映画 1941年. 映画「次郎物語」について:監督:島耕二 原作:下村湖人 脚本:館岡謙之助 撮影:岡野薫 美術:進藤誠吾 音楽:服部正 出演:杉幸彦 出演:杉裕之 出演:井染四郎 出演:村田知栄子 『次郎物語』(じろうものがたり)は、下村湖人による日本の長編教養小説である。全五部、未完。, 1936年(昭和11年)大日本連合青年団の機関誌『青年』誌上で第一部にあたる『次郎物語』が連載され、1941年に単行本が出版される。のち小山書店発行の雑誌「新風土」誌上で1942年(昭和17年)年の第二部『続次郎物語』から1949年(昭和24年)3月の第四部まで連載され、第五部は宗教雑誌「大法輪」誌上で1953年(昭和28年)3月から1954年(昭和29年)まで連載された。, 幼少期に里子に出された主人公・本田次郎の成長を、青年期にかけて描く。湖人自身の里子体験が反映されるなど、自伝的色彩が濃い。児童文学として読まれることも多い。, 内容的には、家族や学校といった生活行動範囲の広がりに沿って主人公の人格的成長を描く第三部までと、五・一五事件、二・二六事件に集約される軍国主義的な時代背景や、主人公の精神的恋愛を作品の重要な要素として、社会性の広がりに沿って展開する第四部以降に大別できると考えられる。, 第一、二、五部には「あとがき」が、第四部には「附記」がある。第二部のあとがきによれば、第一部は「教育と母性愛」、第二部は「自己開拓者としての少年次郎」がテーマであると述べられている。また、第五部のあとがきには「戦争末期の次郎を第六部、終戦後数年たってからの次郎を第七部として描いてみたいと思っている」とあるものの、下村が1955年に死去したため未完に終わった。, 士族・本田家の次男として生まれた次郎は、幼少時から尋常小学校の校番の妻であるお浜の元に里子に出されていた。「孟母三遷の教え」をまねた、母親・お民の教育的配慮からである。そして次郎は母よりもお浜に懐き、実家を敬遠するようになる。, いやいやながら戻された次郎にとって、格式ばった実家は居心地の悪い場所であった。祖母・おことは次郎を露骨に差別待遇し、兄の恭一や弟ばかり可愛がる。次郎の側でも当てつけに喧嘩やいたずらを繰り返し、お民から説教を浴びせられるのだった。それでも、父親の俊亮、祖父の恭亮、さらにお民の実家である正木家の人々に見守られながら成長していく。, おことの差別待遇は改まらず、次郎は正木家に引き取られる。やがて恭亮が死に、お民は結核に侵され、俊亮も連帯保証人になった相手が破産したため次郎はお民の介護をする事となる。献身的な介護を続けるうち親子のわだかまりは解け、次郎とお民は肉親としての思慕を募らせる。, やがてお民は危篤状態に陥る。ついに迎えた臨終の際、兄弟三人揃って死に水をとり、臨終の宣告の後お浜に肩を抱かれ号泣して親族の涙を誘った(映画版では一生懸命に母の看病をする次郎に本来なら年齢制限がある夏祭りの踊り子をやらせてもらい、衣装を病床の母に作ってもらうが日に日に衰弱していき、夏祭り当日踊り子衣装を身に付けた次郎を見送った後、お浜に看取られながら亡くなってしまう。次郎は母の葬儀で泣く事はしなかった)。, 1960年3月4日公開の「次郎物語」と同年5月13日公開の「続次郎物語 若き日の怒り」の二部作。製作は松竹。第1作は第一部・第二部、第2作は第三部・第四部を映画化した。, 1987年7月4日公開。西友・学習研究社・キネマ東京製作、東宝配給。配給収入は12億3000万円[1]。, 本映画を元にした「学研まんが 名作シリーズ 次郎物語」(漫画:斎藤栄一)が刊行された。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=次郎物語&oldid=79552137. 加藤剛, 高橋恵子, 永島敏行, 芦田伸介, 山岡久乃, 泉ピン子, 森川時久, 下村湖人, 加藤剛 邦画・洋画のDVD・Blu-rayはアマゾンで予約・購入。お急ぎ便ご利用で発売日前日に商品を受け取り可能。通常配送無料(一 … 1960年3月4日公開の「次郎物語」と同年5月13日公開の「続次郎物語 若き日の怒り」の二部作。製作は松竹。第1作は第一部・第二部、第2作は第三部・第四部を映画化した。 キャスト 本田次郎:中森康博(第1作)→山本豊三(第2作) 次郎物語 ( 1941 / 日) 旧家本田家の次男として産まれた次郎( 杉裕之 )は母お民( 村田知栄子 )に乳が出ず校番のお浜( 杉村春子 )夫婦のもとに里子に出された。. かくして7年の歳月が経ち、お浜夫婦の溺愛に近い愛情のもとに育った次郎は実家に呼び戻されるが、厳しい躾や生活に馴染めずグレていく。. 下村湖人の名作を『砂の器』の加藤剛、高橋恵子、伊勢将人主演で映画化した感動の文芸ドラマ。里子に出されて実家に戻った故に家族と馴染めず、孤独に生きる少年・次郎。そんな彼の身辺に、事業の失敗、母の死、父の再婚など次々と災難が降り掛かる。, 下村湖人原作の同名小説の映画化。親子の心のふれあいを豪華キャストが情緒豊かな演技で魅せてくれる。ストーリーも感動的だが、日本ならではの懐かしい田園風景、生活風景にも注目したい名作。出演は加藤剛、高橋恵子、永島敏行ほか。, 監督: 森川時久 原作: 下村湖人 脚本: 井出雅人 撮影: 山崎善弘 音楽: さだまさし/渡辺俊幸 出演: 加藤剛/高橋恵子/永島敏行/芦田伸介/山岡久乃/泉ピン子 -- 内容(「CDジャーナル」データベースより), 予約商品を通常商品と同時にご注文の場合、通常商品も予約商品の発売日にまとめて発送される場合がございます。通常商品の配送をお急ぎの方は別々にご注文されることをおすすめします。予約注文・限定版/初回版・特典に関する注意は, 注記:Amazon.co.jpが販売・発送する一部の商品は、お一人様あたりのご注文数量を限定させていただいております。お一人様あたりのご注文上限数量を超えるご注文(同一のお名前及びご住所で複数のアカウントを作成・使用されてご注文された場合を含みます。)その他Amazon.co.jpにおいて不正なご注文とみなす場合には、予告なくご注文をキャンセルさせていただくことがあります。, 全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。, さらに、映画もTV番組も見放題。200万曲が聴き放題 『次郎物語』第一部あとがき 次郎物語は度々映画化された。 1941(次郎物語・第一部の出版年)、 1955(著者・下村湖人の没年。清水宏監督が脚色、第一部以降は独自色が強い)、 1960(二部作。第1作は第一部・第二部、第2作は第三部・第四部)、 昭和10年代の「教養小説」としての『次郎物語』」というタイトルで授業内発表を行うことになり、note執筆を中断して資料づくりに勤しんでいた。のちのち自分で見返すこともできるため、便益もあるだろう。20000字ほど書いてしまった。無駄だ、冗長だとも思わないのである。 1941年12月11日公開。製作は日活。 キャスト 次郎:杉幸彦(幼年時代)、杉裕之(少年時代) お民:村田知栄子; お浜:杉村春子; 次郎の父:井染四郎; 青木春子:轟夕起子; 青木医師:北竜二; 直吉:杉狂児; スタッフ 監督:島耕二; 脚本:館岡謙之助 。クラウドに好きなだけ写真も保存可能。, このショッピング機能は、Enterキーを押すと商品を読み込み続けます。このカルーセルから移動するには、見出しのショートカットキーを使用して、次の見出しまたは前の見出しに移動してください。, 幼い頃に小説で読んで感動した作品です。映像では、VHSで見た記憶があります。確か、文部科学省の推薦でした。, 子どもの時に観て、大好きだった映画です。今でもいくつものシーンやセリフを覚えています。加藤剛さん演じるお父さんと高橋惠子さん演じるお母さんにも憧れました。, 期待以上の作品です(^-^)感動しました(*^^*)母と子の涙溢れる愛情、そして、人情の機微を、教えてくれましたm(__)m, 商品詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。チェックした商品詳細ページに簡単に戻る事が出来ます。, © 1996-2020, Amazon.com, Inc. or its affiliates. 次郎物語は度々映画化された。 1941(次郎物語・第一部の出版年)、 1955(著者・下村湖人の没年。清水宏監督が脚色、第一部以降は独自色が強い)、 1960(二部作。第1作は第一部・第二部、第2作は第三部・第四部)、 1987年(第一部のみ)の4回だ。 加えて1956、1964年2回テレビドラマ化されている。, やはり、最も人の心を掴むのは母の死によって幕を閉じる第一部だろうか。 20年以上の時を経て作られた、現時点で最後の映画作品である1987年の森川時久監督作品は『親と子の心のふれあいを描いた古典的名作の映画化』……らしい。, とあり、湖人先生は母・お民を『体調不良によって寄り添えなかったことより、生半可な教育意識で余計な手出しをしたことが、母としての失敗につながった』と記している。, 物語の中、【一かどの見識家】だと自負しているお民は『孟母三遷の教え』を『(偉い学者に)子供を育てあげるには学校の傍が良い』と思い込んで、次郎を校番の家に預ける。 そしてお民は『孟母三遷』の顕著な効果が顕れない次郎を『孟子の場合とちがって、学校というものの感化力が思ったほどでない』と他人事のように述懐し、お浜に親しみすぎる次郎の傾向を矯正しようと色々と画策する。 それから次郎が迎えるきびしい運命についてはあなたの目で追ってもらいたい。, さて、どれくらいの方が『孟母三遷の教え』を正確に説明できるだろうか?よく知っている年代の方でも、うろ覚えではないだろうか? 次郎物語の中に『孟母三遷の教え』の正しい解釈、湖人先生の考えが記されているわけではない。 私はというと、養老先生の著書からその言葉を知った後、広辞苑で意味を調べただけで知ったかぶりであった。教育のためということで、長らく『墓場、市場、学校と、我が子に世間を見せて回ったんだろうなぁ』と、釈迦の『四門出遊』に類似した行ないだと思い込んでいた。後に当たった文献では、『墓場にて孟軻が供物で遊んでいたので、母は云々』と、頑是無い子供が道を外しているように意訳・脚色していて、さらに勘違いを続けることになった。(原典は『幼き孟軻は墓堀人を真似て遊んだ』というくらいの記述), 実のところ、原典である『列女伝』は、後世の研究から史書ではなく、明らかに『人物伝(史伝)の形を取った説話集、教訓譚』らしい。 著者・劉向の手による潤色、修正加工、再話、さらに主人公と物語の創造もあるという。もっとも、立派な学術資料であるし、それなりに納得できる経験則として読めるので、全くの出鱈目とも言い難いらしいが。 私の読んだ『列女伝』は訳注者が中島みどり先生のもので、先生の注釈のお陰で客観的事実を見極めてすいすい読めたが、中島先生があとがきに【この書物が中国二千年の礼教社会の中の女たちの被抑圧と受難の記憶を呼び起こし(中略)魂がきりきり纏足させられるような苦痛と息苦しさ(略)】と記すよう、現代では受け入れがたい価値観も多く、古代の男性社会の理想に過ぎないと意識しなければ読み難い代物であり、手放しで称賛できるものではない。, そんな孟母伝を、何故お民は持て囃したか? 香山リカ先生は『母親はなぜ生きづらいか』にて、明治の新体制の始まりを契機に子育ての主役が父親から母親に移ってゆく日本の教育史を解説しているのだが、興味深いことに湖人先生の生い立ちはその歴史と重なるところがある。 明治15年『新撰女大学』(子育てに言及した記述が登場するようになった女性向けの教科書)刊行された年の2年後、明治17年に生まれる。 そして、比較的豊かなクラスの母親が家庭教育論ブームに乗り出してきた明治三十年代、湖人先生は佐賀中学受験失敗、翌年合格する。(家庭教育は、地位向上手段がかなり限られていた女性の選択肢だった。『田澤薫氏は、明治二十年代から三十年代にかけて心理学者や小児科医が児童研究目的で推奨した「育児日記」が母親対象の雑誌に掲載され、大きな関心を生んだことを指摘する』) 社会の変化を目にしてきたと言うと言い過ぎかもしれないが、子供心に少なからず空気を肌で感じていたのではないだろうか。賢母思想に思うところ、違和感があってもおかしくはない。  おそらく、頼りとなる情報が足りないが故に、少なからぬ昔の家庭教育母がそういう『列女伝』、孟母三遷の教え、孟母断機の教えをありがたがっただろう。 安易に「昔の話だ」と突き放すことは出来ない。誰もが視野狭窄に陥りやすい教育の事、決して他人事とは笑えない話だ。 巷には『偉人の登場、偉業の達成の結果、賢母が産み出される』そんなパラドックスが溢れているではないか。, さて、孟子自身は賢母を推奨しているだろうか? 仁義に最大の価値を抱く儒教の先生らしく孝子を説き、換え子教育を推奨しているが、母の道を熱心に説いてはいない(君子に限った話かもしれないが。日本では江戸後期の農村指導者、大原幽学が換え子教育を提唱したという)。 子の教育責任が父にあることを説いている(妻の教育責任も夫)。, お民と次郎の関係に符合するところが見出せる。 ……いいや、現在でもよくある、普遍的な問題の指摘ではないだろうか?, なお、古代中国の教育について注意しておきたい点がある。1、シングルマザーが珍しくない。2、子の成人以前の教育はすべて母が責任を持ち、子が成人すれば父に責任が移る。 どちらも重要な違いである。日本の現状を顧みて考えてほしい。, ……西部邁先生は『孟母三遷の教え』を「〝いじめ〟に遭ったら逃げ出せ」の教えだと勝手に解釈しているという。案外、そういう解釈に落とし込むのが一番良いのかもしれない。, 『おおかみこどもの雨と雪』評:花は賢母に描かれてるか、それとも愚母に描かれてるか。.