何か不祥事があるのを知っているのに報道しないという便宜を図っていたんじゃないかと思われても仕方ないと思います。  ・前田阿希子アナ ・ロザン 宇治原   あえて時事ネタではなく「こんなのあるのか」というニュースなのがおもしろいです。  ちちんぷいぷいも降板しないのであればもう少し視聴者が納得するような説明をするべきだと思います。 【石田英司氏がついにぷいぷい卒業!リニューアル情報はこちらから!】 >>>ちちんぷいぷいがレギュラー変更へ!出演者の誰がクビになるのか? ロザン・宇治原「安倍さんの〝こんな人達に負ける訳にいかない〟は演説を聞かずに〝妨害する人達〟という文脈だった思う。そこだけを切り取り、総理が自分に反対する人達を〝こんな人達〟と言ったと報道するのは、フェアじゃない」, その通り。良く言った!!#ちちんぷいぷい pic.twitter.com/jhLTpvnYpj, ちちんぷいぷい、最近は特に偏向報道が酷く、毎日新聞の論説委員の解説にレギュラー陣の人達も頷いて鵜呑みにしてる様子にうんざりで見ていませんでした。ロザンさん、さすがです。勇気が要ったことでしょうね。応援します!, 長谷川豊さんは深く反省しニュースのレギュラーも即降板、アナウンサーも辞めた。でも、ぷいぷいの石田はいつまでテレビに出てるねん!どーなってる? #毎日放送 #MBS #ちちんぷいぷい, — こつぶ(TUBUYAKITAI) (@osakagirl2015) 2017年6月27日, MBSちちんぷいぷいに石田英司がまだ出てるのは、社長が出演を勧めているそうです。 pic.twitter.com/L6h7gVB6W4, MBSはTBSと繋がりがあるせいか2017年9月現在、TBSラジオの武田一顯記者がほぼレギュラー化してますよね。, それも含めて武田一顯記者にしろ、石田英司氏にしろちょっと言葉の選び方がマズいんじゃない?と思うことは私もあります。, 視聴者としてはニュースの報道の仕方と問題を起こした石田英司氏についてハッキリさせるべきと思っているみたいですね。, 2017年10月からの新メンバーおよび2018年6月現在のレギュラーメンバーとコーナーをまとめます。, その理由は当初レギュラーとして発表されたものの、だんだん出演しなくなったりしている方がいるためです。, ・ハイヒールリンゴ(残留) ・村上ショージ 1児の娘を持つパパです。 ぽこあぽこ管理人のぽこぱぱです。 降板もありえるかも!?, 橋下徹氏から頭が悪いと言われたコメンテーター石田英司。ズブズブじゃないと説明できてないだろ。石田はコメンテーター失格。番組降りるべき。MBSは身内に甘いのか?#石田英司 pic.twitter.com/kWu23XY7OA, 名前:石田英司(いしだえいじ)  このことについて2017年6月8日のちちんぷいぷいで愛人報道に関して「不徳の致すところ」と謝罪。  食べることが大好きな万年ダイエッターです。 ブログへのコメントもお待ちしてます(^^)   本人は謝罪せず逃げていると批判が出ていました。  ・ロザン宇治原(残留)   こんにちは、ぽこぱぱです。 「南国少年パプワくん」をご存知ですか? アラサー世代にはわかるんですが、 かつてアニメにもなった人気漫画です。 ... 沖縄の死のカタツムリ アフリカマイマイの味やレシピ、寄生虫や生態は?【鉄腕ダッシュ・厄介グルメ】. 実は石田英司氏は今までも失言で謝罪することがあったんです。, 石田ジャーナルというコーナーでは「ニュースのおっちゃん」としてさまざまなニュースを取り上げて解説をしています。  生年月日:1959年7月8日(57歳)    「三越事件」をご存知でしょうか? 1982年に発生した、百貨店の三越に 係わる一連の事件のことで、この事件で 社長解任劇に発展までしました。... こんにちは、ぽこぱぱです。 畳って落ち着きますよね。畳好きです。 ゴロンと寝転ぶといい感じの寝心地です。 そんな畳に携わる畳職人さんですが... 当サイトに掲載している記事及び画像、動画の著作権は各権利所有者に帰属いたします。権利を侵害する目的は一切ございませんので、掲載について問題がございましたら権利者様ご本人様よりお問い合わせフォームからご連絡をいただけますようお願い致します。確認次第、修正・削除などの対応をとらせていただきます。     ・小藪千豊(残留)※毎週出演ではない ・佐伯チズ(水曜日から移動) ・水、木曜日:山中真アナ&山本浩之 ・ピーコ(残留) ちちんぷいぷいレギュラーメンバー卒業情報; ちちんぷいぷい4月からのコーナー編成はどうなる? 曜日別コーナーの動向【2019年4月9日更新】 今回のまとめ; ちちんぷいぷい短縮でvoiceは終了!後番組は大吉アナメインの「ミント」に. 記事をお読みいただきありがとうございました。また来てくださいね。, ちちんぷいぷい出演者、芸人さん芸能人オンパレード‼ 芸人がNGと言ってはいけないかもしれないが、チャンネルを他に回してしまいます。偏り過ぎていませんか?毎日放送さんと思っているのは私だけ?? 安くつく?芸能人派遣会社の要請?今時のニーズ?世相バランスの毎日放送毎日新聞さんよろしくお願いいたします。 ・大畑大介※あまり出演していない, 「六花&石原の大阪にないもん見つけました」※月1企画 角 淳一[1](すみ じゅんいち、1944年12月30日 - 、戸籍上の誕生日は1945年1月1日)は、大阪府四條畷市出身・在住のフリーアナウンサー。毎日放送の元アナウンサーで、2004年4月1日から2011年9月30日までは同局の専属パーソナリティでもあった。, 四條畷市に住んでいることから、フリーアナウンサー転身後の2012年5月16日には、同市の観光大使に任命されている[2]。, 実父は、実母の懐妊中に「(新生児が)男なら淳一、女なら淳子や」との言葉を残して第二次世界大戦へ出征。しかし、角の出生を前に戦没した[3]。, 11歳であった1956年にメルボルンオリンピックの実況をラジオで聴いたことから、アナウンサーを志す[4]。その後は大阪府立四條畷高等学校・関西学院大学商学部に進学。高校時代には、放送部に在籍し、主にアナウンサー(男のアナウンサーは珍しかった)として活躍し、2年生の時には部員2名を引き連れて布施校長先生宅にインタビューに訪れたこともあった。, 大学時代には、古典芸能研究部で落語を披露する[5]かたわら、生田教室でアナウンスの修業を積んでいる。, 大学卒業後の1968年に、アナウンサーとして毎日放送(以下「MBS」と略記)に入社。同期入社のアナウンサーに、青木和雄や板倉俊彦などがいた。, ちなみに角は、MBSに加えて、同じ在阪の民放局である朝日放送 (ABC) のアナウンサー試験も受験。両局とも、生田教室での同期生・山本清久と共に最終選考へ残ったが、自らの意思でMBSへの入社を決めたという。なお、山本も、アナウンサーとしてABCに採用されている。, 入社直後にレギュラーで出演したラジオ番組から、出演番組ではほぼ一貫して、柔らかい口調の大阪弁でフリートークを展開(後述)。1970年代に出演の『MBSヤングタウン』(MBSラジオ、以下『ヤンタン』と略記)で笑福亭鶴光・佐々木美絵とともに人気を集めたことをきっかけに、活躍の場をMBSテレビの深夜番組(『夜はクネクネ』『イカにもスミにも』『板東英二のわがままミッドナイト』など)にも広げた。また、MBSラジオが毎年実施している特別番組『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』には、1982年の第1回から2011年の第30回まで通算で23回出演。第1回から第22回(2003年)までは、22回連続で総合司会を務めた[6]。, ラジオパーソナリティとしては、1978年にMBSラジオで放送した『角淳一のライブジョッキー「ザ・カケフ」』で、同年度の日本民間放送連盟賞・ラジオ娯楽部門最優秀賞を受賞[7]。1984年3月まで長きにわたって『ヤンタン』へ出演した後には、同年4月から10年にわたって、平日午後の生ワイド番組『すみからすみまで角淳一です』(以下『すみから』と略記)のメインパーソナリティを務めた。, MBSへの在職中には、アナウンサーとしての活動を続けながら、アナウンス第三部長、アナウンサー室次長、主幹・役員待遇ラジオテレビ副本部長職を歴任。1994年4月からは、『すみから』の後継番組『すみからすみまで愛なのね』(以下『愛なのね』と略記)に出演していた。しかし、『愛なのね』を担当していた1996年5月6日に自宅で体調不良を訴えたことをきっかけに、主治医から脳梗塞と診断されたため緊急入院。そのまま『愛なのね』を降板するとともに、1997年10月の『すみから』復活まで、1年5か月にわたって休養を余儀なくされた。, 1999年10月11日にMBSテレビが平日の午後に生放送の情報番組『ちちんぷいぷい』(以下『ぷいぷい』と略記)を開始したことを機に、全曜日のパーソナリティ(総合司会)に就任。本編のオープニングで挨拶代わりに語る「こんにちは、私は角淳一です。あなたはどなたですか?」という口上[8]や、プロジェクターに映された文字をたどたどしく読みながら進行するなどのキャラクターなどで、関西地方の視聴者に広く親しまれた。, 『ぷいぷい』出演中の2004年3月31日に、毎日放送の社内規定より9か月早く定年で退職[9]。同年4月1日には、パーソナリティとして同局と専属契約を結んだ。この契約を機に、『ぷいぷい』のパーソナリティを続けながら、MBS以外の在阪民放局が制作する番組への出演を本格的に始めている(後述)。, 2005年5月10日の『ぷいぷい』放送中に体調不良を訴えたため、途中から出演を見合わせた。直後の健康診断で不整脈が判明したため、翌日(11日)の同番組へ前半だけ出演してから検査入院。同月17日に「リハビリを兼ねて」との理由で『ぷいぷい』に復帰した。この入院中には、心臓の緊急カテーテル手術も受けている[10]。, 2006年には、胆石および前立腺肥大の手術を理由に、6月下旬から7月中旬まで再び休演。この休演からの復帰(同年7月20日)を境に、休演中にパーソナリティ代理を務めていた西靖(MBSアナウンサー)が、そのまま木・金曜日のパーソナリティを担当するようになった。2010年9月からは水曜日のパーソナリティも西に任せる一方、自身はパネラー(スタジオレギュラー)の1人として同曜日への出演を続けていた。, 2009年からは、『ぷいぷい』への出演を続けるかたわら、プライベートで音楽スタジオ「Very Famous Studio」を所有。同年11月1日からは、POMPYエンタメランドにおいて、月2回更新の「声ブログ」(同スタジオで収録した音声によるブログ)を開始した。, 2011年8月15日放送の『ぷいぷい』のエンディングで、後進へ道を譲ることを理由に、同年9月末で同番組を卒業することを自ら発表[11]。9月30日(金曜日)の放送が、レギュラーとしては最後の出演になった。同年10月以降は、角が担当していた月・火曜日のパーソナリティも西が継承している。一方の角は、『ぷいぷい』のレギュラー卒業を機に、MBSとの専属パーソナリティ契約も終了。同局の社友になった。, ちなみに角は、『ぷいぷい』のレギュラーを卒業する際に、「卒業後は(後進に道を譲る意味で同番組への)ゲスト出演を控えたい」との意思を示していた。しかし2012年には、「ウルトラパン大作戦」(山崎製パンとのコラボレーション企画の第2弾として開発した4種類のオリジナルパンに関する販売キャンペーン)に、ウルトラの父に似た「ウルトラパンの父」というキャラクターとして参加。2月6日の放送には、「“ウルトラパンの父”からの激励メッセージ」と称するVTRを通じて、約4か月振りに『ぷいぷい』へ出演した。8月29日(水曜日)には、「3000回感謝ウィーク『やっぱり地元ってええなぁ』」のスペシャルゲストとして、レギュラー卒業以来約11か月振りにスタジオ生出演。また、「ちちんぷいぷい音楽祭」(2010年から大阪で毎年5月に開催中の音楽イベント)には、2012年以降も出演を続けている。, 70歳の誕生日でもあった2015年1月1日放送の特別番組『ちちんぷいぷい特別号 幸せかもしれない2015大トーク&クイズ祭り』(事前収録)では、『ぷいぷい』からの卒業以来約3年振りに番組の全編へ出演。後任のパーソナリティ(西・山本浩之)との共演も果たした。同年からは、『ぷいぷい』の放送日が祝日と重なった場合に、「ホリデー角さん」という祝日限定企画も実施。自身が行きたい場所へ当該曜日のレギュラー出演者の一部(有野晋哉が出演している木曜日ではよゐこ)と一緒に赴いたロケのVTRを放送するほか、「初代メインパーソナリティ」という肩書で、随時スタジオに登場している。, なお、『ぷいぷい』では2017年の10月改編で、大規模なリニューアルを実施。角がリニューアルを前に「もう興奮させんといて〜」という企画を番組スタッフに提案したところ、この企画が毎週金曜日の17時台にレギュラーで放送されることになった。角は提案当初に自身の出演を固辞していたが、スタッフが説得を続けた結果、パネラーの1人として10月6日放送分からレギュラー出演を再開。同年12月1日放送分から2018年3月30日までは、金曜メインパーソナリティの河田直也(毎日放送アナウンサー)と共同で、同コーナー限定ながら司会を務めていた。, 角は『ぷいぷい』のレギュラー卒業後の活動のテーマに、「おとなの駄菓子屋」を挙げている。卒業の翌日(2011年10月1日)に開設した同名の公式サイトなどによれば、「駄菓子屋」とは、「子供の頃に友達と入った駄菓子屋のように、楽しいことがいっぱい並んでいる居心地のいいお店みたいな」活動を指すとのこと。趣味の音楽・上方演芸を中心に、エンタテイメント全般を「お菓子」になぞらえながら、「大通りの大店にはまだ並んでいないお菓子」や「新しいのに懐かしい味のお菓子」の紹介にも携わるという。, 2011年10月29日からは、「毎日新聞」大阪版で隔週土曜日に「おとなの駄菓子屋」という連載コラムを始めた(現在は連載終了)。翌日(10月30日)から2019年3月31日までは、MBSラジオにおける同名の新番組で「店主」(パーソナリティ)を担当[12]。2012年からは、MBSテレビでも、『角淳一のおとなの駄菓子屋』を年に数回放送している。, その一方で、「声ブログ」も継続。関西各地で開催される落語会・イベント・講演会や、関西以外の地方で放送されるテレビ・ラジオ番組にも出演している(後述)。2012年5月16日には、四條畷市出身・在住の著名人として、桂南光・山口智充・谷口智則(絵本作家)・青木豊彦(小型人工衛星「まいど1号」の開発責任者)とともに同市から観光大使を任命された。2014年には、朝日新聞出版からの依頼を受けて、自身初の著書『私は、角淳一です』を3月20日に同社から刊行している。, 「備考」の項で紹介した番組や、「MBSラジオ スペシャルウィーク」期間中にゲストで出演する生ワイド番組を除いて記載。, 第30回では、ゲストとして7年振りに登場。毎日放送では、角の出演パートの一部で、『ぷいぷい』とのサイマル生放送を実施した。, 公式サイトのプロフィールより。「すごくおいしいうた」のリリースでは、角が「ジャム淳一」(いちじくのかぶり物に身を包んだキャラクター)としてキャンペーン活動に参加したほか、アルバムの初回購入者から抽選で200名にいちじくジャムを進呈していた。, 2012年・2013年は(西の氏名にちなんで)「西やすシート」、2014年から2018年までは(山本の愛称にちなんで)「ヤマヒロシート」に改称。2019年からは、阪神関連の情報コーナーが『, 毎日放送編『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか―「被災していない人への情報はいらない!」と言い続けた報道者たち』(, 渡邊が生前に著した『ヤンタンの時代』(2005年、キッズネット)に所収の「1+1=∞の恐るべきパワー 笑福亭鶴光・角淳一」より。ちなみに、当時の聴取率1位は、, 渡邊が生前に著した『ヤンタンの時代』(2005年、キッズネット)に所収の「1+1=∞の恐るべきパワー 笑福亭鶴光・角淳一」より, 前出『ヤンタンの時代』より。「ええかええかのテーマ」を吹き込んだレコードは、進研ゼミの新規入会者に特典として進呈された。, 角は「このタイトル以外では司会を引き受けない」と関係者に語ったという。ただし、タイトルの由来には、いくつかの説がある。角の発言によれば、「平日3時間の帯番組という大仕事を務めるに当たって、『ちちんぷいぷい』とおまじないをかけた気持ちで挑まないとやっていられない」という意味や、「(脳梗塞の)病気や(個人的に良い印象を持っていないワイドショー)番組も良くなれ」という願望も込められているとされる。しかし角が後から聞いた話では「ちちんぷいぷい」という意味ではなく「さあ行こうアロンゾ」みたいな意味だった、ということだったが「まあええか」と思ったという(『私は、角淳一です』p.147 - 149 より), 進研ゼミについては、MBSのアナウンサーとして『MBSヤングタウン』に出演していた時期にも、提供コーナーのラジオCMに登場。テレビCMでは、MBSでの放送用に角を正面から映したバージョンと、在阪他局での放送用に角が背中を向けているバージョンが作られたという(2011年1月11日放送の『ぷいぷい』で本人が回顧)。.