株式会社主婦の友社は、2020年5月29日に著:平野レミ、デザインと絵:和田誠の『新版 平野レミの作って幸せ・食べて幸せ』を出版いたします。 あの頃のレミさんに会える、夫婦共作のレシピ本 2019年秋、平野レミさんの最愛の夫、和田誠さんが惜しまれながらこの世を去りました。 ●ようこそ私のキッチンへ ●いちばんくつろげる場所、キッチン  以下は平野のコメント全文。 Copyright © SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. ・とっておきデザート, 【書誌情報】 ●著者:平野レミ ・巻き巻き&コロコロメニュー ・豚肉はみんなと仲よし 平野レミさんの言葉から、 とても仲の良い夫婦であった事が 伝わってきますね。 47年間も付き添った相手、 亡くなるのはやはり切ないですね… 和田誠のこれまでの作品. <Amazon>https://www.amazon.co.jp/dp/4074432986/ ●introduction「平野レミの暮らしと家族と料理のこと」 番組を聞いていたイラストレーターの和田誠が平野に惚れ込んだことが縁で、1972年に和田と出会って1週間で結婚した。 当初、和田は麻雀仲間だった久米宏に平野の紹介を頼んだが、久米は「絶対紹介しませんよ、あんな出歯!しょうがないですよ! ・ボリュームたっぷりイタリアン <レシピ> イラストレーターで、エッセイスト、映画監督として活躍した和田誠さんが肺炎のため7日に都内の病院で亡くなっていたことが分かった。83歳。所属事務所が発表した。通夜、告別式は近親者で執り行った。後日、お別れの会を開く予定で、開催日時が決まり次第発表する。, 妻で料理愛好家の平野レミ(72)は11日、「私の料理を美味しい美味しいって食べてくれて本当にありがとう。安らかにね」とコメントを発表した。和田さんと平野は1972年に結婚。平野はテレビ番組に出演した際、和田さんと出会って1週間で結婚したと明かしていた。長男はロックバンド「トライセラトップス」の和田唱(43)。 All Rights Reserved. 平野レミ、和田誠を偲ぶ「なんで私をすきになったのか、聞いてみ … 本日、平野レミさんが『徹子の部屋』に登場!〉平野レミさんの夫で、名イラストレーターの和田誠さんが、2019年10月7日に亡くなりました。多くの人を魅了 … Yahoo!ニュース アーカイブス2020年11月号は「田中将大 伝説の24連勝、楽天 球団初の日本一」. 平野 レミ(ひらの れみ 1947年3月21日 - )は、日本の料理愛好家、タレント、シャンソン歌手。本名は和田 レミ(わだ れみ)。 旧姓は平野。, 東京都台東区生まれ、千葉県松戸市で育つ。祖父は日本美術史家で法律家のヘンリイ・パイク・ブイ。父はフランス文学者の平野威馬雄。夫はイラストレーター、エッセイスト、映画監督の和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。長男の妻は女優の上野樹里。次男の妻はモデルで食育インストラクターの和田明日香。従兄弟はトークライブハウス経営の平野悠。, 料理番組を中心に活躍しているが、終始テンションが高く、息つく間もないほどの早口が特徴である。その明るいキャラクターがウケ、バラエティー番組(番組内の料理コーナー)にも「料理研究家」もしくは「料理愛好家」として出演している。, 2007年公開のディズニー配給映画『レミーのおいしいレストラン』の日本でのプロモーションでは「料理親善大使」を務めた。, 清水ミチコのモノマネレパートリの1人でもあり、実際に『スタジオパークからこんにちは』にて共演している(元々は夫の和田を含めて家族ぐるみの交友はある)。清水は平野の暴走振りに呆れながらも、お笑いの才能に「素晴らしい人材」と感嘆した一幕があった[2]。, 『きょうの料理』などでの自由奔放な立ち振る舞いと奇想天外な料理のアイディアから、「生きる(歩く)放送事故」と呼ばれる(番組名をもじって「狂の料理」ともあだ名されている)。, 東京都立上野高等学校中退[3]後、文化学院在学中、佐藤美子にシャンソンを学び、日航ミュージックサロンで歌手デビューする。, やがてTBSラジオのディレクターから声がかかり、TBSラジオ番組『キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲』内の、東京や関東近県の主にスーパーマーケット等の店頭等から公開生放送する番組コーナー『ミュージック・キャラバン』で久米宏とコンビを組み活躍。平野の回想によると、ラジオのディレクターに配られていたレコード会社の新人宣伝書で平野と辺見マリの写真が入れ替わって刷られていたことが原因で、ディレクターは本来、辺見と契約するつもりで平野と契約したという[4]。, 番組内での一般観覧者が参加する、TBSラジオカー(中継車)と同行した車両に搭載し、スピーカ部分には放送用のマイクを設置したジュークボックスから、番組側が選んだジュークボックスの「曲番号」で掛かる曲が「男性歌手か?、女性歌手か?」と当てるゲームで、曲のイントロが流れて正解が判るまでの短い時間、平野が繰り返し叫んだ「男が出るか!女が出るか!」は、当時話題を呼んだ。また、生放送中に「ねえ久米さん、この(リスナーへの返礼品の)缶詰にベトコンの肉が入っているって本当?」と言ってしまった際には即座に久米からマイクで頭を叩かれ、足を蹴られて黙らされたといい、久米は当時のことを振り返るたびに「とんでもないやつと組まされてしまった」と笑いながら述懐している。, 番組を聞いていたイラストレーターの和田誠が平野に惚れ込んだことが縁で、1972年に和田と出会って1週間で結婚した。当初、和田は麻雀仲間だった久米宏に平野の紹介を頼んだが、久米は「絶対紹介しませんよ、あんな出歯!しょうがないですよ! All Right Reserved. !」と真剣に断った。なお、久米の回想によれば、正確には「あの人は絶対やめたほうがいいです。人生を棒に振りますよ」だったという。久米は平野を誹謗中傷したわけではなく、普段の仕事で彼女の自由奔放ぶりに振り回されて散々苦労していたことから、それにより紹介したことで和田に一生恨まれることを怖れたためである。そのため和田は、仕方なくTBSラジオのディレクターに頼んだところ、こちらからも「紹介してもいいけど、責任は持ちませんよ」と言われてしまったという[5][6]。, 結婚後、一時は育児・主婦業に専念していたが、家庭料理の研究にも力を入れるようになり、料理研究家ならぬ「料理愛好家」として再び表舞台で活躍しはじめた。これは、両親が旨いもの好きという影響による。平野自身も舌が肥えており、久米宏によれば『ミュージック・キャラバン』のための移動中に途中の食べ物屋で昼食を摂る際にも、期待通りの味でなければ平気で「不味い!」と口外したために、久米はいつも辟易させられていたという。逆に期待を超える美味であれば、厨房に入って料理人に握手を求めるほど絶賛したという。, 料理番組に初出演したのはNHKの『きょうの料理』。初出演した放送回で扱った料理は牛肉とトマトの炒物で、材料のトマトを手で握りつぶして調理したため、多くのクレームを受けることとなった[7]。後にこの料理は歳月を経て、おなじNHKの『ごごナマ』で調理法も当時のままに再度紹介されている。放送内の「20分で晩ごはん」では20分以内に料理を作り終えてしまった際には、シャンソン歌手としての特技を生かし、余った時間でオリジナルソングを歌い尺を稼いだことがある。, 歌手活動も継続しており、90年代にはテレビアニメの主題歌を担当したほか、コンサートへもときどき出演している。, 株式会社オダジマと共同開発した多機能鍋「平野レミの鍋 ドゥ! 女性特有の薄毛の原因に独自にアプローチする「デルメッドヘアエッセンス」が、今なら半額の 2,250円(税込)!今すぐチェック!  #PR, あっと驚く発想と誰もが美味しいと思える味で、今や幅広い世代に大人気の料理愛好家・平野レミさん。早口と元気な笑顔がトレードマークだが、昨年、最愛の夫、和田誠さんが亡くなり、悲しい時期を乗り越えてきた。, 「一緒にいたのは47年間。あっという間だったわ。一緒にいたことが夢のようで、夫に会いたくて、一時は夢遊病みたいになっちゃった」, 二人が出会うきっかけは、当時、久米宏さんとコンビで出演していたラジオ番組を和田さんが聴いていたこと。和田さんはレミさんのしゃべりに「この人しかいない」と思い、麻雀仲間だった久米さんに紹介を頼んだ。, 「ところが久米さんが『あれだけは紹介できません。一生を棒に振りますよ』なんて言ったらしく、なかなか会えなかったのね。初めてのデートはTBS会館の『ざくろ』。話が楽しくて頭のいい人だなと思った。3日連続で会って、その後、和田さんがフランク・シナトラを見にラスベガスに行っちゃった。寂しくてね。帰ってきて結婚しようと言われて、『するする!』って即答。パンツ3枚持ってお嫁に行っちゃった!」, 「『和田さんの描く似顔絵を知ってる? ●ISBN:978-4-07-443298-1 All Rights Reserved. ・おいしさ保証つきのごはんもの 47年間、私の料理をおいしいおいしいって食べてくれて、本当にありがとう。 ... 和田誠、平野レミ→11歳年下 ... ずいぶん年の差のある夫婦だったんだなと思ったら平野レミが72歳だった 「もう1年たっちゃうんですね。いまでも毎日寂しくて。散歩していても和田さんがそばにいるような気がして、ついつい『今日も気持ちいい天気ね』って言っちゃいます。, 和田さんにはお仏壇は似合わないの。だからリビングのよく日の当たるところに、篠山紀信さんが撮ってくれた写真と、谷川俊太郎さんが夫のことを書いてくださった直筆の詩を飾っているの。, 毎朝、おいしいお茶を入れて、写真の和田さんの口元に『お父さんどうぞ』と、持っていくのが日課です。今朝も『今日は女性自身の撮影に行ってくるわね』って報告してきたわ」, 料理愛好家・平野レミさんの夫でイラストレーターの和田誠さん(享年83)が逝去してから10月7日で1年となる。寡黙な人柄で知られた和田さんと、天真爛漫なキャラクターでおなじみのレミさん。性格もまるで違ったふたりの出会いは48年前。和田さんの“一目ぼれ”だった。, 「彼は、当時私がラジオで共演していた久米宏さんともお友達だったから『あの子を紹介してくれないか』って頼んだらしいのよ。でも久米さんは『あれは紹介できません。一生を棒に振りますよ』ですって(笑)。, それでも和田さんは諦めずに別の人に頼んでくれて、テレビ局の近くでいっしょに食事をしたのが始まり。品があって懐が深そうで、1週間で結婚を決めちゃった」, 家庭に入り、そのまま主婦として穏やかな日々を送るつもりだった。しかし和田さんの友人たちの間でレミさんの料理が評判になる。そこからレミさんは雑誌やテレビで活躍し始めた。, 「みんなに『おいしい』って言ってもらえると、歌を歌ったときに拍手をもらったような嬉しい気持ちになるの。でも私を育ててくれたのは和田さんです。, たとえば、ある日『餃子パーティをしよう』って言って、赤塚不二夫さんをはじめとした、和田さんのお友達がたくさん家にいらしたの。でも何百個も作るのは面倒くさいじゃない? それで餃子の具をこねてレンジでチンして、湯通しした皮を上に乗っけてお酢と醤油とラー油をかけて出したら、赤塚さんが『すごいね、こりゃ“怠慢”だ』って言うわけ。, すると和田さんが『怠慢は怠慢でも、台湾の台に満州の満で“台満餃子”だ』って言ってくれた。いつも私が即興で作ったお料理に、愉快な名をつけてくれるのよ。, ほかにも、ボイルしたキャベツの上に湯通しした豚肉を乗せた料理は『“豚眠菜園(とんみんさいえん)”だね』って。私が仕事で文章を書くときもさっと添削してくれたりしました」, 「『レミは料理の学校に行っていたわけじゃないから“研究家”じゃなくて“愛好家”だね』って。私は料理愛好家で、夫愛好家。和田さんがいなければ、きっと“ふつうのおばさん”だった」, 精神的にも大きな支えだった。レミさんが仕事で忙しいことを察すると、職場から戻ってきてスニーカーも脱がないうちに「今日は外に食いに行くか」と、誘ってくれたという。, 「それで外食して『ああ、楽チンだったし、美味しかった!』って言うと、『レミのご飯がいちばんだよ』って。そんなこと言われたら、また頑張っちゃうわよね!, 今回のレシピを見てもらってもわかるとおり(※『女性自身』10月6日発売号では、夫婦思い出のレシピを掲載)、私の料理はどれも簡単なの。, そのかわりレトルトは使わない。作り方はアレンジしても、祖父や母から受け継いできた味を息子やお嫁さんに伝えていくことは、和田家にとってとても大切なことだと思うんです。, スキンシップならぬベロシップって呼んでいるんだけど。和田さんも、私と舌(ベロ)の感覚がいっしょだったみたい。一回も『まずい』だなんて言われなかった」, 「和田さんがいなくなっちゃったことが、まるで昨日のことみたいで。亡くなる前に『私と結婚したこと、(判断は)合ってた?』って聞いたら、ニコリと笑って『合ってたよ』ですって。, 私も来世の結婚相手は絶対和田さんがいいの。私が死んだら、お骨は和田さんのお骨とミックスしてねって家族みんなにお願いしているぐらい。, 『愛してる』なんて一回も言われたことなかったけど、結婚生活の47年間、作ったものはなんでもおいしいって食べてくれた。それがすべてです」.