4 歴代ダライ・ラマ; 5 参考文献 ; 6 関連項目; 固有名詞の分類. United States Congressional Gold Medal on 27 September 2006, Key to New York City from Mayor Michael Bloomberg|Bloomberg on 25 September, 2005, Jaime Brunet Prize for Human Rights on 9 October, 2003, Hilton Humanitarian Award on 24 September, 2003, International League for Human Rights Award on 19 September, 2003, Life Achievement Award from Hadassah Women's Zionist Organization on 24 November, 1999, Roosevelt Four Freedoms Award from the Franklin and Eleanor Roosevelt Institute on 4 June, 1994, World Security Annual Peace Award from the New York Lawyer's Alliance on 27 April, 1994, Berkeley Medal from University of California, Berkeley, on 20 April, 1994, Peace and Unity Awards from the National Peace conference on 23 August, 1991, Earth Prize from the United Earth and U.N. Environmental Program on 5 June, 1991, Advancing Human Liberty from the Freedom House on 17 April, 1991, Le Prix de la Memoire from the Fondation Danielle Mitterrand on 4 December, 1989, Raoul Wallenberg Human Rights Award from the Congressional Rights Caucus Human Rights on 21 July, 1989. ダライ・ラマ(Dalai Lama, ཏཱ་ལའི་བླ་མ་, taa-la’i bla-ma)は、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡。チベットとチベット人民の象徴たる地位にある。 チベットの僧 . ダライ・ラマ法王の登場は1世ゲンドゥン・ドゥプから始まり、4世まではその地位は宗教的主柱のみであった。5 5世ンガワン・ロサン・ギャツォ(1617年〜1682年)の時代に、宗教的・政治的最高指導者となり、その地位は、現在まで受け継がれている。 dga' ldan chos 'byung beedu'urya ser po/, kurung go'i bod kyi shes rig dpe skrun khang, 1989, 『チベットわが祖国』ダライ・ラマ自叙伝 木村肥佐生 1989/09 原著1962 中公文庫, 『愛と非暴力 』ダライ・ラマ仏教講演集」ダライ・ラマ仏教講演集ダライ・ラマ(14世)/三浦順子 1990/04 春秋社, 『雪の国からの亡命』チベットとダライ・ラマ 半世紀の証言 ジョン・F・アドベン 三浦順子・他・訳 1991/01 原書 1984, 『ダライ・ラマ自伝』ダライ・ラマ /山際素男 1992/01 文藝春秋 単行本 336p 文庫本化 2001/06 文藝春秋, 『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』 輪廻転生-生命の不可思議 14世ダライ・ラマ 1994/07 クレスト社 単行本 235p, 『ダライ・ラマの密教入門』 秘密の時輪タントラ灌頂を公開するダライ・ラマ(14世) /石浜裕美子 1995/12 光文社 原書 Kalachakra Tantra Rite of Initiation For the Stage of Generation 1985 1989, 『宇宙のダルマ』 ダライ・ラマ十四世 永沢哲・訳 1996/11 原著 THE WORLD OF TIBET BUDDHISM 1995, 『瞑想と悟り』 チベット仏教の教え ダライ・ラマ14世著 柴田裕之 1997/07 NHK出版  原著 THE WAY TO FREEDOM Core Teaching of Tibetan Buddhism 1995, 『チベットの七年』新装復刊 ダライ・ラマの宮廷に仕えて ハインリヒ・ハラー 福田宏年・訳 白水社 1997年 原著1966, 『ダライ・ラマの仏教入門』 心は死を超えて存続する ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャムツォ 石濱裕美子・訳 2000/06 光文社知恵の森文庫 1995年光文社刊 原著 The Meaning of Life:Buddhist Perspective on cause and effect 1992, 『バイオグラフィー 20世紀の指導者~ダライ・ラマ14世』 2000年7月 45分, 『高僧の生まれ変わり「チベットの少年」』イザベル・ヒルトン 三浦順子・訳 2001/09 世界文化社 原書1999, 『ダライ・ラマ 怒りを癒す』ダライ・ラマ十四世・著 三浦順子・訳 2003/03 講談社ペック 原書 1997 HEALING ANGER, 『ダライ・ラマ、生命と経済を語る』ダライ・ラマ(14世) /ファビアン・ウァキ 中沢新一/鷲尾翠・訳 2003/03 角川書店, 『ダライ・ラマ  ゾクチェン入門』ダライ・ラマ /宮坂宥洪 2008/08 春秋社, 『ダライ・ラマ その知られざる真実』ジル・ヴァン・グラスドルフ /鈴木敏弘 2004/06 河出書房新社 原書 LE DALAI LAMA 2003, 『思いやりのある生活』 ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャムツォ 沼尻由起子 2006/03 光文社 原書 The Compassionate Life 2003, 『目覚めよ仏教! ダライ・ラマとの対話』 上田紀行2007/06 日本放送出版協会 全集・双書, 『ダライ・ラマ 実践の書』ダライ・ラマ(14世) /ジェフリー・ホプキンス 宮坂宥洪・訳 2010/01 春秋社, 『ダライ・ラマの「中論」講義---第18・24・26章』ダライラマ14世テンジンギャツォ (著) マリア リンチェン (翻訳) 2010/05 大蔵出版, 『ダライ・ラマ法王、フクシマで語る』 苦しみを乗り越え、困難に打ち勝つ力 ダライ・ラマ14世/下村満子 2012/03 大和出版. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 17:52 UTC 版), ダライ・ラマのページの著作権Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。, ビジネス|業界用語|コンピュータ|電車|自動車・バイク|船|工学|建築・不動産|学問文化|生活|ヘルスケア|趣味|スポーツ|生物|食品|人名|方言|辞書・百科事典, 現在、中国語圏では、リンポチェと呼ばれる化身ラマが法王号をもって尊称されることがある。例えば、20世紀亡命, ラサンはグーシ・ハーンの嫡曾孫で、1703年から1717年までチベット・ハンに在位。, 前近代のチベットの宗教と社会を研究している社会人類学者ジェフリー・サミュエルは、実情としてはダライ・ラマの属するゲルク派とカルマパの属するカルマ・カギュ派の間にはいまだにある種の緊張関係があることを指摘している, IN THE HIGH COURT OF NEW ZEALAND AUCKLAND REGISTRY, tshangs-dbyangs rgya-mtsho ཚངས་དབྱངས་རྒྱ་མཚོ་, tshul-khrims rgya-mtsho ཚུལ་ཁྲིམས་རྒྱ་མཚོ་, bstan-'dzin rgya-mtsho བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་, All text is available under the terms of the. Honorary citizenship of Ukraine, during the anniversary of the Nobel Prize on 9 December, 2006 in Mc Leod Ganj. isbn 4-393-13278-5。 ダライ・ラマ『ダライ・ラマ自伝』山際素男訳、文藝春秋〈文春文庫〉、2001年6月。 isbn 4167651092。 永沢哲『瞑想する脳科学』講談社〈講談社選書メチエ〉、2011年。 isbn 9784062584999。 フランソワーズ・ポマレ『チベット』今枝由郎監修、後藤淳一訳、創元社 … ダライ・ラマ14世 ( 1935年 7月6日 〈 チベット暦 5月6日〉- )は、第14代 ダライ・ラマ (在位: 1940年 - ) 。 法名は テンジン・ギャツォ ( チベット文字 : བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་ ;  ワイリー方式 … ダライ・ラマ4世ユンテン・ギャツォは、1589年モンゴルで、アルタン・ハーンの孫で、チョカール族の族長であったツルティム・チョージェと、その二番目の妻であるパケン・ヌラの間に生まれた。 Mark Sappenfield and Peter Ford (March 24, 2008). ダライ・ラマ(Dalai Lama, ཏཱ་ལའི་བླ་མ་, taa-la’i bla-ma)は、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡。チベットとチベット人民の象徴たる地位にある。, その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものである[1]。, ダライ・ラマは17世紀(1642年)に発足したチベット政府(ガンデンポタン)の長として、チベットの元首の地位を保有し、17世紀から1959年までの間のいくつかの特定の時期において、チベットの全域(1732年以降は「西藏」を中心とする地域)をラサから統治するチベット政府を指揮することがあった。現ダライ・ラマ14世は、チベット動乱の結果として1959年に発足した「チベット臨時政府(のち中央チベット行政府、通称チベット亡命政府)」において、2011年3月14日に引退するまで政府の長を務めていた。現在のチベット亡命政府では、「チベットとチベット人の守護者にして象徴」という精神的指導者として位置づけられている。, チベット仏教では、チベットの国土と衆生は「観音菩薩の所化」と位置づけられ、チベットの人々は観音菩薩をチベットの守護尊であると考えるようになった。ダライ・ラマはその観音菩薩の化身とされる転生系譜である。ラサのポタラ宮は、第五世以降の歴代ダライ・ラマの居城であり、チベット仏教における聖地となっている。チベット仏教の信者らはその居城へ一生に一度は巡礼することを目標としており(最も聖なる巡礼方法は五体投地とされる)、信者らからはイーシン・ノルブ(如意宝珠の意)と尊称される存在である。日本ではチベット仏教の法王とも呼ばれる[2]が、チベット仏教で法王と呼べる存在は、かつて明朝より大宝法王の称号を贈られたカルマ派のカルマパや、北ドゥク派のギャルワン・ドゥクパなど複数存在する[注釈 1]。, 多くの場合、ダライ・ラマはゲルク派の指導者であると考えられているが、ゲルク派の首座はガンデン・ティパ(ゲルク派の総本山ガンデン寺の座主)であり、ダライ・ラマもゲルク派の中ではガンデン・ティパの属下にある。ただし、ガンデン・ティパという地位はダライ・ラマによって任命される任期制の役職であり、実際に多大な影響力を有しているのはダライ・ラマの方である。, ダライ・ラマはゲルク派の有力な宗教指導者から始まった転生ラマ制度であったが、ダライ・ラマ5世の代に至ってチベットを支配する政治的権威をも身にまとうようになった。第六世以降のダライ・ラマはモンゴルや清朝という外部勢力によって改廃させられたり、未成年時には摂政が政務を代行したため、ダライ・ラマ本人がつねに実権を掌握していたわけではなかった。とはいえ、観音菩薩の化身たるダライ・ラマに具わるある種の理念的な権力はつねに機能しており、清朝などの介入者や実権を握った摂政らも、その権威を否定することはできず、少なくとも形式上はダライ・ラマの教導に従う態度を示していた[3]。, 「ダライ・ラマ」は、16世紀のモンゴル諸部族の間で最有力指導者であったアルタン・ハーンより贈られたモンゴル語の称号に由来し、アジア、欧米などで広く用いられる通称。チベット語でも、ཏཱ་ལའི་བླ་མ་ (taa-la’i bla-ma)[注釈 2] と表記されるが、チベットでは対外的文書などに用いられるにすぎず、チベット人の間では敬称として「ギャルワ(またはギャワ、ラサ方言ではゲェワ)・リンポチェ」(猊下に当たる敬称、貴い勝者の意)や「クンドゥン」(御前)などと呼ばれる。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所では、日本語名称は「ダライ・ラマ法王」、敬称は「猊下」(His Holiness)としている。仏教史『ヴァイセル』では「タムチェキェンバ (thams cad mkyen pa)」、同『パクサムジョンサン』では「ギャルワン (rgyal dbang)」の称号で呼ばれている。, ラテン文字慣用表記:Dalai Lama, チベット語:ཏཱ་ལའི་བླ་མ་; ワイリー方式:taa-la’i bla-ma, 中国語簡体字:达赖喇嘛; 繁体字:達賴喇嘛; 漢語ピンイン:Dálài Lǎmāなど。, ダライ・ラマが没すると、その遺言や遺体の状況、神降ろしによる託宣、ラサから約145キロの地点のチョコル・ギャルにあり、ダライ・ラマの護法尊パルデン・ハモ(吉祥天母)の魂が宿るとされる聖なる湖であるラモイ・ラツォ湖の観察、夢占い、何らかの奇跡などを元に僧たちによって次のダライ・ラマが生まれる地方やいくつかの特徴が予言される。その場所に行って子どもを探し、誕生時の特徴や幼少時の癖などを元にして、その予言に合致する子どもを候補者に選ぶ。その上でその候補者が本当の化身かどうかを前世の記憶を試して調査する。例えば、先代ゆかりの品物とそうでない品物を同時に見せて、ダライ・ラマの持ち物に愛着を示した時、あるいはその持ち物で先代が行っていたことと同様の癖を行ったりした場合に、その子どもがダライ・ラマの生まれ変わりと認定される。, 認定された転生者は幼児期にして直ちに法王継承の儀式を受けるが、この時点ではあくまで宗教的権威に留まる。成人に達すると(通例は18歳)「チベット王」として改めて即位を執り行い、初めて政治的地位を持つこととなる。先代の遷化(死亡)から新法王の即位までの間は、摂政が国家元首の地位と政務を代行する。, ダライ・ラマ1世ゲンドゥン・ドゥプパ(1391年 - 1474年)は、チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパの直弟子であった。一世から四世(1589年 - 1617年)までのダライ・ラマは、チベットと周辺地域で広く尊敬を集めた学僧であったが、「偉大なる五世」と呼ばれるダライ・ラマ5世ガワン・ロサン・ギャツォ(1617年 - 1682年)は、優れた学僧であっただけでなく、モンゴルの豪族グーシ・ハーンの後ろ盾を得て、1642年にチベットの政治的支配者となったとされる[4][5]。以来、歴代ダライ・ラマは、チベットのみならずモンゴル人や満州人にも影響力をもつ宗教的権威者の立場と、チベットを統べる政治的権威を有する君主の立場とを兼ね備えた僧侶君主となり、チベット第一の都市であるラサを基盤とする政体(ガンデンポタン)の最高権威者として君臨した。しかしその後の歴史の中では、ダライ・ラマ本人がつねに名実ともにその権力を掌握していたわけではなく、とりわけ九世から十二世までのダライ・ラマはいずれも夭折したため、実権を行使して親政を行うことがほとんどなかった[6]。, ダライ・ラマという称号はモンゴル人の支配者アルタン・ハーンが当時のデプン寺の座主であったスーナム・ギャツォを師と仰ぎ、贈った称号。この時の正式な称号は「ダライ・ラマ・バジュラダーラ」 Dalai-bla-ma bazra dhari といった。最初にダライ・ラマの称号を用いたのはスーナム・ギャツォであったが、かれを一世とはせず三世とし、遡ってゲルク派の宗祖ツォンカパ大師の弟子ゲンドゥン・ドゥプパを一世とした。「ダライ」とは、モンゴル語で「大海」を意味する。「ラマ」はチベット語で「師(教師・指導者)」を意味する。第二世ゲンドゥン・ギャツォ以来、歴代の法名に襲名されている「ギャツォ」[注釈 3]とはチベット語で「海」を意味し、モンゴル語の「ダライ」と対応する。, ダライ・ラマの名跡は、ゲルク派の宗祖ツォンカパの高弟ゲンドゥンドゥプを初代とし、代替わりが進むにつれ、ラサ三大寺のセラ・デプン両寺の座主職を兼任するようになるなど、ゲルク派内の地位を高めていった。また、同派のモンゴル布教の最前線に立ち、1578年第三世スーナム・ギャツォが当時のモンゴルの最高実力者アルタン・ハーンとチョ・ユン関係(施主・福田)を築くなど、モンゴルに対する大きな影響力をも持つようになった。, 1636年、後金の王ホンタイジが、ボルジギン氏(チンギス・ハーンの子孫)ではないにもかかわらず大ハーンの地位に即位(即位と同時に国号を大清と変更)するという事態が起きたとき、ハルハとオイラトの諸部は友好使節団を派遣して愛新覚羅氏による「大ハーン」位継承を追認したが、この使節団は名目上、「清朝によるダライラマへの使者派遣に、自分たちの使者も同行させてほしい」ことを申し入れることを目的としていた。, ホシュート部の指導者グーシ・ハーンは、清朝に使節団を派遣した1637年よりチベットの征服に着手、オイラト軍を率いて1642年までに中央チベット・アムド・カムなどチベットの大部分を制圧した。グーシ・ハーンはアムドをホシュート部の直轄地とし、中央チベット全域をダライ・ラマに寄進して広大なダライ・ラマ領とした。これをもってダライ・ラマを頂点とする政権が中央チベットに樹立されることになった。その後グーシ・ハーンも初代摂政スーナム・チュンペルも相次いで亡くなったため、ダライ・ラマ5世は着々と自らの権力を固めることができ、かれをチベットの最高権威として擁立せしめたモンゴル人たちの宗主権は有名無実と化した[7]。また、当初ダライ・ラマ政権は中央チベットのみに支配を及ぼしていたが、後にその支配地域を拡大していくことになる[8]。こうして名実ともにダライ・ラマ5世がチベットの支配者となったとされる。, ダライ・ラマの信者であるグーシ・ハーンによるチベットの制圧は、チベットの宗教界と世俗の権力構造に大きな変動をもたらした。ダライ・ラマの名跡は、それまでの「ゲルク派の有力名跡」という宗教的権威のみならず、チベットで最も肥沃で人口稠密なダライ・ラマ領を掌握するのに加え、グーシ・ハーン一族や、グーシ・ハーン一族に従属する諸侯たちの領主権の認定、各地のゲルク派寺院の人事権の認定に携わるなど、宗教的・世俗的な権威と権限をチベットにおける支配地域で行使するという、聖俗両権を一身にまとう地位となった。, ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォによる比丘戒の不受と沙弥戒の返上、その後の放蕩は、1642年以来ダライ・ラマ擁立の後ろ盾となってきたグーシ・ハーン一族の分裂をもたらし、ツァンヤン・ギャツォに替えて別の六世エシェ・ギャツォを擁立する「ラサン派」[注釈 4]と、中国へ流刑される途上1705年に死去したツァンヤン・ギャツォの「生まれ変わり」として擁立されたケルサン・ギャツォを擁する「反ラサン派」が対立することとなった。, 対立は、オイラト本国(当時ジュンガル部が支配)や清朝などの外部勢力を巻き込んだ戦乱の果て、1720年、ケルサン・ギャツォがダライ・ラマとして正式に即位する形でとりあえず決着した。ただしチベット人やモンゴル人たちがケルサン・ギャツォを「ツァンヤン・ギャツォの生まれ変わりであるダライラマ7世」として認定したのに対し、清朝は当初「ロサン・ギャツォの生まれ変わりであるダライラマ6世」として扱った。清朝がケルサン・ギャツォのダライラマとしての代数を、チベット人・モンゴル人が認定している通り七世として認めるのは、18世紀末、康熙帝の曾孫嘉慶帝の代まで下る。, ダライ・ラマ8世の代に起こったグルカ戦争を機に、清朝の乾隆帝は化身ラマの選定方法に介入し、「セルブム(黄金の瓶)」をチベットに贈り、ダライ・ラマとパンチェン・ラマなど化身ラマの大名跡の認定にこの瓶を活用するよう求めた(→金瓶掣籤。ダライ・ラマについては、10世から12世までの選定に用いられた)。, 19世紀初頭にダライ・ラマ8世が遷化して以来、ダライ・ラマの転生者の捜索はチベット貴族の勢力争いの場となり、恣意的な人選が行われた。この時期の四代のダライ・ラマはいずれも早世しており、十世から十二世までのダライ・ラマは政治的実権を握る成人前後に急逝している[注釈 5][注釈 6]。このような状況下で有力僧侶や貴族が摂政となって実権を握り、貴族や大寺院の権力争いや陰謀が横行する混迷の時期が続いた。ダライ・ラマ7世遷化の後、ラサの四大院の名跡の中のひとりがガンデンポタンの首班ギャルツァプ(rgyal tshab)職に就く体制が成立した。 Key to San Francisco from Mayor Dianne Feinstein|Feinstein on 27 September, 1979, 『ダライ・ラマ 平和の哲学』斎藤巌, 斎藤保高訳 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 1992, 『ダライ・ラマ 慈悲の教え』山際素男訳 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 1994, 『心と生命 <心の諸科学>をめぐるダライ・ラマとの対話 徹底討議』フランシスコ・J.ヴァレーラ,ジェレミー・W.ヘイワード編著, 『ダライ・ラマの密教入門 秘密の時輪タントラ灌頂を公開する』石浜裕美子訳 光文社 1995、同知恵の森文庫 2001, 『ダライ・ラマ瞑想入門 至福への道』ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ監訳 鈴木樹代子訳 春秋社 1997, 『幸せに生きるために ダライ・ラマが語る15の教え』塩原通緒訳 角川春樹事務所 2003 「世界平和のために」文庫, 『ダライ・ラマ14世法王の政治哲学 スピーチ・著作集より 第1巻』A.A.シロマニー編 ペマ・ギャルポ監訳 山本長一 [ほか]訳 万葉舎 2003, 『ダライ・ラマ、生命と経済を語る』ファビアン・ウァキ共著 中沢新一,鷲尾翠訳 角川書店 2003, 『ダライ・ラマ大乗の瞑想法』クンチョック・シタル監訳 鈴木樹代子訳 齋藤保高原典訳 春秋社 2003, 『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』ダニエル・ゴールマン共著 加藤洋子訳 アーティストハウスパブリッシャーズ 2003, 『Love?愛ってなんだろう』マリア・リンチェン同時通訳 マーブルトロン 2004, 『ダライ・ラマ死と向きあう智慧』ジェフリー・ホプキンス編 ハーディング祥子訳 地湧社 2004, 『ダライ・ラマ法王の実践幸福論』ロスアルトス・スタディー・グループ編著 ペマ・ギャルポ訳 あ・うん 2005, 『ヒューマン・バリュー 人間の本当の値打ちとは』宮坂宥洪編訳 マリア・リンツェン原訳 四季社 2007, 『ダライ・ラマのビジネス入門 「お金」も「こころ」もつかむ智慧!』ローレンス・ファン・デン・ムイゼンバーグ共著 岩木貴子訳 マガジンハウス 2008, 『ダライラマ真実の肖像』クロディーヌ・ベルニエ=パリエス文 神田順子訳 二玄社 2009, 『ダライ・ラマ スピリチュアル・メッセージ』クンチョック・シタル, 阿門朋子訳 春秋社 2010, 『ダライ・ラマの「中論」講義第18・24・26章』マリア・リンチェン訳 大蔵出版 2010, 『ダライ・ラマこころの自伝』ソフィア・ストリル=ルヴェ編 ルトランジェ治美訳 春秋社 2011, 『ダライ・ラマ宗教を越えて 世界倫理への新たなヴィジョン』三浦順子訳 サンガ 2012, 『ダライ・ラマ珠玉のことば108 心の平安を得るための仏教の知恵』カトリーヌ・バリ編 前沢敬訳 福田洋一監修 武田ランダムハウスジャパン 2012, 『ダライ・ラマ法話 文殊の智慧による救い』クンチョック・シタル,阿門朋子訳 薄井大還撮影 春秋社 2012, 『ダライ・ラマ誰もが聞きたい216の質問』ラジーヴ・メロートラ編 瀧川郁久訳 春秋社 2013, 『思いやること こころを育てるための小さなコツ』ジェフリー・ホプキンス編 長澤あかね訳 東洋出版 2014, 「成田会見全文掲載」季刊誌『ジッポウ』6号(2008夏号)特集「平和なれチベット」ダイヤモンド社、2008年, 石濱裕美子・訳『ダライ・ラマの密教入門―秘密の時輪タントラ灌頂を公開する』光文社、1995、, フランシスコ・J・ヴァレーラ, ジェレミー・W・ヘイワード編著; 山口泰司, 山口菜生子・訳 『心と生命 ―「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話 -徹底討議- 』, 新谷淳一・訳『ダライ・ラマが語る―母なる地球の子どもたちへ』紀伊國屋書店、2000、, +ファビアン ウァキ、中沢新一及び鷲尾翠・訳『ダライ・ラマ、生命と経済を語る』角川書店、2003、, クンチョック・シタル監訳 鈴木樹代子・訳 斎藤保高・原典訳『ダライ・ラマ大乗の瞑想法』春秋社、2003、, ジェフリー・ホプキンス・編 ハーディング祥子・訳『ダライ・ラマ 死と向きあう智慧』地湧社、2004、, 宮坂宥洪・訳『ヒューマン・バリュー―人間の本当の値打ちとは』四季社(チッタ叢書)、2007、.