN 978-4840121255)[26]が全国発売されて以後、朝日新聞の「ひと」欄、関西版夕刊「ぷらっと沿線紀行」、『関西ウォーカー』(角川マーケティング)、テレビでは、『日経スペシャル ガイアの夜明け』(テレビ東京)などで取り上げられた。[要出典], 2018年11月には、えちぜん鉄道のアテンダントを主人公とする映画『えちてつ物語〜わたし、故郷に帰ってきました。』が公開された[27]。, 福井鉄道との乗継運賃割引を、2012年10月1日から実施している。路線により適用条件が異なっている。, 詳細は、公式サイトのお得な企画きっぷ情報を参照。いずれの企画乗車券も三国花火大会が開催される8月11日は利用対象外となる。, 第17期決算公告、2019年(令和元年)6月21日付『官報』(号外第45号)62頁。, 新会社の名称として、沿線を流れる九頭竜川にちなんだ「くずりゅう鉄道」という案もあったが、略称が「, “京福電気鉄道株式会社及びえちぜん鉄道株式会社 申請の鉄道事業の譲渡譲受について”, https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/08/080117_.html, https://web.archive.org/web/20191118053129/https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/611044, https://web.archive.org/web/20130603060421/http://www.asahi.com/travel/rail/news/OSK201301310130.html, https://web.archive.org/web/20151126175046/http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/railway/55978.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=えちぜん鉄道&oldid=80047405, 京福電鉄でモハ2201形以来40年ぶりの新造車として5001と5002の2両が国・県・沿線自治体の補助を受けて1999年に製造された。車体は阪神電鉄武庫川車輌で新造され、台車・冷房装置は福井鉄道の600形と同様、廃車となった, 2201は2001年の正面衝突事故で廃車。えちぜん鉄道には3両が継承されたが、2202+2203は主制御器の老朽化で2006年5月3日運行終了・6月解体。最後まで残った2204はMC7000形への置き換えにより2014年10月26日限りで運行を終了した, えちぜん鉄道には14両が継承されたが、2101・2102は2005年10月30日運行終了・11月解体、2107・2110は2006年1月17日運行終了・3月解体、2105・2106は2005年8月11日運行終了・9月解体。その後は大きな変化はなかったが、2013年にMC7000形の導入に伴い1月に2114・2115、次いで2月に2108・2109が廃車・解体され、阪神譲受車で片運転台の車両が消滅した。その後、2112・2113が廃車・解体され、同年12月26日に最後まで残っていた2111と2116が運行終了, 車両入換用。京福時代の形式はテキ6形。えちぜん鉄道継承後に車籍のない機械扱いとなり、2011年から. 福武線(ふくぶせん)は、福井県越前市の越前武生駅から福井県福井市の田原町駅まで、および福井城址大名町停留場から分岐して福井駅停留場までを結ぶ福井鉄道の鉄道路線である。, 福井・越前両都市間を結ぶ路線で、近距離の都市間輸送・市街地併用軌道・短い駅間距離・通勤時間帯の高頻度運転を特徴としており、いわゆるインターアーバンの性格を持つ。全区間で東側を走る西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線と1.5km以内の間隔で並行している。, 福井市街地においては、赤十字前駅付近にある鉄軌分界点から中心部を南北に縦貫しているフェニックス通り上を通る田原町駅までの2.8kmと、途中の福井城址大名町停留場から東へ分岐して福井駅停留場までの0.7kmが軌道法による軌道で、道路上を走る併用軌道区間となっている。福井城址大名町 - 福井駅間の支線は通称駅前線もしくは本線から髭(ひげ)のように分岐している線形からヒゲ線と呼ばれている。この併用軌道区間内相互間は均一運賃制が採られており、大人片道運賃は2012年10月に180円より160円へ1割超の引き下げを行い、そこから二度目の消費税増税があった2019年10月においても変わっておらず、同月に途中別経路で福井駅と田原町駅を結ぶえちぜん鉄道の運賃値上げがあり、この区間は双方同額となった。, 併用軌道区間にも鉄道線の大型車両がそのまま乗り入れていた光景は、福井市の特徴ともなっていた。軌道区間の停留場は低床ホームであるため、鉄道線車両はドアが開くと共に階段状のステップを下げて乗降を行う。また、雪害対策のため単線区間の分岐の多くにスノーシェルターが設置されている。, 2005年 - 2006年度にかけて、廃止となった名古屋鉄道(名鉄)美濃町線等で使われていた路面電車タイプの低床車両が搬入され、同時に2006年1月から3月にかけて鉄道線全駅でホームを路面電車用にかさ下げした。2006年4月1日からは鉄道線を含む全線で低床車両が走るようになり、既存車両の取り替えが行われたが、いくつかの鉄道線車両はラッシュ対策のために残され、鉄道線車両はすべての駅でステップを下げて乗降するようになった。乗車整理券発行機が低床車両に導入され、花堂駅以南の無人駅に設置されていた乗車駅証明書発行機は徐々に撤去された。地域公共交通活性化法に基づく「鉄道事業再構築実施計画」が認定された2009年以降に開業した新駅は開業時から乗車駅証明書発行機が設置されていない。, 福井城址大名町停留場(旧・市役所前停留場時代)(↑田原町 ↓越前武生 →福井駅方面), 福武電気鉄道が今立郡神明村(現在の鯖江市三六町)にあった旧陸軍歩兵第36連隊の兵員輸送を名目に開業した。戦時下における交通企業統制で1945年に福井鉄道となる。1950年に本町通り停留場 - 田原町駅間が開業。本町通り停留場(2002年に幸橋架け替え工事に伴い廃止)側から福井駅前停留場へ曲がっていた路線は、市役所前停留場(現在の福井城址大名町停留場)で田原町方面から分岐する形に付け替えられた。また国鉄北陸本線の武生駅より連絡線を介して北陸本線と南越線との貨車の受渡しや南越線の甲種輸送が行われていた。1979年に貨物営業廃止するまでは、貨物営業駅を起点に大和紡績福井工場専用線をはじめ複数の専用線が乗り入れていた。, 全列車でワンマン運転が行われているが、鉄道線(越前武生方面)と福井市内の併用軌道区間を乗り入れする列車は赤十字前 - 福井駅・田原町間で係員が乗車し市内の軌道停留場で乗降する乗客への運賃収受や検札を行うことがある。, 日中は、越前武生 - 田原町間で急行毎時2本・普通毎時2本が運転されている。このうち普通列車は、途中の福井城址大名町停留場から福井駅停留場を経由する(急行列車は福井駅停留場を経由しない)。, 並行するJR北陸本線の武生 - 福井間は、日中特急列車が30分間隔で運転されているが、普通乗車券のみで利用できる普通列車は1時間に1本の運転となっており、本数面では優位に立っている。, 1998年11月30日のダイヤ改正で日中の列車がすべて各駅に停車するようになり、急行60分・普通30分間隔から普通20分間隔に改善された。, 2004年10月1日の改正で急行列車が新たに水落駅と準急停車駅の西武生駅(現在の北府駅)・家久駅に停車するようになり、朝に1往復のみ武生新(現在の越前武生) - 田原町間に運転されていた(田原町行きは休日運休)準急列車は急行列車に編入された。, 2006年4月1日の改正で低床電車が導入され、朝7時台の武生新発田原町行き急行の増発と日中の武生新発田原町行きの福井駅前経由への変更が行われて利便性が向上した。同時にそれまで21時台だった終電が22時台に繰り下げられた。, 2007年12月16日の改正で武生新発9時 - 14時20分、福井駅前発10時 - 15時20分の列車は武生新 - 福井駅前間で運転され、市役所前停留場(現在の福井城址大名町停留場)においてこの改正で新設された800形電車により20・40分交互間隔で運転される福井駅前 - 田原町間のシャトル便と接続するようになった(シャトル便区間では1時間に3本→2本に削減)。, 2010年3月25日の改正で、急行がベル前駅にも停車、シャトル便を廃止して越前武生(この日に武生新から改称) - 田原町間の列車が福井駅前停留場に立ち寄る運行形態に戻された。また、平日に限り福井駅前23時発となる田原町発越前武生行きの終電が増発された。, 2011年3月20日の改正で、越前武生駅の始発が繰り上がり、福井駅前停留場に6時台に到着するようになった。4月1日から平日に限り22時台に越前武生発田原町行きが増発された。, 2016年3月27日の改正で、えちぜん鉄道三国芦原線との相互直通運転を越前武生 - 三国芦原線鷲塚針原間で開始、福井駅前停留場が福井駅西口広場に移転し福井駅停留場に改称、公園口停留場が足羽山公園口停留場に、木田四ツ辻停留場が商工会議所前停留場に改称された。日中時間帯の運行本数が普通毎時3本から、三国芦原線直通の急行毎時1本、福武線完結の急行毎時1本(土曜・休日と12月29日 - 1月3日は運休)・普通毎時2本に変更され、急行が足羽山公園口停留場、商工会議所前停留場にも停車(これにより併用軌道区間は各停留場に停車)、福井駅 - 神明間のみ急行運転する区間急行が新設された。また神明行きの列車が廃止となった。, 2018年3月24日の改正で、市役所前停留場が福井城址大名町停留場へ改称。昼間の急行のうち福武線内完結の5往復が削減された。, 2019年10月1日の改正で、区間急行が廃止となったほか、一部列車が廃止・運行区間短縮となった。, 2020年3月21日の改正で、福井駅始発の急行が区間急行に変更されたほか、神明発田原町行きと福井駅 - 田原町間(軌道線内完結)の普通(休日と12月29日 - 1月3日は運休)が新設された。, 福武線は、えちぜん鉄道三国芦原線との相互乗り入れが両社や福井市によって計画され、2013年度より工事が開始された。乗り入れの目的は福井市を核とし鯖江市・越前市・坂井市・あわら市の交通のネットワークの形成であり、利便性を高めるためである。, 相互乗り入れ開始までは、田原町駅はえちぜん鉄道三国芦原線と福武線の共用駅となっているが、線路がつながっていなかったため、直通運転は不可能だった。, なおえちぜん鉄道との相互乗り入れ計画開始当初は、直通区間を福井市内で完結する形態となる、福武線の浅水駅 - 鷲塚針原駅間で福井鉄道車両のみの片乗り入れとする計画であったが、福井鉄道側の施設面やダイヤ面および旅客の利便性を向上させる目的から、当初計画を変更し、起点の越前武生駅からの直通およびえちぜん鉄道側も車両を用意しての相互直通運転とした。一方で、えちぜん鉄道側は、相互直通列車の折返し駅は当初の計画通り鷲塚針原駅のまま(ただし厳密には一度西長田駅〈現在の西長田ゆりの里駅〉までの直通に計画変更をしたものの、再度の計画変更で当初計画に戻った)としたため、えちぜん鉄道直通列車はあわら湯のまち・三国港方面には設定されていない[18]。, 2016年3月27日から、えちぜん鉄道三国芦原線との相互乗り入れが開始、同年2月26日にそのダイヤが発表された[12]。福井鉄道からはF1000形『フクラム』がえちぜん鉄道に乗り入れる。, 駅前線の延長によって所要時間が延びることから、その対策として、福井城址大名町停留場を2回も通ることなく駅前線に乗り入れできるよう、大名町交差点の分岐部分から幸橋方面に短絡線を新設する、いわゆるデルタ線化も検討されている[19]。, 従来は輸送量の減少が継続し、低床電車の導入やホームの嵩下げ等の施策によっても減少は続いたが、最近は鉄道事業再構築実施計画の着手・新駅開業等の施策により輸送量は増加に転じている。, 福武線の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。, 福武線の営業成績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。, https://www.fukuibank.co.jp/press/2019/juraca_iccard.pdf, https://www.toshiba.co.jp/infrastructure/news/20191105.htm, “東芝がICカードとクラウドを連携させた新改札システム…福井県のICカードで実証実験 11月8-20日”, https://response.jp/article/2019/11/06/328422.html, 杉山淳一の「週刊鉄道経済」:廃線危機から再生、「フェニックス田原町ライン」はなぜ成功したか, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=福井鉄道福武線&oldid=80318566, 1 - 3月:低床車両導入に伴う各駅(福井市内電停除く)のホーム切り下げ工事実施。および、田原町駅に変電所増設。, 以降、軌道区間の停留場のリニューアル工事が進み、2015年には公園口(現・足羽山公園口)停留場、2016年には木田四ツ辻(現・商工会議所前)停留場、2017年には市役所前(現・福井城址大名町)停留場のリニューアル工事が完成、これにより軌道区間の停留場は幅が広がり、屋根もついて、バリアフリー対応にもなった。, 越前武生→田原町の列車(下り):越前武生方面→福井城址大名町(スイッチバック)→福井駅→福井城址大名町→田原町, 田原町→越前武生の列車(上り):田原町→福井城址大名町→福井駅→福井城址大名町(スイッチバック)→越前武生方面, 旧名鉄岐阜市内線の変電所の発生資材を用いて、各変電所の機器更新工事が実施されている。, 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越』新潮社、2008年、p.25 - 主に駅の改廃.