アニメ「サザエさん」のゆかいな12か月, アニメ『サザエさん』放送50周年記念ブック サザエさんヒストリーブック1969-2019. サザエさん - オフィシャルサイト。毎週日曜よる6時30分放送。「サザエさん」がテレビで放送開始されたのは昭和44年。いつも明るく楽しいサザエさん一家と共にほのぼのとした日曜の夕方をお迎えくださ … !」内の過去のダイジェストで「昭和59年、南国の旅」として紹介。, 誕生65周年記念(アニメの後にはドラマ版も放映)。作品No.6420。1月2日放送。「放送開始42年にして初!家族揃って里帰り!福岡でお正月」(放送日前後の番組表より)。磯野家はフェリーで九州入り(, サザエさん放送45周年 アニメ&ドラマで2時間半SP。 作品No.6975。12月1日放送。, サザエさん放送50周年記念スペシャル 作品No.8018。11月24日放送。作中の時期は2020年1月~4月に設定されている。, 7000話を超す膨大な量の中から秘蔵映像やトリビアを見せる単発バラエティ番組放送→2013年(平成25年)11月26日放送『アニメ・サザエさんの秘密徹底解明スペシャル』(『, 視聴者の家族に関する体験談に基づいたエピソードを募集し制作、及びそれに伴うアニメ出演権をかけたオーディションを実施し、その結果28家族の出演が決定、2019年11月に3家族を先行出演してから残り25家族が2020年7月までに順次出演する。, 磯野藻屑源素太皆 - 永井一郎(1970.2-2013.4)→茶風林(2014.3-), 早川の父 - 田中秀幸(2016.10-2018.11)→坂巻学(2019.10), 伊佐坂軽 - 不明(1970.8-1978)→山田礼子(1985.7-)→不明(?), 伊佐坂浮江 - 不明(1970.8-?)→落合美穂(1974)→不明(?-1978)→, 堀川 - 白川澄子(1971.7-?)→不明(?)→塚田恵美子(1979-2013.12)→小林さやか(2014.1-), 大島ミユキ - 桂玲子(?)→冨永みーな(1989-1998)→川崎恵理子(1998-2020)→, 裏のおじいちゃん - 不明(1970.7-?)→峰恵研(1985-2002.2)、村越伊知郎(?)→伊井篤史(2002.2-2013.10)→, イカコ - 白川澄子(?)→冨永みーな(?)→川崎恵理子(2008)→平井祥恵(2019), TCJ動画センター→エイケン - 堀越唯義、小室常夫、関孝行、毛内節夫、山口秀憲、一色弘安、, アニメOPでは初代は1番のみが使われ、この際はイントロから開始されていた。1970年春から2年間、2番と4番, 歌唱者である宇野にはアニメ放送時に流される分の印税は入らず、放送開始時に行われたレコーディングの際のギャラも3000円(当時の大卒初任給は3万円)だった。これは番組の放送期間がここまで長続きするとは思っていなかったこともある, 1998年8月2日放送の『ちびまる子ちゃん』の「いつもとちがうメンバー」という話のラストで同曲が流れている。, 開始当初は「曲の合間のサザエさん一家の台詞」が入っており、またBメロは、現在も使用されている「3番のBメロ」の前に、「2番のBメロ」が入っていた。, 現在の次回予告のBGMは、「レッツ・ゴー・サザエさん」のインストゥルメンタル、かつアレンジバージョンである。また、記念回(1周年・2周年・50周年アバンパート)や家族旅行編などの際には(過去には2分ほどの短尺作品の劇中でも)、同曲のカラオケバージョンがBGMとして使用されている。また、2014年10月5日のスペシャルのエピソード『レッツゴーサザエさん』(作品No.7147)で、同曲及び「星を見上げて」を再歌唱したものが使用された, レッツ・ゴー・サザエさん / カツオくん(星を見上げて)(東芝音楽工業/東芝レーベル), 火曜版主題歌のうち、原作サイドから水森亜土の歌った2曲(「愛しすぎてるサザエさん」「サザエさん出発進行」)が「『サザエさん』のイメージに合わない」といったクレームがあった, オープニングの最後は季節によって異なる果物や木の実が2つ表れ、制作社のクレジット(現在は「制作 フジテレビ、エイケン」となっている, 次いて、季節ごとに変わる大小の花が咲いては消える映像を背景に、一家がスキップしながら画面の奥から前に近づく映像となる。東芝一社提供時代は、一家の後ろにある「TOSHIBA」のロゴ, サザエさんと日本の春・夏・秋・冬を楽しもう! © Fuji Television Network, inc. All rights reserved. ç”ºå­ç¾Žè¡“館© Fuji Television Network, inc. All rights reserved. 閉じる. 磯野家の人々~20年後のサザエさん~ - オフィシャルサイト。10月にアニメ放送50周年を迎える『サザエさん』。その記念すべき年に、天海祐希主演にて、サザエさん一家の20年後を描くspドラマ『磯野家の人々~20年後のサザエさん~』をお送りします。 サザエさん - 公式ホームページ。毎週日曜よる6時30分放送。「サザエさん」がテレビで放送開始されたのは昭和44年。いつも明るく楽しいサザエさん一家と共にほのぼのとした日曜の夕方をお迎えください。 !の巻」「柔道の巻」「秋はもみじの物語の巻」だった。, 磯野家一家を紹介する「サザエさん一家の素顔」、磯野家の先祖が登場する「カツオいその家のルーツを探る」、「思い出まとめて名・珍場面」の3本で構成。オープニング・エンディングも特別仕様とし、オープニングはサザエさんが放送を開始した1969年から1989年までの世相をアニメで紹介、エンディングはサザエが過去に全国各地を旅したものを放送した[8]。, 村田英憲の企画で[31][32]、主にエイケン(旧・TCJ)が制作している。スポンサー枠は放送開始から老舗の広告代理店である宣弘社(現:電通アドギア)が1985年頃まで取り扱い、エイケンと共に製作クレジットされていた。現在の代理店は電通である[33]。また、エイケンは2002年にADKの子会社となっており、2011年7月3日放送分より同社の松下洋子がプロデューサーとなっている。, 宣弘社側は当初日曜19時30分の枠を要望していたが、フジテレビ側はその枠は空けられないとし[注 23]、『忍風カムイ外伝』の後番組として日曜18時30分枠での放送となった[31][32]。企画は早急に進められたため、企画書は原稿用紙1枚だけであったという[31][32][34]。なお、『忍風カムイ外伝』の後番組は当初『ワタリ』が予定されており、パイロット版も制作されていた。, 企画時に長谷川町子の姉・毬子とエイケンや宣弘社の松本美樹との間で行き違いが生じ、最終的に宣弘社の大場徳次が1人で長谷川側と交渉することとなった[31][32]。その後、大場は18年間本作品を担当した[31]。, 宣弘社のクレジットが外れた理由について、宣弘社3代目社長の小林隆吉は長谷川毬子と宣弘社の担当者との間に不和が生じたことによると証言している[34]。, 放送にあたって、長谷川町子はいくつかの条件(ファッションなど流行ものは扱わない、ブラックユーモアは避ける、夕食時間帯であることを考慮する…など)を出し、その代わり制作にはノータッチであった[35] とされていたが、実際には完成作品に意見を出したり、制作する話には原作を使用することを義務づけるなど、少なからずアニメ制作には関与し続けた[36]。放送から数年後に、原作のストックが切れたことから完全オリジナルストーリーによる製作が持ち上がった際には、「歌舞伎は同じ演目を繰り返し続けてるから原作も繰り返し使用すべし」と要望し現在のスタイルを確立させるなど、以降の制作に影響を与えた部分もある[36]。, 放送初期は『トムとジェリー』をベースにしたドタバタ調のギャグアニメであり、キャラクターデザインのタッチも原作にかなり近いものであった[37]。しかし原作と大きく違うテイストに苦情が多く[38]、1971年放送分からドタバタギャグの演出が抑えられ、同年10月頃には現行に近いキャラクターデザインに変更された。その後も原作に忠実なギャグ路線は堅持していたが、1975年頃には現在の平穏なホームドラマ路線に転換したとされている[38]。, 内容は、季節に合ったものを原作(2013年時点で使用できた作品の数は約2500話[39])の中から抽出し組み合わせて構成している。制作の項目で述べた一件もあり、既に使用した原作作品を繰り返し使用することが通例となっている。なおその際は間隔を2年以上空け、内容も若干変更し[39][40]、1話につき最低1本の原作作品が組み込まれるよう作られる[41][42]。また、児童向けで姉妹作品の『わかめちゃんとかつおくん』を原作とした回もある。年中行事を題材とした回は必ず組み込まれ、家族旅行やボーナスなどの話題は毎年繰り広げられている。カツオやワカメの学校における進級には触れられないが、過去の放送でカツオが修学旅行に参加したエピソードもある。年内最後の放送終了時は、一部の年を除いて磯野一家が翌年の挨拶を行なう。サザエなどほとんどのキャラクターの服装は毎回変更されており、同じ服装が再度使われることはない[41]。, 製作には、2013年9月まで長年セル画を使用しており、1話を完成させるには3カ月半の期間が掛かっていた[40][注 24]。2007年に、エイケンはセル画を採用している理由として「セル画の映像は微妙に線が揺れ、温かみのある画像になる。それが視聴者に安心感を与える」と述べて、こだわりを見せていた。しかし、セル画はハイビジョン画像との相性が良くなく[注 25]、「視聴者から『サザエさん』は他に比べ映像が汚いと苦情が来れば、セル画を断念せざるをえない」との見解も示していた[43]。そのような将来への対応のため、オープニングおよびエンディングと、CM、FNSの日スペシャル・特番などの特別版など、徐々にデジタル制作へ移行し始めていき[注 26]、最終的に2013年10月6日放送分からは、全編完全デジタル制作に移行した[44]。, 2000年代頃からのアニメーション作品には珍しく、一話ごとに脚本・作画などの主要スタッフ名や作品ナンバーを表記しているが、作品ナンバーはあくまで作品を管理するために振られた通し番号であり、実際の放送にあたっては各作品の放送時期と内容を考慮して編成されている[注 27] ため、話数と作品ナンバーの順番は一致しておらず、ランダムになっている[35]。, 現在まで映像ソフト(VHS・DVD)は一度も発売されていない[注 28]。また、長年各種の有料配信すら行われておらず、過去の作品を視聴できる機会は、後述の『まんが名作劇場 サザエさん』(1997年に放送終了)と長谷川町子美術館での上映、スペシャル番組などで不定期に再放送された時程度に限られていたが、2018年12月26日より、放送50周年を記念してフジテレビの有料配信サービスFOD及びスポンサーの一社であるAmazonの有料会員向けサービスプライム・ビデオにて、放送開始年である1969年10月5日から1977年10月23日放送分までのエピソードがデジタル化され配信されている[22]。ただし、諸事情により、初代のOP映像は2代目のもの(初代のマイナーチェンジ版で東芝クレジットを削除したもの)に差し替えられている。現存するフィルムの状態を鑑み、一部の作品は「6周年傑作集」(先述)の再放送時の映像と差し替えられている他、一部の回(6周年傑作集を含む)と次回予告はネガの破損で再生不可能な状態にあるため、欠番となっている[45]。制作された当時の時代的背景と作品のオリジナリティを考慮し、現代では不適切とされる表現(放送禁止用語)には修正を加えず、作品完成時の原版通り配信されている。2000年代後半の作品の一部も配信されている。, 波野一家は先にノリスケの実家に帰省しており、島原城で合流。南阿蘇鉄道高森線にある日本一長い名前の駅「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」が登場。登場人物。, 太字表示の一部については1999年放送「サザエさん一家の珍諸国漫遊記」で取り上げられる。, 平常放送時間はゴールデンタイム直前の時間帯(18:30 - 19:00)で改編期特番による休止はほぼ発生しないが、前座番組の『ちびまる子ちゃん』と同様、ゴールデンタイム番組に比して長時間拡大スペシャル版は少ない。近年では[いつ? ]日本シリーズなどのスポーツ中継や『ちびまる子ちゃん』のスペシャルを放送した関係で休止した事例がある。年末年始に日曜日が含まれ、大晦日が該当する場合には平常通りに放送し、正月三が日には特番編成で休止する場合が多い。, オイルショックや新型コロナウイルスの感染拡大の影響で収録がストップした際には、約1か月間に渡り再放送を行った。, かつては年末年始特番の開始時刻が19:00ということもあり、1980年代前半までは正月三が日であっても平常通りに放送されていた。特に1978年(昭和53年)には、初めて元日(1月1日)に通常放送を行った。, 作品編成は独立した内容を3話扱う3本編成(初回放送から固定)だが、3本中に前後編の2部編成が組み込まれる場合がある。過去にはBパートを短縮し、Cパートとの間に毎週季節ごとの題材に沿った2分程度の4コマ漫画を繫いだ作品が放送されていた時期があった。予告編でも4本の話が放送されると紹介されていた。なお、この作品にはBGMとして「レッツゴー・サザエさん」が全編にわたり流れていた。2010年12月26日放送分は1本の作品を3パートに分けてとるという特殊な構成をとった。また、話1本は約6分55秒である[42]。, ポケモンショックの発生以後、Aパートの冒頭では画面上に「お子さまへ!テレビをみるときはへやをあかるくして、できるだけはなれてみてください」と表示されている。当初はロールスーパーで流れていたが、後に固定表示に変更されている。, 平均視聴率は1989年(平成元年)1月15日から2008年(平成20年)11月時点で22.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。以下略)[40]、平均最高視聴率は1979年(昭和54年)9月16日放送の39.4%、1977年9月26日以降のアニメ全体歴代高視聴率2位[注 31]。, 2005年、大和総研は本作視聴率と東証株価指数 (TOPIX) の相関係数は0.86[57] であることを発表しており、本番組放送時間帯は、景気良好時に外食等の外出で視聴率が低下し景気悪化時は出費を避け家庭内で過ごすことから、視聴率上昇に繋がる、と分析し連動性を示唆している。, 2014年にテレビアニメ放送開始45周年を迎えたため、2013年10月から約1年間、45周年プロジェクトが行われていた。, 2019年にテレビアニメ放送開始50周年を迎えたため、2018年10月より約1年間の予定でビッグプロジェクトを展開している。, レギュラー放送の他、1975年(昭和50年)4月1日から火曜日19時 - 19時30分にオープニングとエンディングを新規作成した再放送『まんが名作劇場 サザエさん』[注 33] も放送したが、本放送は東芝単独スポンサーであったため、フジテレビ系列外の青森テレビ(TBS系列)では日曜夕方→月曜16時→金曜16時に、IBC岩手放送では月曜夕方に、テレビ山梨では日曜午前中にそれぞれ放送した。本放送のネット局だった南日本放送でも1988年から1992年のフジテレビ系列番組一斉打ち切りまで放送された。, 『火曜ワイドスペシャル』が2時間に拡大された場合やプロ野球などのスポーツ中継の場合は休止したが、1991年から1993年はナイター中継が19時30分開始であるためにプロ野球シーズンでも通常通り放送された。, 原作者・長谷川町子死去報道後のフジテレビでの放送回(1992年6月30日)は、番組ラストをブルーバックに差し替えて哀悼の意と故人の遺志による放送継続を表した。, 火曜版も日曜版同様に高視聴率の人気コンテンツとして22年8カ月間にわたり親しまれたが、1997年(平成9年)11月18日の放送を最後に終了となった[2](全編ローカルセールス枠に移行した関係から、これ以前に打ち切ったフジテレビ系列局もある)。現在、定期的な再放送は行われていない。, 前述の『アニメ・サザエさんの秘密徹底解明スペシャル』は「まんが名作劇場 サザエさん」同様に火曜日19時から放送され、「16年ぶりに火曜7時に帰ってきた!」として「まんが名作劇場」枠初代と5代目主題歌「サザエさんのうた」が流れた。, 2006年(平成18年)4月22日放送の『もしもツアーズ』では、「サザエさん生誕60周年記念ツアー」と銘打ち(場所は桜新町)、アニメの磯野家に当時の『もしツア』の出演者である天野ひろゆき(キャイ〜ン)、ウド鈴木(キャイ〜ン)、坂下千里子、関根勤、KABA.ちゃん、三瓶がアニメで登場した。さらにこの回のラストは、アニメのウド鈴木がエンディングのパロディをやって締め括った(他、2008年(平成20年)11月15日、2010年(平成22年)12月25日放送にも、旅のエキスパートとしてサザエがアニメで参加した)[59]。, ウド鈴木のみ、2013年12月1日に放送された観月ありさ主演の実写ドラマ版(パート4)では占い師役を演じており、『もしツア』の出演者の中では、唯一アニメ版とドラマ版の両方関わっている。またキャイ〜ンと関根は先述の『サザエさんの秘密徹底解明SP』にもゲスト出演、番組では『もしツア』で磯野家と共演した場面が放送された。, 2015年8月23日放送の本編では『バレーボールワールドカップ』の番宣も兼ねる形で、眞鍋政義と木村沙織がアニメで登場した[60][61]。, 2019年11月22日放送の『池上彰×サザエさんスペシャル』では、番組内のアニメに池上彰がアニメキャラになって登場し、磯野家らと共演した。, 2019年7月末までの出典:『サザエさんヒストリーブック1969-2019 アニメ「サザエさん」放送50周年記念ブック』(扶桑社/2019年)59頁, 当時、東芝一社提供の番組では『光る東芝の歌』をオープニングテーマに使用するのが通例となっていたが、本番組では火曜放送分を含めて、オリジナルのオープニングテーマが作製されたことから、例外的にこの歌を使用しなかった。, オープニングは日曜版が1分40秒(提供紹介部分含む)、火曜版が1分35秒、エンディングは日曜版1分25秒、火曜版1分15秒(予告部分含まず)である。OP、ED共に歌詞表記はされない(字幕放送で表記される)。, ちなみに、日本コロムビアが音源を所有している楽曲もあるが、ほぼ全てが同社のアニメソングのコンピレーションアルバムの『テレビまんが主題歌のあゆみシリーズ』に収録されなかった。同社が所有するアニメソングの音源は例外なく収録されることになっているため、この事例は数少ない。, スペシャル版は原則18時から1時間で、1989年3月5日に初のスペシャルを放送して以降、主に改編期や本番組・原作の記念年に放送されることが多い。, スペシャル版を放送する場合は18時台前半のアニメは休止となる[注 85]。2000年以降はサザエさんスペシャルの放送と前後して、『ちびまる子ちゃん』も1時間スペシャルを組むことがあり、その時は『サザエさん』が休止になる。FNSの日による変則編成や放送時間が90分版などに拡大される場合は、19時台にも放送されることもある。スペシャル版は年に1、2回放送されるが、全く放送されない年もある。, 初のスペシャルとなった1000回記念スペシャルは当初1989年1月8日に放送される予定であったが、先述通り前日の1月7日に昭和天皇が崩御し、「FNN報道特番[注 86]」に差し替えられた[注 87] ため3月5日[注 88] に改めて『1000回突破記念スペシャル』として放送された。, 1987年(昭和62年)以降、同局で毎年1回放送されている長時間特別番組『FNS27時間テレビ』内のコーナーの1つとして、通常放送とほぼ同じ時間帯に放送されている。先述通り2000年以降は一部の年を除き、その年の総合司会者などがスペシャルゲストとして、声の出演で登場している[注 7]。, 2016年以前と2019年は同番組がこのコーナーを除いて全て生放送[注 89] だったため、番組中唯一字幕に対応していた。, 日本テレビ系番組との兼ね合いで『FNS27時間テレビ』のネットと制作参加から離脱しているテレビ大分では、事前に番組素材の提供を受けた上で、通常の時間帯とスポンサーで自社送出で同一の内容のものを放送するが(提供読みは通常通りだが、スポンサーテロップはテレビ大分の自局送出)、オープニングとエンディングは27時間テレビでの特別版ではなく通常の映像に差し替えられる。, 1974年(昭和49年)の1月[92] から現在は、日本各地をサザエが旅をして、訪れた場所を紹介する内容となっている(全て実在の場所である)。これは元々エンディングで京都を訪れたものが好評だったため、オープニングで起用するようになったと言われる[93]。内容は季節に合わせ3カ月ごとに変更している。2000年(平成12年)からは、訪れる場所を1つまたは2つの都道府県に絞って半年間(一部例外あり)流す方式になっており[94]、紹介を希望する県や自治体から約500~1000万円の協力費を受けている[注 90]。これに関して、オープニングで地方紹介部分は1分10秒ほど(オープニング自体は提供を含めて1分40秒)であるが、日曜日の同時間帯に1分のCMを半年間放送した場合には最低でも9600万円以上必要とされるため、費用対効果の高い観光PRとして注目されている[95]。, 放送開始から当初は2番前半の歌詞に合わせて磯野家がハイキング等に出掛けるというものであったが、後に冒頭でタマ(ハチ登場後はハチも登場する場合もあり)の登場する静止画が表示された後、原作の4コママンガを6~8本、台詞が少なく絵のアクションで楽しめるものを中心になるべく忠実に[注 100] 映像化、その横や下でキャスト・スタッフのクレジットが行われるものとなっており[118]、原作の映像の後、最後に後述の行進の場面が流れる。また、静止画と映像化する原作は季節感を重視しているため、オープニングと同じく3カ月ごとに変更している。スペシャル版の場合は映像が変更される場合がある。, 最後に一家が一列になり野原を行進、その一家のシルエットが山小屋のような建物に飛び込むという場面はキャラクターデザインや背景は時代に合わせて変更されているものの、第1回の放送から一貫して変更されていない[注 101]。, クレジットで(スペシャル版を除く)、磯野家以外のキャストとスタッフはその回の出演、制作に関わっていなくても長年クレジットされていたが、2013年4月14日放送分からはその回の出演者・その回の制作に関わったスタッフのみがクレジットされるようになった。, 最初にサザエが「さ〜て、来週のサザエさんは?」と言い[注 102]、リモコンをテレビに向けるしぐさをすると「次回予告」とテロップが表れ[注 103]、その後は次回の映像を流す中、サザエ、タマ以外の一家の内1人[注 104] が声で登場、名乗ってコメント[注 105] したあと、次回放送の3本のサブタイトルを読み上げる。このローテーションは、長年固定されている。ただし、次回がスペシャルの場合はサザエがスペシャルの内容を紹介する。また、サザエが「ご覧の3本です」と次回放送の3本のサブタイトルを表示し、その後にイベントや募集告知などを行う場合もある。, 最後は、じゃんけんのそれぞれグー・チョキ・パーの絵が付いた棒を手に持っているサザエが画面に向かって「来週もまた見てくださいね〜」と言った直後[注 106]、「じゃんけんポン!」の声と共に3つのうちのどれか1つを視聴者に見せ[注 107]、「うふふふふふ」の笑い声と共に手を振って終わりとなっている。スペシャルでは、家族全員で行うこともある。, なお、エンディング映像にて山小屋から出てくる煙の形によってじゃんけんの手が決まるという噂があるが、実際には煙の形は毎回同じであり、この情報はデマである[119][120]。, 2018年10月からはデータ放送でのじゃんけん投票が可能になった。次回予告が始まるまでにリモコンのボタンによって自分の出し目を選択し、勝ち・負け・あいこによってそれぞれの点数が入り、一定得点[注 108] に達したら公式サイトから番組宛てに応募して、抽選で賞品が当たるというものである[注 109]。なお得点は月が替わればリセットされ、「0」からのスタートとなる。なお、得点のスタンプは翌週の放送時に押される。, 2020年、じゃんけんで5週連続でパーが出たことがあった。これはサザエさんじゃんけんの29年の歴史で初のことであり[121][122]、これについてフジテレビは、「じゃんけんはサザエさん自身で考えて出しているので、私たちにもわからない」とコメントしている[121]。また、サザエさんのじゃんけんを長年研究している高木啓之も、5週連続のパーは予測できなかったという[122]。, 2015年8月24日〜28日放送の『めざましテレビ』では、『サザエさん』のキャラクターが交代で「めざましジャンケン」を担当した[123]。また、2019年11月18日〜11月22日の同番組ではサザエさん一家が各曜日に毎に「めざましジャンケン」の3戦目を担当した[124][125][126]。また同年同月22日の『池上彰×サザエさんスペシャル』では4回にわたってアニメキャラクター化された池上彰が担当した[127]。, 1991年10月13日放送分まで予告の最後は、サザエがお菓子を放り投げ、口で受け止めて食べたところを視聴者に見つかり、慌てて隠しながら「来週もまた、見てくださいね〜」と言った直後、喉に詰まらす仕草をして「ンガググ[注 110]」と声を発するものとなっていた。しかし、この映像を見た東北大学医学部附属病院耳鼻咽頭科と国立小児病院小児科の医師が「投げ食いは、子供がまねると気管をつまらせ呼吸困難になり、最悪死亡する危険性がある」と指摘。これを受けて、制作会社のエイケンは少しでも危険があるものは放送してはいけないと判断[128]、長谷川町子の了解を得た後、現在のじゃんけんに変更された。, 上記の通り、1975年(昭和50年)3月15日に『東宝チャンピオンまつり』内で、1971年(昭和46年)3月14日に放送された226話(第76回Aパート)「送辞をよむぞ!」がブローアップ上映された[6]。50年を超える放送の歴史の中で、劇場で上映されたのはこれが唯一である。またエイケン作品が『東宝チャンピオンまつり』で上映されたのは本作が唯一。, 併映は『メカゴジラの逆襲』『はじめ人間ギャートルズ』『アルプスの少女ハイジ』『新八犬伝』『アグネスからの贈りもの』の5本。, 当時の『チャンピオンまつり』ポスターや割引券などには他作品のキャラクターと共に、サザエの顔が掲載されていた[129]。, 2016年11月29日に講談社のDVDマガジン「ゴジラ全映画DVDコレクターズ」中の一本として発売された『メカゴジラの逆襲』には、当時のパンフレットやポスターが復刻挿入されており、本作も当時のまま掲載されている。, このテレビアニメ版のキャスティングで、1977年-1987年12月31日に、文化放送にて(「マエタケの朝は自由大通り」→「高島忠夫の気ままにジャンボ!