ジャンル 「少女漫画」。 コウの踊り演出と夢かもしれないって思わせる展開いらんでしょ!w . 出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B01MXCRQRL/?tag=cinema-notes-22, 本作『溺れるナイフ』は累計発行部数170万部以上を誇る少女漫画を原作にした映画です。, さらに若手実力派俳優・小松菜奈と菅田将暉のW出演によって、公開前から大いに注目されていました。, 一方で原作を知らない鑑賞者からは「結末が抽象的で分かりづらい」といった声があがりました。, カンヌのような権威ある国際映画祭の出品作に選ばれてもおかしくない程のクオリティを感じました。, コウと夏芽はお互いに田舎町に違和感を抱きながら、ずっと留まることになります。その理由は何だったのでしょう。, 最近はラノベの方にメインフィールドが移っていますが、少女漫画の核心にはボーイミーツガールがあります。, 少女漫画ベースの本作でも、15歳の少年少女・コウと夏芽の衝撃的な出会いから物語が始まります。, 新海誠監督作の多くもそうですが、ボーイミーツガールの本質には少年少女による恋の神秘化があります。, 2人のロマンスが世界の中心にあり、2人はあらゆる物事がその手のひらに乗っているような感覚に浸っているのです。, 浮雲という田舎町の名前、出会いの場所が神の海と呼ばれる不可侵の聖域だったりすることも、彼らの自己神秘化を促します。, 最初コウと夏芽を田舎町に縛り付けていたものはボーイミーツガールならではの神秘感だったといえます。, 夏芽が強姦未遂事件の犠牲になり、コウが現場にいながら救えなかったことで2人の恋は一気に冷めます。, 夏芽はコウにベタぼれ状態でしたが事件以降は長く自ら会いに行きませんでした。再会すると自分を助けてくれなかったことでコウを強く責めます。, 彼女がコウを本当に好きであれば、心身ともに傷を負った彼のことを労わっていたことでしょう。, そして彼らは共にひどい目にあったのは、不可侵の海を泳いで神の呪いにあったからだと思い込みます。, 恋が冷めた後、コウと夏芽は呪いの意識の共有によって浮雲という田舎町に縛り付けられることになるのです。, しかし小松菜奈と菅田将暉の演技力や美しい撮影、また監督の自由な演出によって本作は映画ならではの輝きを放ちます。, 菅田将暉演じるコウは、ひと言で言えば昭和ツンデレ少年です。野生児そのままに荒々しく生きていて、女の子が相手でも容赦ありません。, コウを突き飛ばして海に飛び込むシーンなどでは完全に男友達といるノリです。つばをかけた後にキスをするのもまさに昭和男児。, 見ているだけで痛々しくも感じますが、これは今も息づく田舎少年のリアルでもあるでしょう。, 一方でコウには芸術家気質でミステリアスな一面もあり、そのアンビバレントなキャラが非常に魅力的です。, コウと夏芽の仲はいつもチグハグしていてぎこちありませんが、その歯車がかみ合わない点が2人の最大の魅力でもあります。, それは、すべてがお決まりの演技でスムーズに進むTVドラマなどでは決して味わえない映画ならではの表現方法なのです。, 【溺れるナイフ(ネタバレ)】コウと夏芽を縛り付けるものの正体を徹底考察!コウは夏芽を守れたの?漫画との違いをチェック!, 【記憶にございません!】総理にいつ記憶が戻ったのかを徹底考察!料理人へ質問した理由と外務大臣の存在が与える影響にも迫る, 【グランド・イリュージョン(ネタバレ)】ラストに繋がる伏線を整理して解説!黒幕の存在はさまざまな部分に垣間見えていた…!, 【蛇にピアス(ネタバレ)】ラストの意味を徹底考察!アマを殺した犯人は誰?ルイが刺青に眼を入れた理由は?生きる意味にも迫る, 【クリーピー 偽りの隣人(ネタバレ)】注射とクッキーの正体を考察!なぜサキは殺されなかった?家の配置にこだわった意味とは, 【キューブ】キューブの首謀者を徹底考察!入れられる人の本当の選び方とは?記憶処理の理由も紹介。ラストの意味にも迫る, 【子宮に沈める】ラストシーンの意味を考察!描かれた日本社会の闇と由希子の決断の関係は?彼女の心情やタイトルの意味にも迫る, 【GANTZ(ネタバレ)】GANTZは何のために存在するのか徹底考察!先に攻撃したのは人間?なぜ死者を兵士として使うのか, 【コララインとボタンの魔女】魔女の正体とその後を徹底考察!児童作品に恐怖や切なさを感じる理由は?猫やクモの意味もご紹介!, 【ソルト(ネタバレ)】結末でソルトが逃された理由を徹底考察!彼女がロシアを裏切った理由は?CIAはなぜソルトを信じたのか, 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そこで泳ぐ美しい少年・長谷川航一郎と出会い、学校でも同じクラスになるのですが…コウと呼ばれるその少年は傲慢な態度を取る自由奔放な人物でした。, しかし反発していても夏芽はコウの美しさにどうしようもなく惹かれ、そしてコウも夏芽の美しさに惹かれていき、2人は付き合うことになるのですが…。, 設定自体は少女漫画らしい王道を行く感じなのですが、キャラクターのセリフや行動が独特なために、映画全体の世界観や雰囲気まで独特さを感じるような映画でしたね。, 神様がいると言われる海が広がる田舎町を舞台に、自由奔放かつ傲慢な少年と東京からやってきた美しい少女との恋物語という設定だけ聞くとわりと王道なのですが…。, キャラクターのセリフや行動が「なんでそうなるの?」というくらい独特で、良く言えば神秘的なのですが、悪く言ってしまうと共感しにくく理解できない面がありました。, 個人的には入り込めない独特さ、さらに映画のテンポの良さも相まって急展開に感じてしまうことが多くて、展開についていけずに少し戸惑ってしまいました。, なのでどちらかといえばこの独特な世界観と雰囲気がお好きな方、映画は急展開なくらいが好きという方に向いている映画なのかもしれませんね。, 今作はあくまでもコウと夏芽の恋物語ではあるのですが、個人的には直向きに夏芽の幸せを願い支え続ける純情少年・大友勝利の方が好きでした。, 夏芽が連れ去られた時にも車の特徴をコウに伝えたり、大人たちに助けを呼んだのもおそらく大友たちですし…。, 高校に進学しても明るさを失っている夏芽の幸せを願い、何とか笑わせようと支え続けていて…何というか安定感がありましたね。, コウの持つ独特さ・神秘さとは正反対の、安定感・現実的な雰囲気を漂わせる少年で、初々しさと青春を感じられるキャラクターでした。, さらには唐突に別れを告げる夏芽にもまだ笑っていてほしいと幸せを願い続けて、友達でいようと言えるカッコ良さ。, 個人的にはかなり大友のキャラクターが気に入っていたので、あのまま大友との恋愛ストーリーを続けていってほしかったですね。, なので直向きな純情少年がお好きな方、初々しい青春ストーリーがお好きな方には、ぜひ大友との恋愛ストーリーをチェックしてみていただきたいですね!, 今作のヒロインは自分勝手というか、若さゆえの人間臭さを前面に出すキャラクターでしたね。, 何というかストーカー男に付きまとわれたのは悲しいことですし、ヒロインに非があるとは決して思っていないのですが…個人的にはその後の行動が気になりました。, コウの気持ちを無視した自分勝手な行動や、自分の手を汚さずに相手に背負わせようとする言動がすごく自分の中では解せなくて…少し苦手なタイプのヒロインでしたね。, 極限状態だったから、被害者の心理を私が理解しきれていないからというのはあるのかもしれませんが…どうしてもヒロインのイヤな人間臭さが気になりました。, ただ人間臭さがあるヒロインというのは魅力でもあると思うので、そういった人間臭いヒロインがお好きな方にはおすすめなキャラクターです。, ラストの夏芽とコウちゃんのバイクシーンは、女優になった夏芽が自分の出演作品を観ながら、自分の心の中のコウちゃんと会話をしていたのではないかなと思います。, 冷めた言い方をするのであれば夏芽の妄想、夢のある言い方をするのであれば遠く離れていようとも、2人の心は通じているという感じ。, コウちゃんは実際に夏芽のことを応援しているでしょうから、妄想ではあるけど嘘ではない…という言い方が良いかもしれませんね。, コウちゃんは浮雲町からいつまでも夏芽のことを応援してくれているし、夏芽はそのことを信じているからこそ、心穏やかに頑張り続けることができているのだと思います。, そしてどんなに大人になろうとも離れようとも、お互いを想う恋心はいつまでも学生時代のままという意味も、あのラストシーンには込められていたのではないかな。, ただストーカー男の件もあるため、夏芽とコウちゃんは実際に会ってはいないと思います。, 夏芽のストーカー・蓮目は最初の事件から1年後、彼女を永遠に自分のものにするために自ら命を断ちましたが、彼が姿を消すだけで計画は失敗してしまいました。, そもそも最初の事件の時に示談で処理されていたので、蓮目は注意されたくらいで刑罰を受けることもなく、普通に1年間過ごしていたのだと思います。, そしてお祭りの晩、夏芽と添い遂げようと再び浮雲町に現れたのですが、今度はコウちゃんの妨害により敗北。, このままでは添い遂げることもできず、再犯によって示談では済まず刑事罰を受けることになってしまう…夏芽と引き離されて会うことすらできなくなってしまいます。, それを避けるために…夏芽と永遠に添い遂げ、自分がいない間に夏芽に新たなストーカーが近付かないようにするために、蓮目は彼女の側で自ら命を断ったのでしょう。, ただ蓮目の計画は夏芽の友人・松永カナが証拠隠滅したことによって明るみに出ることもなく、気絶していたために夏芽の心に深く残ることもなく…。, 全ては海の底に沈んでいき…夏芽は華々しく女優として活躍、変わらずコウちゃんに想いを寄せ、蓮目の存在だけが世の中から消える結果になりました。, 映画内ではコウちゃんのその後は語られていませんでしたが…おそらくは夏芽のことは応援しながらも、蓮目の件に責任を感じて悩み苦しんでいるのではないかな。, 夏芽が最初の被害にあった時、コウちゃんは夏芽を助けることができずにボロボロになりながら泣いて、この事件をきっかけに「自分は弱いから」と彼女のもとを去ります。, コウちゃんは自由奔放・傲慢な少年ですが、心の内はとても繊細で壊れやすいガラスのハートだったのでしょう。, そして1年後、今度こそはと夏芽を助けに行きますがストーカー男は自ら命を断ってしまい、コウちゃんの手で助け出すことはできませんでした。, さらに犯人が使ったのは自分が持っていたナイフ、事件現場は自分がアジトにしていた小屋でしたから…1回目以上に、精神的にダメージを受けたと思います。, 今度こそはと息巻いてはいるものの「自分のせいで誰かが命を落とす」というのは、精神的にくるものがあったでしょうから…。, 自分を責めて悩んで、事件が明るみになっていないせいで罪を償うことも誰かに相談することもできず…浮雲町で苦しんでいるのではないかなと思います。, ただだからといってコウちゃん自身も命を断つということはなく、自暴自棄になりながらも変わらず浮雲町にいるのではないかな。, Amazon会員の方なら、Kindleでマンガ版『溺れるナイフ』を無料で試し読みできます。, マンガ版では冒頭に夏芽の心理描写が細かく描かれていることで、映画では理解できなかった部分が理解しやすく、ストーリーを違和感なく読み進めやすくなっていました。, なので映画版がお好きだった方はもちろんのこと、映画版に疑問があったという方にも、ぜひチェックしてみていただきたいマンガになっています。, 試し読みは無料の会員登録だけでOKなので、映画版が面白かった・マンガ版も気になるという方はぜひこの機会にチェックしてみてください!, 興味を持っていただけた方はぜひぜひ読者登録・フォローをよろしくどうぞ!(*'ω'*), テンポが良い反面、急展開が多くて理解しきれない部分の多い映画で、個人的にはあまり好きではありませんでした。, 純情少年・大友は良いキャラクターをしていて好きだったので、そこだけは推していきたいですが…それ以外はマンガ版の方が好きかな。, どちらかといえば独特な世界観・雰囲気を醸し出す恋愛映画がお好きな方、人間臭いヒロインの恋愛映画がお好きな方におすすめな映画でした!. 『溺れるナイフ』 という作品においては、序盤に15歳の時の 夏芽 と コウ の出会い、そして別れを描いています。 その中でいくつか印象的なシーンやセリフがありました。 まずは、 コウ の芸能人としての 夏芽 に対する反応の違いでしょうか。 溺れるナイフの感想一覧. 東京で人気ティーンモデルとして活躍していたが、田舎で旅館を営む祖父を継ぐため家族で浮雲町に引っ越してくる。 何もない田舎で、刺激を求める日々。 そんな時出会った美しい顔立ち、どこか他の人とは違うオーラを発するコウに出会い、惹かれていく。 浮雲町の元大地主「長谷川家」の跡取り息子。 通称コウ、コウちゃん。跡取りのプレッシャーもあり、少し乱暴で荒れているところがある。 綺麗なものは何でも自分の物にしたい、と夏芽同様、コウも夏芽に惹かれていく。 しかし夏芽が襲われた際に … 東京でモデルをしていたが、家庭の事情で引越し「ひねもす屋」に家族で住む事になる。, 小6の時、夏芽やコウ達と同じクラスだった。 朝倉ジョージさんが描いた作品になります。 (adsbygoogle=window.adsbygoogle||[]).push({}); 本作の監督を務めた山戸結希さんの作品を通底する大きな主題の1つが「女の子の主体性」でしょう。, 彼女が企画、プロデュースを担当した作品の中に『21世紀の女の子』という作品がありますが、このタイトルからも分かる通りで、「女性」ではなく「女の子」と表記するところにこだわりを感じます。, 彼女が監督を務めた長編映画『5つ数えれば君の夢』を見ていても、そのセリフの中にやたらと「女の子」という言葉が登場するのが印象的です。, この「女の子」という言葉を考えてみた時に、私が感じたのは、大人社会が期待する期待し、要求する「らしさ」を内包しているという意味が含まれているような気がしました。, 女子高という閉鎖空間を舞台にした『5つ数えれば君の夢』では、それが顕著に表れていて、ミスコンという旧来的な「女の子らしさ」の尺度の中で優劣を競うコンペティションが作品の中心に据えられたことで、非常に示唆的な内容となっていました。, 日本という国は、高校を卒業するまでは世界のどんな国よりも男女平等が徹底されているわけですが、大学に進学し、そして社会に進出していくにあたって急激に性差が拡大していくという構造になっています。, そういう状況を見ていると、社会が近づくにあたって、徐々に社会が求める「女の子」という枠に女性たちが当てはめられ、無限の可能性を削がれていっているようにも感じられます。, では、旧来的な男性中心社会において、女性が勝ち残っていくためにはそうした「女の子」らしさという尺度において優れた存在にならなければならないのか?という疑問が生じてきますよね。, そうした葛藤を正面から描き切ったのが、まさしく『5つ数えれば君の夢』でして、この作品に登場する「女の子」たちは、斎藤りこという1人の傑出した少女を除いて、誰もがその「らしさ」の牢獄に閉じ込められて苦しんでいるように見えました。, やたらと窓や柵、線といった何かを閉じ込めるようなモチーフがたくさん登場するこの作品の映像は、そんな閉塞感の表出です。, だからこそ、その牢獄から飛び立たなければならない、これからの社会を生きる女性たちを旧来的な「女の子」という枠組みから解き放たなければならないと危機感を抱いているのが山戸結希さんなのでしょう。, 優れた男性と交際することが自分の価値なのか、誰かのために自分を滅して尽くせることが自分の価値なのか、男性を献身的に支えられることが自分の価値なのか。, 私が彼女の作品を見ていて感じるのは、そういったこれまでの「女の子」らしさという尺度に自分を当てはめて、その中で優れようとするチキンレースに自分自身を消耗させないで欲しいというメッセージです。, 『溺れるナイフ』という作品においては、序盤に15歳の時の夏芽とコウの出会い、そして別れを描いています。, 注目したいのは、ティーンファッション誌にモデルとして掲載された彼女を見た時と、写真家の広能が撮った写真集の彼女を見た時のコウの反応です。, 前者においては、「こんな都合のええ顔なんて、うじゃうじゃおるやろ。」と吐き捨てるように述べています。, 一方の後者においては、「お前じゃないの。お前、いっつもこんな目で俺のこと見よるぞ。」と肯定的な意見を述べているんですよね。, この2つのシーンの対比から感じられるのは、コウというキャラクターは「女の子」らしさという枠組みにはめられた彼女ではなく、それを超越した「自分」らしさを持った彼女を認めているということなんだと思います。, しかし、面白いのは夏芽というキャラクターはそこに自覚がなくて、むしろ「女の子」らしさの枠にはまることでコウから受け入れられようとするのです。, そういう依存的な姿勢をコウは拒んでいて、彼の言うとおりに面白く生きようとしたがる夏芽にどこか突き放すような様子を見せています。, ただ、その後のシーンで、面白く生きて後悔させてやると意気込む夏芽を、彼は心のどこかで認めるような素振りを見せます。, 自分の家に代々伝わる「特別」な数珠を彼女に渡すという行為には、彼女を自分のものだと誇示するというよりは、彼女が「特別」な存在だと認めたという意味合いが強く含まれているように感じました。, 彼の行為そのものが夏芽の女性性を搾取するものであることは言うまでもありませんが、そのセリフを紐解くと、「絶対幸せにするから。」といった独善的で、女性を自分の所有物と見るような言葉が目立ちます。, そういう意味で、彼は旧来的な男性社会が期待し、欲求する「女の子」らしさの亡霊のような存在に思えました。, そこから、コウは必死に彼女を救出しようとしますが、その手は届かず、2人の中で何かが音を立てて壊れてしまいまったようですね。, コウは自分自身が「特別」だと思えなくなり、暴力に身を任せ、近所のごろつきたちの中に自分をうずめるようになりました。, その一方で、夏芽もあの事件がきっかけでマイナスなイメージが広がり、芸能界から身を引くこととなりました。, この時に週刊誌の記事や、インターネット上でも彼女がレイプされたというニュースが晒し物にされるかのように出回りましたが、そこには「女の子」らしさとそこについた傷という構造が見え隠れしています。, 彼女は、確かに「自分」らしく生きようとしていましたが、あの一件があったことで世の人間からは「女の子」という枠組みの中で消費されるようになってしまったんですよ。, それでも、世間は「女の子」らしさという枠組みに彼女を閉じ込め、そこに傷をつけられた「女の子」として夏芽を見ることを望んでいるんですよ。, そういった消費のされ方に心を摩耗させた夏芽が、高校時代を故郷の街で過ごす中で、自分に普通の幸せを与えてくれる大友という青年に惹かれていったのは当然なのかもしれません。, しかし、そんな彼女を見て、写真家の広能は、「どこの田舎娘かと思った。」と辛辣な言葉を浴びせ、すっかり興味を失くしたように去っていきます。, 「自分」らしさを見失い、「女の子」らしさの海に埋没していきそうになる彼女の様子を彼は見抜いていたんでしょうね。, 彼女は、未だにコウに依存するような素振りを見せますが、彼はもう以前のような誇り高き自分ではないと自嘲し、それでも彼女には特別でいて欲しいと送り出します。, この時に、作品のタイトルにも含まれている「ナイフ」というモチーフがコウの手から夏芽に手渡されます。, この海も山も全部自分のもの、そして夏芽という美しく凛とした女性をも自分のものだと言いきれていた彼の自信と誇り。そしてあの事件以来その矛先を見失っていた行き場のない暴力。, そんな思いが、「お前は俺のことなんか追い越してくれ。」「遠くに行けるのが、お前の力じゃ。どこに行ったところでお前は綺麗やからのぉ。」といったセリフにも現れています。, 彼女は、その言葉を受けて、大友に別れを告げて、再び東京に戻って女優として戦う道を選択しました。, しかし、そこに立ちはだかるのが、1年越しに起きる「あの事件」の再現であることは言うまでもありません。, 夏芽は「自分」らしさを追求しようとしましたが、そこに旧来的な男性社会が期待し、欲求する「女の子」らしさの亡霊が憑りつきます。, そんな彼女をコウは再び守ろうとするのですが、彼が選んだのは、夏芽がそんな亡霊に憑りつかれて、自分自身をすり減らしてしまう未来を防ぐことでした。, 原作だと、あの男が1年越しの祭りの日にレイプするのは、カナの方でして、ただ動機そのものは映画版同様に「夏芽の人生に巣食ってやる」というものでした。, 映画版では、あくまでも1年前の事件の再現として視覚化し、コウが夏芽を如何にして守ろうとするのかをより明白にしたように感じます。, かくして、コウはそんな悪しき未来の芽を断ち、夏芽を守ったわけですが、この行為は彼自身のためでもあると思いました。, 彼の願いは、あくまでも彼女が遠くで綺麗でい続けてくれることであり、輝きを放ち続けてくれることです。, だからこそ、彼は彼女そのものを守ったというよりは、彼女の輝きを守ったと言えるのでしょうか。, コウと夏芽は、あの事件が起きて以来、お互いのことを思うたびに傷付き合っていたのだと思います。2人にとってあの事件が、自分たちの全能感を失わせた契機でもあります。, 結局、そんな全能感と誇り高さは、海の中に沈んでいく「ナイフ」が如く、どこかに消えて行ってしまいました。, しかし、お互いに依存し、関わるたびに、相手のことを思うたびに自分をすり減らす関係だった2人は、きっとそこから抜け出すことができたのだと思います。, 原作では、そこからコウと夏芽のそれぞれの人生にスポットが当たり、最終的には2人が結婚したことを仄めかす描写も描かれていました。, ただ、山戸結希さんはあくまでも本作を夏芽の物語として描き切ることにこだわっていたように感じました。, 終盤の映画祭のシーンで、スクリーンに映し出された映像が想起させるのは、彼女がコウという存在の所有物になることに憧れていた頃の情景です。, お互いのことを思うたびに、後ろ向きな気持ちになっていた2人ですが、このラストシーンから、2人はお互いのことを思うたびに前に進むことができる関係になれたのだと思うんです。, 山戸監督は、映画『ホットギミック』の公開にあたり、「自分自身の主体性を知るための恋が、もしもこの世にあるのなら、そのようなものをこそ、恋そのものとして、今新しく生まれる映画に映し出してみたい」という思いを語っていました。, まさしくその思いの原初が、今作のラストにも込められていて、夏芽はコウという存在に寄りかかって立つのではなく、彼の存在が自分が自立するための支えになっているという構造が透けて見えます。, 神様とは言わば、全能であり、この世界のあらゆる物事を見通し、決定づける存在と言えますよね。, ただ、そんな存在に寄りかかり、自分の人生の選択や決断を委ねてしまうことが果たして「生きる」ということなのでしょうか。神がこう生きなさいと言えば、その通りに生きることだけが果たして正しいと言えるのでしょうか。, 言い換えると、今の社会が作り上げ、求める「女の子」らしさに基づいて、生きることだけが女性の生き方なのでしょうか?ということになります。, 本作『溺れるナイフ』において、夏芽にとっての神様はきっと最初から最後まで変わらずにコウなのでしょう。, しかし、信仰とは自分が生きる上で支えとなるものではありますが、寄りかかるものではなく、縋るものではないと遠藤周作がかつて『沈黙』という著書の中で表現しました。, きっと、夏芽にとってのコウもそんな風に、意識の中でその存在意義が変化したのだと思います。, 彼は、彼女が「自分」らしく生きる未来を守り抜いてくれた人物であり、きっと夏芽は、彼のことを思い出すたびに「自分」らしく生きようと思えるはずです。, これまでの「女の子」らしさそのものが確かに揺らぎ始めた社会の中で、これからを生きる人たちに向けて、山戸監督はそのらしさを改めて問い直そうとしています。, 一方で、山戸監督が「女の子」に伝えようとしているのは、「君たちはどこにだって行けるんだよ。」というメッセージなのかもしれません。, そしてもう1つ、山戸監督作品に通底する大きなテーマが、この『溺れるナイフ』には流れています。, そのテーマを最も感じるのは、現在Youtube上で公開されている『玉城ティナは夢想する』です。, この作品は、A子という平凡な女子大生が玉城ティナに憧れてるという状態を玉城ティナ自身が夢想しているというメタ的な手法で作られた短編映画です。, このナレーションを聞いた時に、鳥肌が立ったのですが、何を表現しようとしているのかと言いますと、それは「あんな女の子になりたい」という願望の集合体が「玉城ティナ」というイメージを作り出しているのではないかという視点なんですね。, そこにあるのは、平凡と特別の見えない境界線であって、平凡な人間は、そんな特別な人間に対して自分の思いや願望を投影し、ある種神格化しているとでも言えるでしょうか。, しかし、その一方で特別の側にいる玉城ティナが平凡に憧れを抱いているという側面を描き出しているのも、この短編の魅力です。, A子ちゃんには、君にはない魅力があるよ。君みたいにどこに行っても、君としか扱われない女の子と彼女は違うんだ。彼女はA子のままで、まだ何者にもなれるんだ。でも、君はもう君としてしか生きられないだろう。, しかし、平凡に生きる人間は特別に憧れ、それと同時に特別に生きる人間は平凡に憧れるのです。, A子は玉城ティナのような特別な存在になりたいと嘆き、玉城ティナはA子のようなまだ何にでもなれる存在になりたいと夢想する。, この短編には、自分自身の価値を自分で推し量って、過小評価しないで欲しいという思いが強く込められているように感じられます。, 平凡と特別は隔てられており、相いれないものかもしれませんが、お互いがお互いに憧れを抱いており、お互いに持っていないものを持っているのです。, 『5つ数えれば君の夢』でも、斎藤りこという特別な少女が1人君臨しており、その周囲の人物たちは、彼女に憧れを抱きつつも遠ざけようとするという姿勢をとっていたように感じます。, 彼女にミスコンで是が非でも勝ちたい少女、彼女に好意を抱きながらもどこか遠くにいる存在だと自覚している少女。, そういったまだ何者でもない少女たちの願望と眺望が具現化した存在として描かれた「斎藤りこ」というイメージは、美しく踊り、そして学校から去っていきます。, 平凡な少女たちは、きっと彼女にはなれないし、彼女のような生き方はできないと痛感したことでしょう。それでも、彼女がはたいていく姿を見て、自分たちがまだ何者にもなれる可能性を秘めていると希望を持ったことを事実ではないでしょうか。, そして、今作『溺れるナイフ』を見てみると、そんな平凡と特別の対比が見事に表現されています。, カナが夏芽に対して眺望を抱いているのは、平凡から特別へのまなざしであり、これは明白ですよね。, しかし、その一方で、夏芽もまたカナに対して眺望を抱いているのであり、大友と付き合って普通の恋愛をしようとするのは、そんな感情の表出に思えます。, 夏芽は「望月夏芽」というイメージをあまりにも背負いすぎており、もう他の何者にもなることが許されていないわけで、そんな「特別」を生きることしかできない人物なんですよ。, 大友はコウに対して、夏芽を巡って複雑な感情を抱いていることでしょう。彼は、彼女がコウでなければ駄目だと分かっていても、それでも彼女の「特別」になりたいと願う青年です。, 一方で、コウは自分が特別だと思っていた全能感をぶち壊され、平凡と特別の境界線で苦しむ人物であり、だからこそ平凡にもなり切れずに燻っています。, どのキャラクターも自分にはないものを求めていて、その境界線の向こう側にあるものを手に入れたいの願っているのです。, しかし、この物語は、あくまでも特別は特別なままで、平凡は平凡なままでというスタンスを崩すことはありません。, だからこそ、大友は夏芽から別れを切り出されるわけで、カナがコウと結ばれることもないわけで、逆に夏芽には平凡な人生を選べず、コウも同様なのです。, 既に誰かが存在している領域において、特別になるということは、その誰かと優劣で競わなければなりません。, しかし、そんな戦いにおいて、勝ち目はないわけで、結局は自分自身の劣等感と失望を深め、心をすり減らすだけです。, 夏芽は、そんな眺望と嫉妬と、期待と…いろいろな陰の部分を背負って、特別な自分自身を、「望月夏芽」としての人生をひたすらに生き続ける決断をしました。, あの負の感情というのは、まさしく彼女が特別を生きるために背負わなければならない「業」とも言えるものでしょう。, 『玉城ティナは夢想する』が描いたように、彼女は選ぶことができなかった平凡をふとした瞬間に思い出しながら、そして、たくさんの人からの期待と眺望を背負いながら、前に進み続けなければなりません。, しかし、特別を生きるということは、誇り高く美しく、どこまでも綺麗なのだと山戸監督は『溺れるナイフ』という作品を通じて訴えかけています。, 個人的には、今作を夏芽の物語として位置づけたために、あえて平凡讃歌の側面を削り、特別を生きる人間の葛藤と気高さという部分に焦点を絞ったのかなとも思っています。, 今作がそういう性質だからこそ、その次の長編作品となる『ホットギミック』で痛烈に、平凡に生きる少女の「生」を肯定するようなメッセージを打ち出してきたというのもあるでしょうし。, 先ほども書きましたが、山戸監督の作品は、常に優れていることよりも、異なっていることに価値を見出しているように感じます。, 何者かになりたいと願う平凡も、もう何者にもなれない特別も、そのどちらもに美しさと価値を見出し、肯定しようとするのが彼女の作品作りの1つのスタンスなのかもしれません。, ただ、『溺れるナイフ』の原作からのアレンジの仕方を考えても、彼女自身の作品作りへのスタンスがすごく反映された作品であることが分かります。, 彼女が追求しているのは、特別と認知された誰かに追従しようとすることから逸脱し、旧来的な「らしさ」に縛られない生き方を模索することの重要性なのではないかと思います。, 誰かと同じ価値尺度で比較すれば、必ず優劣が生じ、特別と平凡が生まれます。そしてその差が埋まることはありません。, だからこそ、大友が夏芽に「友達」という立場で関係を続けることを提案したのは、1つの希望だったのではないかと思います。, 夏芽と恋愛関係になるというレースにおいて、大友がコウを上回ることはきっと難しいでしょう。, しかし、彼は「友達」という立場を手に入れ、それをコウに脅かされることは絶対にありません。, そういう意味でも、山戸監督が描く、人間の価値の在り方は、これからの社会にコミットしているように感じられました。, 【ネタバレあり】『閉鎖病棟 それぞれの朝』感想・解説:「人物」を描けなければ物語はぼやける, 【ネタバレあり】『アルキメデスの大戦』感想・解説:大和に新解釈を提示する王道歴史ミステリ, 【ネタバレあり】『ホットギミック』感想・解説:山戸結希監督が魅せる映画の可能性と限界.