| https://yphotos.hatenablog.com/, ◆Instagramもやってます。 希望さえ手に掴んでいれば、 不可能なことなどない。 ... 名言は、人類の歴史の中で活躍した偉人たちの考えを今に伝えてくれます。時を超えて、成功者たちの思想を学ぶことができるのです。そんな古今東西の名言に遠越段さん... 2016/12/01. ブッダ アニメ 漫画 のネタバレ解説まとめ 5 21 Renote リノート. 日本の歴史に残る漫画家であり. ブッダは仏教の開祖お釈迦様のことですね。紀元前5世紀前ころのインドの人です。 僕は仏教を本格的に学んだことはありませんが、手塚治虫氏のマンガ「ブッダ」を読破しました。 ブッダは誕生した時に 『ブッダ』(buddha)は、手塚治虫による日本の漫画作品。潮出版社の少年漫画 雑誌『希望の友』(後に『少年ワールド』→『コミックトム』と改題)にて、1972年から1983年まで連載された。. https://www.instagram.com/yoshisense, ysenseさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog ブッダ 手塚治虫 の名言 その1 欲しい言葉がきっと見つかる. そんなあなたを応援するために立ち上げました。 life . 言わずと知れた手塚治虫が描いた仏教の開祖「ブッダ」(釈迦、釈尊、ゴータマシッダルタ)の生涯。, この作品の中でブッダの教えを学ぼうとするには物足りないと思います。手塚治虫自身もおっしゃっていますが、仏教の教えよりもブッダという人間そのものを描いた作品だからと思います。, ただ、ブッダの生い立ちや、どのように生きたか、どのような時代だったのかを捉えるにはとても面白くて誰にでも読みやすい本だと思います。, この手塚治虫のブッダ、自僕が初めて読んだのは20年以上前のこと。その時も面白く読んだ記憶はあるのですが、改めて読んでみましたが残念ながらほとんど覚えていませんでした・・・(汗), ブッダが産まれる以前のインドの社会背景からブッダ誕生、出家、修行、悟り、説法(説教)、涅槃とブッダの生涯が書かれていますが、手塚治虫はその時代を理解するために多くの架空の人物を登場させてダイナミックに脚色されています(笑)。そのオリジナリティーがこの作品の良さでもあります。, ブッダの修行のことですが、出家して修行を始めたころ、あるいはそれ以前から師のいない状態で修行をしている姿を見て、師のいない状態で修行をするということは何が正しくて間違っているのか判断ができないので、それは大変難しいことだと思わされました。だから皆師を求めるということ。, ブッダは悟った後も人との関わり合いで悩み、争いが無くならない事に嘆き、人の病気が治せなかったりと、悟った後も苦悩が絶えません。しかし、ブラフマンの言う「人に教えを説いていくこと」それこそがブッダにおいて悟後の修行だったと思います。あくまでも「神ブッダ」ではなく「人間ブッダ」が描かれています。, この時代では身分階級があり、差別は当たり前です。それに比べれば今の日本や先進国では自由で民主主義が当たり前です。しかし、どんな状況にが変わっても人の悩みや欲望は変わりません。悟りへの道へいくにはどちらの環境が良いのかそれはわかりません。本にもかかれていますが、一人ひとりがしっかりと自立していきて行くしかない。その為の方法やヒントは多くのブッダの弟子が記録している書物(他の仏教書など)で学ぶのが良いでしょう。, このブッダの連載が始まったのが1972年。もう48年も前のことですが、未だにこの作品を超えるブッダの漫画は無いのではないでしょうか。(あったらごめんなさい)ブッダ漫画の金字塔ですね。, 今回はほどよい大きさの新書サイズの「新装版ブッダ」で読みました。最後の巻の終わりに手塚治虫のあとがきもちゃんと掲載されていました。これ重要!, ◆他に【写真・カメラのブログ】も運営しています。 ブッダ 26. 漫画名言bot Manngameigenn Twitter. 世界中でたくさんの信者がいる「仏教」。一説には4億人を超えるともいわれています。その仏教の開祖、いわゆる創始者がブッダです。日本ではお釈迦様というほうがなじみ深いでしょう。本名はガウタマ=シッダールタといい、インドにある小さな国の王子として生まれたところから彼の物語は始まります。, 彼が生まれたときに、父である王様は占い師にブッダの将来を鑑定させました。するとその結果は「世界最高の王になるか、出家して世界最高の悟りを開く人になる」というものでした。それを聞いた王様は「出家をして跡を継ぐ王子がいなくなると困る」と思い、ブッダに何不自由ない暮らしをさせました。, ところがこの生活がブッダに出家を決意させる原因となります。小さなころから恵まれた環境で育ったブッダが遠出をしたとき、老人や病人や死人を初めて目にしたブッダは大きな衝撃を受けました。, 「老いや病気や死はだれにでも平等に訪れる」ということを知ったブッダは、思い悩んだ末に未来の国王の座や妻子を捨て、29歳の時に出家をして修行の道に進みます。, そこから厳しい修行を経て36歳で「悟り」を開いたブッダは、彼に教えを求める人々に自分が悟りによって手に入れた教えを広く伝えました。彼の元にはその教えを身に着けたいと弟子たちや人々が集まり、さまざまな悩みを相談しました。その教えはブッダの死後も弟子たちを通じて多くの人々へと伝えられました。, ブッダの教えは現在の仏教と知られるものとは厳密には異なります。現在の仏教は彼の死後に各地に伝わるなかで大きく2つにわかれました。, ひとつは「上座部仏教」、かつては「小乗仏教」と呼ばれたもので、ブッダが弟子に伝えた内容を残しており、古い時代に作られた経典(教えを記したもの)を守っているのが特徴。タイやミャンマーなどで信仰されています。, もうひとつは、「大乗仏教」と呼ばれるもので、中国や日本に伝わったものを指します。こちらはブッダの教えを元にして数々のアレンジがされたもので、多くの宗派があり、それぞれで教えも異なることがあります。, しかし、現代の仏教が最初のブッダの教えと異なる部分があるとはいえ、元となるブッダの教えは同じ。そのことばや考え方は脈々と受け継がれています。多くの人に伝わる中でアレンジされていったのは、それぞれの場面・時代で分かりやすく・実践しやすくするように伝えた結果であり、決して間違えているわけではありません。, たとえば、いかにも仏教的なことばである「煩悩を捨てる」というのは、ブッダが伝えた「現在の自分との差を求めるのは苦しみのもと」ということばを起源とするもの。ブッダは悟ったことで他との比較をやめ「自然体でいること」を手に入れました。後世の人は悟りを開くことが難しく、それで「できることをやりましょう」というアレンジが加えられた結果なのです。, ブッダが悟りを開いたすごい人物であることはよく知られていますが、そこに至るまでに彼も大変な苦労をしました。その方法は苦行と呼ばれる肉体的・精神的に厳しい修行でした。当時、「真理」に近づくための方法として多くの修行者が行っていた方法でしたが、ブッダは「肉体的・精神的な苦しみでは悟りへ至れない」と知り、自分の内面を見つめる“瞑想”によって「真理=悟り」へと到達したのです。, 偉大な聖人とされているブッダですが、それでもわたしたちと変わらない一人の人間でした。人としてブッダが到達した「すべての苦しみから解放された精神」への道すじは、彼が残したことばに散りばめられています。そのことばを知り、その考えに近づくようにすることは、現代のわれわれにとっても無理なことではありません。, ブッダが残した「ことば」。それは2500年前も現代も変わらない、私たちが日々感じる苦しみから解放される方法が記されたものです。この先に紹介していく「ブッダのことば」に耳を傾けることで、知らず知らずに抱え込んでしまっている苦しみの原因からきっと解放されることでしょう。, hasunohaでお坊さんの回答にあるブッダの教えやことば、仏教のおすすめ本、お釈迦様の名言や逸話を紹介します。, A:お釈迦様は、王家の跡取りを生むという最低限の責務を果たしたから、出家に踏み切れたのかもしれません。まぁ、結果的にはその息子も出家しちゃうんですが。結果論ですが、ブッダは家族と和解していますから、ハッピーエンドです。また、お釈迦様は出家したと言っても、父王が派遣した5人の出家仲間が一緒だったので、消息不明になっていたわけではありません。お釈迦様は、世俗の生活(娯楽、結婚、子供)を一通り経験されています。だからこそ、お釈迦様の教えには説得力があるのかもしれません。, Q:お釈迦様が入滅の前に弟子のアーナンダに自灯明、法灯明を教えましたが、私は今の世の中こそ、この教えをとても大切にする必要を感じてます, A:「自灯明」とは、本来、自分を救えるのは、自分でしかないということになります。自分の行い(業)の責任は、他の誰も取れません。「自業自得」ということになります。「法灯明」とは、その「業」を善くするための方法論ということになります。迷い苦しみを無くすための教えとして仏法があるわけですが、それを実践するかどうか、善き行いに励むことで、善き業を調えられるかどうかは本人でなければどうにもできません。, A:何とかシャカリキに頑張って生きて参りたいものでございます。このシャカリキの語源は、「釈迦力」と言われています。お釈迦様が、迷い苦しむ人々を救おうと、とにかく懸命に頑張っておられたことから産まれた言葉となります。, A:仏教用語には誤解されるものが多く、「天上天下 唯我独尊」もそのひとつです。字面を見ると「この世の中でオレさまが一番偉いんだ」というように見えます。しかしこの言葉には、下の句があります。三界皆苦 我当安之(さんがいかいく がとうあんし)上の句だけでは誤解されやすいこの言葉も、下の句を加えることで理解が深まります。上:この世の中で、私は最も尊い存在である下:なぜなら、世の中は苦しみに充ち満ちていて、私はそれを安らかにする者だからであるつまり、お釈迦さまが後に「さとり」を開かれ、多くの人々に仏教を説き広めていくことを表した言葉です。, Q:お釈迦様のお話を素人でもわかりやすく読める本など教えてください。ちなみに手塚治虫先生の『ブッダ』は読みました。, A:増谷文雄先生の「仏教百話(ちくま文庫)」あたりはライトで読みやすいです。「ブッダ いのちの言葉」ナガオカ文庫、宮下真著、などは法句経の中からいくつかをピックアップして分かりやすく解説していますよ。 また、子供向けですが「ブッダがせんせい」ナガオカ書店、宮下真著、などもおすすめです。もっと平たくいくなら漫画の(里中満智子『ブッダをめぐる人々』中公文庫)。単行本なら全1巻、文庫版なら全2巻です。, Q:皆様のおかげで仏教に興味が湧いてきたので、一から勉強してみたいと思っているのですが、この本が面白い、わかりやすい!というおすすめがあれば教えてください。, A:『知識ゼロからの仏教入門』長田幸康、幻冬舎、『日常から精神へ』仲野良俊、教育新潮社 が最近の一押しです。仏教の起源はインドですから、お釈迦様やお釈迦様の説いた教えについて書かれた本。中村元先生が書かれた岩波文庫の本を何冊か紹介します。『ブッダの生涯』『ブッダのことば―スッタニパータ 』『ブッダの真理のことば・感興のことば』, A:『火の鳥』は、仏教そのまんまが出るわけではないですが、仏教観がテーマになっているので、ぜひ読んでいただきたいです。あくまでも入門書としてですが、「もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら」架神恭介氏著・イカロス出版。漫画とは言えないかもしれませんが、イラストと解説で、意外に難しい仏教における思想を分かりやすく説明されていて、面白く読ませてもらいました。, Q:仏教についてなるべく簡単にわかりやすく書いてある本が欲しいです。仏教が成り立った経緯とかも知りたいなと思っています。, A:佐々木閑先生の「ゴーダマは、いかにしてブッダとなったのか」がおすすめです。お釈迦様のご生誕以前の時代背景などから書いてあり、変遷がよくわかると思います。専門用語を嚙み砕いて説明されていますので、読み易いです。これを読み終えたら、中村元先生の「原始仏典」を読むと理解が深まるのではないでしょうか。, Q:仏ゾーンという少年漫画をご存知でしょうか。お坊さんとしては、ああいった仏様を主人公にした漫画をどう思われますか?罰当たりでしょうか。, A:仏ゾーンとシャーマンキングの2作品(同じ作者)は好きでした。 仏ゾーンは、本来の仏教の設定をわかったうえで作られていると思われるので、奥が深く感じるのです。シャーマンキングも、少年漫画の主人公はキレて(怒って)力を発揮するオチが多い中、おだやかな心でないと力を発揮できないという仏教的な感じの物語でした。, あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦様をののしってやることにしました。「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」そして、その日が来ました。男は、お釈迦様の前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。お釈迦様は、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」とお釈迦様にたずねました。それでも、お釈迦様は一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。男は、一方的にお釈迦様の悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。どんな悪口を言っても、お釈迦様は一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのです。その様子を見て、お釈迦様は、静かにその男にたずねました。「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか」こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。わかりきったことを聞くな」男はそう答えてからすぐに、「あっ」と気づきました。お釈迦様は静かにこう続けられました。「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。でも、私はそのののしりを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」, お釈迦さまがおられたときに、アングリマーラという悪人がいました。彼は、だれかれ構わず出会ったものを殺すという残虐な殺人者でした。999人を殺し、1000人目として彼が出会ったのがお釈迦さまでした。アングリマーラは、お釈迦さまを殺そうといきり立ちます。しかし、いくらナイフを振りかざしても、お釈迦さまに指一本触れることができなかったそうです。そして、お釈迦さまにこう叫びます。「ええい、止まれ!」するとお釈迦さまは不思議なことをいいます。「わたしはずっと止まっているよ。止まっていないのはお前の心の方じゃないのかな?」それを聞いた途端、アングリマーラは膝をつき、地に伏せて今までのことを懺悔したそうです。きっと、心のどこかで自分が恐ろしいことをしていると気がついたのでしょう。それ以降、アングリマーラはお釈迦さまの弟子になります。頭を丸めて、僧侶の姿になりました。しかし、町の人々は彼がかつてのアングリマーラだとすぐに気が付きます。ある人は彼に石を投げて、ある人は襲い掛かってきます。しかし、アングリマーラは復讐せず、じっとそれに耐え続けたそうです。そして、ついに悟りを開きました。, お釈迦さまの言葉で「有田憂田 有宅憂宅 無田亦憂 欲有田 無宅亦憂 欲有宅」というものがあります。田んぼが有れば田んぼの心配をし、家が有れば家の心配をする。田んぼがなければ「田んぼ欲しいな」と憂い、家がなければ「家が欲しいな」と憂うという意味で、つまり人間はどんな状況でも憂う存在だということです。, 昔、母親が小さい我が子を突然亡くし、どうしたら生き返れるか色んな人に聞くが方法が分からない。その時お釈迦さまにワラをもすがる想いで相談すると、お釈迦さまはこの村で一度も死人を出した事のない家を探し、一粒のケシの実を持って来たら貴方の子供を生き返らせる事ができます、とお話をされます。それを聞き母親は村中を探します。がケシの実は何処でもあるが一度も死人を出した事のない家は何処にもありません。ほとほと疲れ果てた母親は仕方無くお釈迦様のもとへ帰り「そんな家などあろうはずがない事に気付き、私は悲しみばかり考え何も見えてませんでした。お釈迦様のお陰で大事なことがわかりました」と言い、これより仏道を志されお釈迦様に帰依されたと言うお話です。, hasunoha(ハスノハ)は、あなた自身や家族、友人がより良い人生を歩んでいくための生きる知恵(アドバイス)をQ&Aの形でお坊さんよりいただくサービスです。, 友だち、同僚、先生、両親、インターネットの掲示板など相談する人や場所はたくさんあると思います。, そのひとつに、「お坊さん」を考えたことがなかったのであれば、ぜひ一度相談してみてください。なぜなら、仏教は1,500年もの間、私たちの生活に溶け込んで受け継がれてきたものであり、僧侶であるお坊さんがその教えを伝えてきたからです。, 心や体の悩み、恋愛や子育てについて、お金や出世とは、助け合う意味など、人生において誰もが考えることがらについて、いろんなお坊さんからの癒しや救いの言葉、たまに喝をいれるような回答を参考に、あなたの生き方をあなた自身で探してみてはいかがでしょうか。. メッセージ フロム ブッダ エピソード. 「名言集|心を揺さぶる最高の言葉」へようこそ。言葉の力を信じている全ての人々へ、心を揺さぶる最高の名言を紹介します。このサイトは、人生を大きく変える力を持っている言葉の宝庫です。別格の名言を世に残してくれた偉人たちの未来に遺したい名言集をどうぞ。 You are here. 本名:手塚治【てづかおさむ】 は. 人は「私はこういう人間だ」と自分で考えるその通りのものになります。それと異なったものになることはない。, 戦いにおいて、一人が千人に打ち勝つこともある。しかし、自己に打ち勝つ者こそ、最も偉大な勝利者である。, 愚かな人は、「私には息子がいる」「私には財産がある」などといってそれで思い悩むが、自分自身がそもそも自分のものではない。ましてや、息子が自分のものであろうか。財産が自分のものであろうか, たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。, 以前には怠りなまけていた人でも、のちに怠りなまけることが無いなら、その人はこの世の中を照らす。あたかも雲を離れた月のように, 「一切の形成されたものは苦しみである」と明らかな智慧をもって見るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。, 苦悩を乗り越えるための聖なる道は8つの部分からできている。すなわち、正しいものの見方、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想である。, 目的が達成されるまで、人は努めなければならぬ。自分の立てた目的がそのとおりに実現されるのを見よ。, 「因果関係によってつくりだされたすべてのものは無常である(諸行無常である)」と、智慧によって見るとき、人は苦しみを厭い離れる。これが人が清らかになるための道である。, 過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。, 聖典の言葉をいくらたくさん語っていても、それを実践しなければ怠け者である。それは例えば、牛飼いが他人の牛を勘定しているようなものだ。そういう者は修行者とはいえない。, 愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。, 旅に出て、もしも自分よりすぐれた者か、または自分にひとしい者にであわなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならぬ。, 頭髪が白くなったからとて、尊敬できる長老ではない。ただのむなしい老いぼれである。真理あり、他者の害にならず、自ら清め、慈しみあって、そうしてはじめて、彼は心の垢を取り除いた賢者となり、年長者として尊敬される, 正しい教えを知らないで百年生きるよりも、正しい教えを聞いて一日生きる方がはるかにすぐれている。, 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいない。, 貪りと怒りと愚かさを捨て、諸々のしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀(サイ)の角のように、ただひとり歩め, 他の人たちが「安楽だ」と言うものを、聖者たちは「苦しみである」と言う。他の人たちが「苦しみだ」と言うものを、聖者たちは「安楽である」と言う。法は知りがたいものであると見よ。無知なる者たちは、ここで迷うのである, 思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ自制・克己によって、激流も押し流す事が出来ない島を作れ。, 女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって、得たものを、その度に失う人がいる。これは破滅の門である, 善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、心は悪を楽しむようになる。, 母、または父が老いて朽ち衰えていくのを養わないで、自らは豊かに暮らす人、これは破滅の道である, 他人の過失を見る必要はありません。他人のした事としなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにせよ。, 多く説くからとて、その故に彼が賢者なのではない。こころおだやかに、怨むことなく、怖れることのない人、かれこそ賢者と呼ばれる, 自分で自分を、励ましなさい。まず、自分を正しく整えてから他人に指摘せよ。そして、他人に指摘したことは、自分も実行せよ。, 生き物を自ら害すべからず。また他人をして殺さしめてはいけない。また、他の人々が殺害するのを容認してはならない, 「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。, 自分よりも愛しいものはない。同様に他の人々にも、自己は愛しい。故に自己を愛するものは、他人を害してはならない. 『火の鳥』と並び、手塚漫画の最高峰と謳われる本作。連載誌の名が2回も変わるほど長期に渡って描かれた大河作品です。タイトルのとおり仏陀(ブッダ)――釈迦の生涯を描いた作品ですが、ただそれだけのものではありません。そこには、本作ならではのさまざまな魅力が詰まっているのです。 5.ブッダの鬱に効く名言. のセミナー動画を無料プレゼント中!, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, このブログは『好きなモノに囲まれ自分らしい人生を創造して歩みたい!』 言わずと知れた手塚治虫が描いた仏教の開祖「ブッダ」(釈迦、釈尊、ゴータマシッダルタ)の生涯。 この作品の中でブッダの教えを学ぼうとするには物足りないと思います。手塚治虫自身もおっしゃっていますが、仏教の教えよりもブッダという人間そのものを描いた作品だからと思います。 今回は、そんな『ブッダ』に迫ってみましょう。, インドとの国境近くのカピラヴァストウに、シッダルタと名づけられた赤子が生まれました。その子が生まれる以前から吉兆があり、ただ者ではないことは父王スッドーダナにもわかっていたのです。, 母マーヤはシッダルタを産んで間もなく亡くなってしまいましたが、養母パジャーパティに育てられ、シッダルタは聡明な青年に成長します。そんななかで、彼は当時の身分制度(カースト)に疑問を持つようになっていくのです。, 同じ人間なのに、なぜ認められることと、認められないことがあるのか。また、なぜ人は苦しむのか、なぜ死ぬのか……そのような疑問を常に抱きながら成長し、29歳で彼は出家します。, 本作は、シッダルタがブッダとなり、教えを説く旅の果てに、沙羅双樹の下で入滅(死没)するまでを描いています。, しかしストーリーは、ただ仏教の祖としてのブッダの生涯を辿るだけではありません。「人はどのように生きるべきか」という仏教のテーマをさらに大きく広げ、作者・手塚治虫の哲学と融合したかたちで語られていくのです。, ストーリーの中心にはブッダだけでなく、多くの人が登場し、なかには実際の歴史上には存在しない人物もいます。そういった人物たちの人生をそれぞれに克明に描き、それらが収束して、ブッダの最期へと繋がっていくのです。, 読者がブッダの生涯をとおして、人の存在について、生命の尊さについて、思索を得られる一大叙事詩となっています。, 『ブッダ』には、後にブッダとなるシッダルタ以外にも、重要な人物が何人も登場します。ここでは、ストーリーの中心となる人物たちについてご紹介しましょう。, 主人公。カピラヴァストウのクシャトリヤ(王族)の子として生まれながら出家して僧となり、それまで存在した僧侶(バラモン)とは異なる思想で修行。悟りを得て「ブッダ(目覚めた人)」と呼ばれるようになります。, 「王となるべき人」「神となるべき人」などと周囲からは神聖視されますが、彼自身はいつも悩み、苦しんでいる1人の人間に過ぎませんでした。本作には、その姿が描かれています。, 身分制度の最下層であるスードラ(奴隷)よりも、さらに下の身分とされるバリア(不可触民)の子。架空の人物です。, 幼い頃、コーサラ国の兵士によって家族を村ごと焼かれ、親友であるスードラの子チャプラの母を、もう1人の母と慕っていました。しかし彼女もまた、コーサラ国によって生命を奪われたことから、コーサラ国をひどく憎んでいます。, 成長後、カピラヴァストウにいるシッダルタを城の外に連れ出して、外の世界を見せて回り、そのことがシッダルタの世界観に大きな影響を与えました。, その後、盗賊となりますが、シッダルタとの再会により足を洗い、ダイバダッタの口添えでマガタ国の兵士となります。マガタ国はコーサラ国と敵対する国です。, 幼い頃は、自分と自然とを一体であると認識することで、他の動物に自分の精神を乗り移らせるという特殊な能力を持っていましたが、成長後はそれも失ってしまいました。ストーリー最序盤のシッダルタが生まれる前から登場し、最終盤までシッダルタの生涯に要所要所で関わり続けます。, 架空の人物。スードラ(奴隷)で、身分制度のためにひどく苦しみます。あるきっかけから、タッタとは親友です。石を投げる能力と剣技に優れ、そのことからコーサラ国のブダイ将軍の養子となります。, 将軍の子として軍に加わり、勇士の称号を得るまでになりますが、スードラであることがバレて国外追放されました。生き別れとなっていた母がコーサラ国で処刑されることになり、ともに死ぬことを望み、最期は処刑されてします。, アシタ聖者の弟子の、バラモン(僧侶)。アシタ聖者の命で「神になるべき人」を探す旅に出て、途上でタッタとチャプラ、チャプラの母と出会いました。, コーサラの勇士となった後に瀕死の重傷を負ったチャプラを助けるため、罪なき動物たちの生命をいくつも奪ったとして、アシタ聖者によって畜生道に落とされてしまいます。, 以降、獣として人の世から隔絶して生き、その間に幼い日のダイバダッタらと出会い、生命と自然との調和を説きます。40年の後、ようやくブッダとめぐり会い、役割をまっとう。アシタ聖者に導かれて凄絶な生涯を終えます。, 作中では老人の姿で擬人化され、シッダルタを悟りに導きます。悟りを開いた彼に「ブッダ」と名乗るように告げ、額には聖なる印(白毫)をつけました。その後も入滅の瞬間まで、彼を見守ります。, シッダルタが修業時代に出会った少年。常に鼻水を垂らしていて、両親から厄介払いのかたちで、シッダルタとデーパの旅について行くことになります。道中で高熱をともなう病に罹り、それを境に未来を予知する能力を持つようになるのです。, 予知の力で、マガダ国のビンビサーラ王が息子に殺害されることや、自分自身の死期、死因を予言。その死にざまでブッダに思索を与えます。, 仏教の経典に名がある人物ですが、キャラクターとしては創作に近いと、作者の手塚治虫自身が発言しています。, 盗賊団の首領で、タッタの妻。当初はシッダルタと両想いでしたが、そのためにスッドーダナ王により捕らえられ、目を焼かれてしまいます。その後、病で全身がただれ重篤な状態に陥ったり、毒を飲まされて口が聞けなくなったりと散々なめに遭いますが、いずれのときもブッダの手によって救われました。, 幼い頃に、年が近い子供を殺害したためカピラヴァストウを追放され、獣として生きるナラダッタとともに過ごし、「弱肉強食」の思想を覚えます。その後マガダ国に流れつき、偶然出会ったタッタに助言をしてビンビサーラ王に仕官させ、自らはアジャセ王子に取り入りました。, タッタを利用して王座まで狙い、その果てにミゲーラに毒を飲ませることまでしますが、ブッダがミゲーラを救うさまを見てブッダに弟子入りしました。, 彼のために教団をつくり、世界中に教えを広めようと決意しますが、そこでも自分が1番でありたいという気持ちが強く、後継者として選ばれなかったことからブッダを憎み、殺害しようと企むようになります。, 前の項で、登場人物の紹介をご覧になってすでにおわかりのことと思いますが、架空の人物がたくさん登場して、ストーリーの幹の部分に関わっています。これは『ブッダ』という作品が、歴史上のできごとや仏教の経典を、そのまま漫画化しただけのものではないことを物語っているのです。, 本作は、史実をなぞるだけではなくフィクションもたくさん詰め込んで、激動の歴史をよりドラマティックに演出し、かたちづくられた作品です。作者・手塚治虫が、それまで描いてきた作品をとおして身につけた漫画の技巧を尽くした、エンタテインメントとしてのストーリーが語られているのです。, 将来「ブッダ(目覚めた人)」と呼ばれることになるシッダルタ誕生のもっと以前から本作は語られはじめ、タッタやアッサジ、ナラダッタなどの架空の人物たちの壮絶な人生に触れて、主人公たるシッダルタが考え、悩み、苦しんだ末に、やがて「ブッダ」呼ばれるようになります。, さらに、それ以降もタッタや弟子デーパなどの多くの架空の人物と、ストーリー終盤まで関わりを持ち続けるのです。, そのようにフィクションを多く盛り込む一方、カピラヴァストウ近くのルンビニーでシッダルタが生まれ、ピッパラの樹の下で悟りを開きブッダとなり、祇園精舎で教えを説き、沙羅双樹の下で入滅するといった仏教の経典や歴史書に書かれた有名なエピソードや、父王スッドーダナやマガダ国のビンビサーラ王との交流など、実在の人物の活躍もしっかりと描かれています。, 虚実混交して起伏が大きく、読みごたえがある作品となった『ブッダ』。当初は『火の鳥』の一編として構想されていたといいますが、『火の鳥』同様に、生命とは何か、生きるとはどういうことなのかといったテーマに深く言及する、手塚哲学が通奏される交響楽のような作品となっているのです。, 「歴史漫画」というジャンルに括られる作品はすでに存在して、史実を描くなかにブッダが登場するものは他にもあります。しかし、漫画というジャンルのなかで「人間としての」ブッダ像を描こうという作品は、本作が初めてだったのではないでしょうか。, 仏でも聖者でもなく、自ら考え、悩み、苦しみ、それをくり返す1人の人としてのブッダが、本作では仔細に描かれています。カピラヴァストウの王子として生まれた彼は、幼い頃からたくさん疑問を持つ子供でした。, 身分制度があって当たり前の時代に「同じ人間なのになぜ違った扱いを受けるのか」と大人たちに訊ね、「人はどうして生まれて死ぬのか」、「なぜ生きものは殺し殺されるのか」、「死んだ後はどうなるのか」と考え続けます。, その疑問を追うように出家し修行を積みますが、「ブッダ」となった後も、悩み苦しみ続けるのです。, ストーリーも最終盤の「シャカ族の滅亡」では、タッタを戦争で失ったブッダは「私がいままで何十年も人に説いてきたことは、なんの役にも立たなかったのですか!