小学校5年生と3年生の子供がいるのですが、とに... (C) 2018小学生兄妹とお母さんのブログ~読書感想文・日常のクスッと笑える話をご紹介~. ・家庭内暴力と放火容疑の川原和秀 ★赤ん坊の怪異が始まる…美佐緒の犠牲者 ★工場での怪異…炭鉱の犠牲者 どの部分が実話でどの部分が創作か分からない。これも恐怖を引き出すテクニックの一つですね。, 「聞いても伝えても祟る」という話、もし本当だったとしても、調べて簡単に出てくる訳もなく、奥山怪談が本当に北九州で有名な実在する怪談かどうかを知る術はありません。, “樹の根元に坐った女性が頭上の枝を見上げている”という構図なので、例えばこんな感じかと思われます。, もちろん、こちらは奥山家の絵ではありません。 ★首を吊る者…高野夫人, ・2003年2月 伊藤アパート、梶川さんが居た部 すべての始まりである奥山家の鉱山跡地を訪れた後、真辺家廃屋に足を踏み入れた“私”達は、真辺家の最後の当主が怪異と必死で戦った痕跡を見る。彼はただ悪趣味で曰く付き物品を集めたわけでは無く、神に縋り、仏に縋り、最後の手段として魔に縋っていたのだ。 ★家庭内暴力と放火…吉兼友三郎?, ★1967年 政春家 床下を徘徊し不吉なことを囁くものがいる…吉兼友三郎 ・1900~1903年? 奥山家の当主義宜(よしのぶ)の娘・三喜(みよし)が曰く付きの婦人画と共に、首都近郊の吉兼家に嫁ぐ, ・1905年 吉兼家三男・友三郎(ともさぶろう)が精神異常発症 わたしは小さい頃から結構、怖い本が好きで読んでいます。 「焼け、殺せ」の声に狂わされた友三郎がどんな末路を辿ったかは不明ですが、後世に現れる友三郎の霊(?)自体が「焼け、殺せ」と床下を這い回っている様をみると、どうやら奥山家の穢れに染まったようです。, 穢れの影響を受けるか受けないかは、特定の要素があるわけではないようです。 さらに年代をさかのぼり調査を進めると、突然自らこの世を去った女性、子供の命を奪った女性がいるという。, マンション、団地、家が建つ前は吉兼家が所有していた土地。 →同年12月頃 畳を擦る音 ★赤ん坊?…美佐緒の被害者, ・2001年11月 岡谷マンション204久保さん入居 廃業したのが2003年、作中で”私”達が真辺家を訪れたのが2008年なので時期は合いますが、作中の廃ラブホテルは軽量鉄骨となっているのに対して、実際の廃ホテルは木造となっているところに差異があります。, そして何より肝心な、この近辺に炭鉱or斜坑跡があるかどうか。 →家が売りに出される 結局は体の不調は昔の病気が原因だったと判明したこともあり解決。, ただ、ラストの部分でも、さまざまな怪奇現象?が起こり、すべてが偶然で済ますにはちょっと無理があるかなというところです。, この「私」は小野不由美先生ではないかと思われます。 美佐緒の犯行は単独のもので、穢れの連鎖とは関係ないように思えます。 ・藤原家は土地を高値で売って、高級老人ホームに入居, ※藤原家、根本家、松坂家、小井戸家のあった場所は駐車場になり、2年ほどそのままになった, ・1997年 岡谷団地飯田家、転居 屋に住人が入居 説2:「殺せ」と囁きながら床下を徘徊するものを防ぐために、嬰児の死体を床下に埋めた, しかし、美佐緒は殺したことを否認したり、逆に仄めかしたりするものの「殺せという声に従った」と供述した様子がありません。説1の可能性はなさそうです。 2013年版」(国内部門)第10位[1]。2013年、第26回山本周五郎賞を受賞[2]。『ダ・ヴィンチ』の「怪談オブザイヤー」で第1位[3]。, 京都市で暮らす〈私〉の生業は小説家である。執筆分野は大人向け小説が中心だが、嘗ては少女向けにライトノベルやホラー小説を執筆しており、そのあとがきで読者に「怖い話」の募集を呼び掛けていた。その縁で、嘗ての読者から「怖い話」を実体験として相談されることがある。, 2001年末(映画では2012年5月)、嘗ての読者で「岡谷マンション」の204号室に住む30代の女性・久保から1通の手紙が届く。手紙によると、久保がリビングでライターの仕事をしていると背後の開けっ放しの寝室から「畳を掃くような音」がするのだという。更には、翌年に久保から改めて電子メールが届く。相変わらず寝室から右に左に畳を擦るような音が続いたため、振り返ってみると着物の帯のような平たい布が目に入ったという。その話に〈私〉は奇妙な既視感を覚える。同じ頃、転居・同業者の夫との同居を控えていた〈私〉は荷物の整理をする内に、屋嶋という女性から1999年7月に受け取った手紙を目に留める。既視感の正体はこれだったと気づく。屋嶋も自宅マンションである401号室の寝室から時折聞こえる何かが床を掃くような音に悩まされていた。久保と屋嶋の住所は部屋こそ違えど同じマンションだったため、〈私〉は彼女らが遭遇しているのは同じものなのではないだろうかと考える。, 久保と屋嶋の話を合わせる内に〈私〉の脳裏には「和服姿の女性が縊死し、その折に解けて乱れた帯が床を擦っている」というイメージが浮かぶ。久保は、その帯がいわゆる金襴緞子の帯ではないかと言う。久保は不動産業者や図書館などで調べるが、「岡谷マンション」で過去に自殺者が出たというような情報は得られない。そんな中、久保は204号室の前住者・梶川亮の不幸な出来事を知る。彼は精神を病んで「岡谷マンション」を退去し、職を辞した後に新居のアパートで首を吊って自殺していた。久保と〈私〉は「岡谷マンション」が建つ土地が「いわくつき」だったのではないかと考える。久保は「岡谷マンション」が建っている土地やその周辺のいわくを調べるため、周辺の住人への聞き取りを始める。, 地元住民の1人である益子香奈恵の証言によれば、マンションが建つ前は駐車場で、更に遡ると数軒の一戸建て住宅が建っていたという。しかし、バブル期の地上げで軒並み転居した。最後まで残っていた小井戸家は近所でも有名なゴミ屋敷で、住人の男性は最終的に孤独死したと語る。そんな中、〈私〉は1999年当時に「岡谷マンション」の401号に住んでいた屋嶋から電話を貰い、部屋で遭遇した怪奇現象を聞かされる。彼女が401号室に入居したのは1999年3月だったが、最初から部屋には憂鬱な気が漂っていたという。当時2歳になる娘・美都は、和室の天井のあたりを意味もなく凝視し「ぶらんこ」とつぶやき、屋嶋自身も何かを掃くような音に悩まされていた。1999年7月頃、美都がぬいぐるみ「みふぃ」の首に紐をかけ、それを揺らして「ぶらんこ」と言いながら遊んでいたのに仰天し叱ったという。それらの現象に戸惑った末、彼女は〈私〉に手紙で訴えたのだった。霊感のない夫共々に寝床の周囲を赤ん坊がはい回るような音に悩まされ、最初の頃は無邪気に笑っていた娘も徐々に怯えるようになったため、たまりかねてその年の10月にマンションを引き払ったと語る。, 端緒の「岡谷マンション」と同じ土地で近隣にある団地「岡谷団地」には、何故か住人が居着かない家がある。最初の住人に因んで「黒石邸」と呼ぶ家の現在の住人・鈴木も〈私〉に奇怪な出来事を語る。ある日、台所で洗い物をしていた彼女は背後に何かの気配を感じる。蛇口の表面を見ると、髪の長い女が彼女の手許を肩越しに覗き込んでいるのが映りこんでいたという。後でよくよく思い返してみると割と長身の鈴木の肩越しだと背後に立っていたにしては女性の位置がかなり高く不自然だということに気づく。屋嶋からマンションでの体験を聞かされた鈴木は、蛇口に映っていた女は首を吊ってぶら下がっていたのだと考える。最初はからかってもいた夫も幾度となく怪異に苛まれて嫌がるようになり、夫婦揃って耐え切れなくなって退去した。, 2003年、〈私〉と久保は地域の町内会長だった老人・秋山から高度経済成長期における地域の情報、特に「ゴミ屋敷」として名高い小井戸家の情報を得る。秋山の証言によれば、小井戸家の住人・泰志は定職にも就かず戦争未亡人の母・照代と長年2人暮らしだったという。1980年頃に母親が死去した後に泰志はゴミを溜め込んだため、近隣住人は悪臭に悩むようになった。1990年7月に秋山らが町内会として訪ねたところ、泰志はゴミの山の中に敷かれた布団の上で死亡しているのが発見されたという。, 地元の神社の世話役・田之倉は、小井戸家が建つ以前の地域の様子を語る。彼の話によれば、戦後間もない頃は付近一帯は鋳物工場だったが、火災で全焼し、その跡地に高野という裕福な一家が家を構えていた。しかし、1955年頃、高野家の夫人・トシヱが末娘・礼子の結婚式の直後に礼装の黒紋付き姿で帯締めを鴨居にかけ、首を吊って自殺したという。妻を喪った高野氏はこの地を去り、その後に建ったのが小井戸家とのことだ。その話を聞いた久保は、自身が「岡谷マンション」の部屋で見た金襴の帯はトシヱの自殺した姿だったと確信する。, 2005年、〈私〉と久保は高野トシヱの友人だった日下部清子を取材する。彼女の話によれば、トシヱの末娘だった礼子は「進歩的な女性」で、男女交際が憚られる時代ながら男友達も多かったという。高校卒業後に都内で勤務していた礼子だったが、ほどなく帰郷、お見合いの末に結婚を目前としていた。そんなある夜、トシヱと外を歩いていた清子はトシヱから「赤ん坊の泣き声がしないか」と訴えられた。昔患った病気の所為で耳が少し遠かった清子には聞こえなかったが、トシヱは「何軒もの家で赤ん坊を泣かせて私たちをからかい面白がっているのだ」などとまくし立て、赤ん坊の声を異常に恐れていた。疑心暗鬼に陥ったトシヱに辟易してうっかり「私には聞こえないんだけどね」と口を滑らせてしまい、攻撃する連中の仲間かと誤解されかけ冷たい視線を向けられたこともあったという。やがて礼子が嫁入りする日が迫り、清子は娘の千香と2人で「結婚祝い」のため高野家を訪れる。その折、確かに部屋から湧きあがるような赤ん坊の声が響き、清子と千香も「赤ん坊の声」に納得せざるを得なかった。娘の結婚式の際、赤ん坊の声が聞こえて親戚連中まで嫌がらせを始めたのかと激昂したトシヱは帰宅してすぐ首を吊ってしまう。清子らは当時を思い出しながら、礼子は東京で不純交際の末に妊娠し、堕胎したのではないかと推理する。, 話を聞いた〈私〉と久保は、トシヱは娘の妊娠、そして堕胎による羞恥心と罪悪感に耐えきれず、更には「赤ん坊の泣き声」からノイローゼとなり発作的に縊死したのではないか考える。しかし、〈私〉は清子や千香の話を詳細に考察し、赤ん坊の声は「礼子の子」のみではなく複数だったのではないかと思いつく。久保は考えすぎではないかと言うが、懐疑的な〈私〉は複数の赤ん坊の声という考えを捨てられなかった。地域住人である辻の述懐によれば、高野家が建築される前に当地には植竹工業という鋳物工場があったが、戦後まもなく失火で全焼したという。植竹工場の周辺には工員の住居として長屋が立ち並んでいたが、その長屋にも幽霊話が取沙汰されており、他の地域の子供らは長屋で遊ぶのを避けていた。元工員の証言では、実際に工場で死亡事故が発生していた。また、2006年の秋に友人の〈ハマさん〉から〈私〉に情報が寄せられ、工場の長屋に住んでいた女性・中村美佐緒は貞操観念が薄く、妊娠・出産の度に嬰児殺しを繰り返していた。工場の焼失後も転居先でなおも続け、新聞沙汰になったという。〈私〉は、トシヱが耳にして脅えた赤ん坊の声とは、美佐緒の嬰児たちの声だったのだろうと考える。, 2006年末、久保は「岡谷マンション」の401号室の元住人・梶川の終の棲家であるアパートの大家・伊藤から、意外なことを聞かされる。梶川が縊死して1年以上を経た部屋に伊藤の反対を押し切って入居した住人から怪奇現象を訴えられたという。その怪異とは「畳を擦るような音」と「首吊り自殺した着物姿の女性の幽霊」だった。最初の入居者は結局4か月で逃げ出し、翌年の入居者も同様の怪異に見舞われ、今まで女性の入居者は1人もいないこと、自殺したのは男性であること、見ればわかるようにフローリングであること、首を吊ろうにもロープをかける場所自体がないと伊藤が説明するも聞かずに2人目の入居者も3ヶ月でアパートを出て行ってしまう。高野夫人の自殺に端を発する「穢れ」が、梶川によって何の関係もないアパートに伝染してしまったのだ。一方で体調不良に悩んだ久保は「岡谷マンション」からワンルームに転居するのだが、怪音はついて来てしまった。, 2007年、〈私〉は独自に「岡谷マンション一帯の土地の記憶」を調べていた怪奇作家・平山と再会する。調査結果によれば、植竹工場が建設される以前の大正時代、その地には資産家・吉兼一族の屋敷があった。しかし、吉兼家の三男・友三郎には精神障害があり、座敷牢に閉じ込められていたという。吉兼一族の菩提寺は近隣に健在だったが、住職・國谷は先代が住職を務めていた1945年、吉兼家の夫人・ハツが寺を訪問して以来、一族は離散・絶縁状態だと語る。寺に残る墓誌や過去帳を探ったところ、吉三郎の継母である吉兼三喜の奇怪な事象を聞かされる。後妻として吉兼家に嫁いだ三喜は、嫁入り道具の中に美人画の掛け軸を携えていた。寺の先々代の住職の備忘録によれば、吉兼家に不幸な出来事があると描かれた女性の顔が禍々しい笑みに歪み、ダンプなどが立てる低周波音域の音に似た地下を吹き抜けるような風の音が聞こえるという。間もなく吉兼家では息子の発狂や死産など不幸が相次ぎ、三善はその元凶と思われる掛け軸を菩提寺の住職に預けてすぐに若死にしていた。そんな不吉な掛け軸を嫁入り道具に持たせたことに〈私〉は三喜の実家の神経を疑うのだった。, 健康上の都合で久保が調査から外れた矢先、存在自体が怪である北九州最強の「奥山怪談」が浮上する。三善の実家は九州・福岡県にあった、この怪談の元である奥山家だった。地元の郷土研究家・福澤によると、小さいながら炭鉱を経営する奥山家は地域でも有名な資産家だった。しかし、大正の末、奥山家最後の当主・奥山義宜は家族と使用人を皆殺しにした挙げ句に自殺し、一族は断絶した。屋敷の跡地に建った家・真辺家でも不幸が重なり、解体された奥山屋敷の部材を買い取った愛知県の米溪家ではその部材「欄間」から仏間を覗くと地獄が見えると伝えられ、仏間の次の間で寝ると呻き声の混じった何処か遠い地の底で吹いているような風の音が聞こえて金縛りに遭ったり、東京の下宿に怪異がついて行ってしまったのか黒い人影が物騒な言葉を呟くなどと怪奇現象が頻発し、奥山家に関係するものはことごとく呪われた経過を辿ることになるという。奥山家の惨劇が、その後の枝分かれし量産された怪異の震源地だった。〈私〉は、久保が「岡谷マンション」で遭遇した怪異を末端とする一連の連鎖の震源地は奥山家だと考える。, 2008年11月、〈私〉と久保、平山や彼と懇意の編集者、そして福澤の5人は嘗て奥山家が存在した敷地に建つ真辺家の廃墟を調査するべく、九州に赴く。, 怪奇幻想文学研究家の中島晶也は「本書の怖ろしさは読み終わって本を閉じた後も読者を脅かし続ける」「本書が提示する恐怖は、過去に根差していて古いがゆえに本源的であり普遍的である」と評価している[7]。書評家の朝宮運河は「同時発売の『鬼談百景』とともに著者の〈怪談実話趣味〉が見事に実を結んだ傑作」と評価している[3]。詩人の川口晴美は、「流動民が増え土地の記憶を遡るのが難しくなった現代に、ウイルスに感染するようにして拡散していく恐怖の気配がなまなましい」と評した[8]。, 2016年1月30日(土)に『残穢 -住んではいけない部屋-』(ざんえ すんではいけないへや)というタイトルで公開。監督は中村義洋、脚本は鈴木謙一。配給は松竹[11]。第28回東京国際映画祭・コンペティション部門出品作品[12]。, また、『残穢』と連動するスピンオフ映像作品として『鬼談百景』も映像化された。2015年12月25日より動画サイト・GYAO!にて先行配信、2016年1月23日には東京・テアトル新宿で一夜限定で劇場公開された[13]。, 地理的には大分県に含まれるも文化圏としては北九州であり、都会に行くと言えば大分市ではなく小倉か博多、心霊スポットに行くとなると仲哀トンネルである。, http://www.yomiuri.co.jp/life/book/review/bunko/20150824-OYT8T50203.html, 和楽器バンド / 「Strong Fate」Full size music video, 東京国際映画祭コンペ部門、11年ぶりに邦画3作選出!『FOUJITA』『さようなら』『残穢』, http://www.nhk.or.jp/audio/html_fm/fm2014002.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=残穢&oldid=80050058, 製作 - 「残穢 -住んではいけない部屋-」製作委員会(ハピネット、松竹、エイベックス・ミュージック・パブリッシング、. ★首を吊る女性…高野夫人, ・2004年 伊藤アパート、梶川さんの部屋に新たな住人が入居 さらに感染した者が他の家に行って、さらに感染を引き起こすことに…。, ただし、この感染力はずっと続くわけではないが直接感染した者の感染力は強いということ。, 穢れは直接感染した者のみにとどまらないということは日本中に蔓延していくということですよね? 状況的に長屋にいた時期の犯行と思われるものはありますが、すでに長屋は取り壊されて他の住宅が建っているため、立証は不可能です。 作者と同様のプロフィールを持つ作家<私>が、東京郊外のマンションで起こる怪異に迫っていくホラー作品。実在の作家の平山夢明や福澤徹三が物語の登場人物になるなど、モキュメンタリーを連想させる作劇となっている。, 単行本は、2012年7月20日に新潮社より書き下ろしで刊行された。文庫版は、2015年8月1日に新潮文庫より刊行された。装丁は、単行本が祖父江慎+鯉沼恵一(cozfish)による。装画は、単行本が司修、文庫版が町田尚子による。, 2012年、「ダ・ヴィンチ BOOK OF THE YEAR 2012」(小説ランキング50)第8位。「ミステリが読みたい! →三ヶ月保たずに退去 お母さんが何を見ているの?と聞くと「ブランコ」と…。 この奥山家は場所も離れているが、物で怪現象は感染します。, 「私」は読者や周りの人を巻き込んで調査していくが、その間も怪現象、体の不調が起こります。 この家では地下牢に閉じ込められた三男が…。 この三男が地下を這いずり回ることを好んでいました。, また、嫁にきた女性が嫁入り道具として持ってきた掛け軸は顔がゆがむ、不幸を持ち込むという。 残穢; 著者: 小野不 ... なおラスト ... お寺さんというものに対して怪談にあるようにこれこれこうだと助言するイメージを持っていたため、取材した住職・林の淡白な反応に拍子抜けした。 久保さんが手紙を出すきっかけになったライトノベルのホラーシリーズというのは、講談社X文庫ティーンズハートから出ていた「悪霊シリーズ」と思われますし、同業者の夫と京都に居を構えている点も同じです。 ・地面の下で風が吹いているような、人の呻き声のような音, ・1946年 植竹工業焼失(死者・重傷者なし) バブル期の地上げをきっかけに、転居が相次ぐ しかし、それからまもなく長兄が死に、継母が宿した子は2回とも死産でした。 強いて言うならば、「精神的に不安定な者が影響を受けやすい」ということでしょうか。, 友三郎の場合はどうでしょうか? 「私」は作家であり、あとがきに怖い話があれば、送ってほしいと書いていたため、読者から実際に合った怖い話がいくつも送られてきたんです。, その中のひとつがこの残穢【ざんえ】。 6.被害者は諸説あるが、自分の母親、妻、子供数名、その配偶者と使用人(※姪や義弟といった親族)とされている 立て続けに起こった暗い出来事は、多感な少年の心を不安定にしたことでしょう。 ただ、「わたし」は呪いに関して懐疑的な意見の持ち主です。 3.三喜の遺骨は一周忌の後、実家に帰された, 5.義宜は明治の末か大正の初頭に家族を皆殺しにした 「焼け、殺せ」という声が聞こえると言い、家族に殴りかかったり、家に火を点けようとするため、私宅監置(座敷牢に監禁)となる。 残念ながら、調べた範囲では、このホテル周辺での炭鉱or斜坑跡情報を得ることは出来ませんでした。, 北九州市内の別の炭鉱をモデルにしていると考えられますが、数が膨大すぎて特定することは困難です。北九州市近郊に住んでいる人なら、もっと詳細を知ることが出来るかもしれないので、興味のある人は調べてみてはいかがでしょうか。, 映画「残穢~住んではいけない部屋」のイメージソングとして作られた曲をご紹介します。, ボーカルの鈴華ゆう子氏は、原作小説と映画の両方を見て作品の世界に深く入り込み、曲を作り上げたそうです。歌詞も作品とシンクロしているので、私は原作を読んだ後、しばらくこの曲を聴くのが怖くなりました。 それは岡谷マンション・岡谷団地で平穏に暮らす人がいることからも分かります。 →転居の三ヶ月後、飯田家一家無理心中 ここが恐ろしい。, 穢れが残り、恨みの対象でなくても、その場所に因縁を持った地縛霊でなくても、どこにでも怪現象は現れるということ。, そのため、進めるのが遅かった…。 上記の他に、奥山家から移築された欄間の話や、跡地に住んだ真辺家の話もあるのですが、年代を追っていけるほど具体的な描写がなかったので、年表には入れていません。, 吉兼三喜死去以降はすべて首都近郊での出来事なので、 最終的に、奥山家の主人は家族全員に手を掛け、没落してしまうことに。, つまり、大元の原因は奥山家なのです。 ・1890~1895年頃? 北九州の奥山家の炭鉱で大規模な事故、労働者にかなりの死者が出る →祖母によれば、ずっと前からいるが悪さはしないとのこと, ・1980年頃 小井戸照代が癌で死去、以降次第に息子の泰志がゴミを溜めるようになる 様々な謎を含み、現在から過去へと話がさかのぼっていく、小野不由美の小説「残穢」。発生した事象を時系列に並べ直し、本筋に関わる怪異について、8つの疑問点をとりあげ、考察しています。※ネタバ … やがて久保さんは、掃くような音と共に、「畳を這う金糸の帯のような物」を目撃する。 実はこの現象、この一室だけではないんです。, そこに住んでいる小さい子供が部屋の何もないところをじっと見つめています。 確かに怖いんですが、徐々に恐怖が増していきます。, でも、あるとき、この読者は一瞬、帯のようなものが見えたという。 問題の婦人画は「綺麗なお姫様の絵」で「代々、三喜の実家に伝わっていた」そうなので、大正5年(大正7年という説も)のこの作品は該当しません。, 奥山家の婦人画は戦災で焼失したということなので、ネット上で見られる画像はどれも違うでしょう。, 奥山家の炭鉱跡地には心霊スポットとして有名なラブホテルの廃墟があり、その裏手の藪をかき分けていくと、巨大なパイプを斜めに刺したようなコンクリート製の斜坑跡がある。, ・・・・・・ということですが、まず「心霊スポットで有名なラブホテルの廃墟」というのが見つかりません。 ならば、中村美佐緒は, 説1:「殺せ」という声に唆されて犯行を行った 同じような話をつい最近読んだ気がする―そう思っていた“私”は、過去に読者から寄せられた体験談の中に、久保さんと同じ住所の物を見つけ出す。 それは、出現場所に縛りがない性質である以上、ここで発生していないからと言って終息したとは限らないということです。, 結論)発生期間は不明である。薄まりつつ細く長く続いていき、やがてどこかで消えるかもしれないが、消えないかもしれない。それが穢れの伝播の恐ろしいところだ。, ここで1944年頃~1948年の中村美佐緒の事件が友三郎の影響だとした場合、美佐緒の最初の犯行が1945年と仮定すると、, 三喜が吉兼家に持ち込んだ婦人画は、時折嘲笑うように顔が歪み、そうすると家に不幸があるのだと伝えられています。 その後も2回、絵が笑ったことがあります。2回目の方の日付は不明ですが、3回目は昭和3年(1928年)6月となっています。, そのどちらかで友三郎が亡くなったと仮定すると、三喜が亡くなったのは1920年なので2回目はそれ以降、仮に1921年とすると、友三郎は31歳。3回目の1928年には38歳だから、31~38歳で亡くなったということになります。, なお、菩提寺には友三郎やその兄弟、実父の記録がないので、三喜の一周忌までは存命していたと考えられます。, 1.三喜の死後、実家も悲惨な末路を辿った →隙間が嫌い、隙間がある方が身体に悪い 早く読み終わりたい、先が気になる…でも、ひとりのときに読む勇気はない…だからこそ、お風呂の時だけと決めていました。, それは以前、怖いマンガを連日連夜、布団の中で読んでいて、恐ろしいことが起こったからです。, でも、なぜか湯船につかるとき、背中側をひとり分、スペースを空けてしまうんですよね。, 怖い話を読みたい人にはイチオシの作品ですが、怖がりの人は絶対に読まないでください。 ★床下を徘徊するもの?…吉兼友三郎, ★時期は不明だが、根本家は老夫婦で、呆けてしまった妻が「存在しない床下の猫」と縁側で話し込むようになる。…吉兼友三郎, ※1987~1989年 日本古来の考え方(仏教、神道)で、普通になくなったのではなく、恨みなどを持った状態でなくなった者は穢れとなってしまいます。, この穢れを持ってなくなった方の家を訪ねた者は家に持ち帰り、家族に感染を引き起こすのです。 詳しい人物像が語られていないので憶測ですが、友三郎が発症したのは15歳。 奥山家の穢れが、死産だったり殺されたりした子供達と混ざり合い、怪異となって後々まで影響しているのかもしれません。, 結論)中村美佐緒は、三喜が死産した子供経由で奥山家の穢れに影響された可能性がある。, 炭鉱の犠牲者と赤ん坊は、割りとすぐ怪異になり、長く続いているようです。 そのうち、子供がぬいぐるみの首にひもをかけて、ごっこ遊びを始めました。, そこで、いろいろ調べていくとどうやらこの岡谷マンションだけではありません。 →ノイローゼになった高野夫人が縊死, ・1957年 かつて長屋の住人だった方保田家で長男が家族を殺害 残穢【ざんえ】は本当に恐ろしい小説です。手元に置いておきたくない、読み終わったらすぐに処分してしまいたい。でも、捨てたら何かが起こりそう…。そんな残穢【ざんえ】は実話なのか、どのような恐ろしさを秘めているのか、ご紹介しています。手に取る前に、こちらを確認し