日本古典文学摘集; 平家物語; 巻第六; 四八五 小督 現代語訳. 小督(こごう、保元2年(1157年) - 没年不詳)は、平安時代末期の女性。本名は不明(角田文衞説では成子とされる)。藤原通憲(信西)の孫。桜町中納言・藤原成範の娘。高倉天皇の後宮。, 類稀な美貌の箏の名手であったと伝えられる。始めは冷泉隆房の愛人だったが、高倉天皇に見初められ寵姫となる。しかし中宮の建礼門院徳子の父であり、隆房の舅でもあった平清盛の怒りに触れ、治承元年11月(1177年12月)に坊門院範子内親王(高倉天皇第2皇女)を出産したのちに清閑寺で出家させられた。元久2年(1205年)に藤原定家が嵯峨で彼女の病床を見舞った記録が残るが[1]、その後の消息は不明。, 『平家物語』巻六や『たまきはる』に登場するほか、能の『小督』にも取り上げられている。, 時は平氏全盛の平安朝最末期、時の帝であった高倉天皇は最愛の寵姫を亡くし悲嘆に暮れていた。見かねた中宮(清盛の娘である建礼門院徳子)は天皇を慰めようと、美貌と音楽の才能で名高かった中納言・藤原成範の娘を紹介する。, しかし、中宮の父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れる事に怒り狂い、小督を宮中から追い出してしまった。, 小督は清盛を恐れて嵯峨に身を隠し、天皇とも音信不通となってしまう。天皇の嘆きは深く、密かに腹心の源仲国(宇多源氏・源仲章の兄)を呼び出して小督を秘密裏に宮中に呼び戻すよう勅を賜った。, ちょうど仲秋の夜のこと、月が白々と照る中を嵯峨野に出かけた仲国は、小督が応えることを期待して得意の笛を吹いた。すると、見事な「想夫恋」の調べがかすかに聞こえてくるので、音のするほうに向かうと、果たして粗末な小屋に小督が隠れ住んでいた。, 最初、小督は清盛を恐れて宮中に帰るのをしぶるが、「想夫恋」の曲で彼女の真意を悟っていた仲国に押し切られこっそりと天皇の元に帰ってきた。2人はひっそりと逢瀬を重ねるが、清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまう。, 能の『小督』はこのうち嵯峨野の場面に取材したもので、伝金春禅竹作の四番目物。現在も比較的盛んに上演される、美しくも哀切な名作である。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=小督&oldid=59309065. 「小督」梗概 金春善竹の作か。『平家物語』巻六「小督の事」に拠ったもので、文句もそのまま採ったところもある。 高倉院の寵愛を得ていた小督局は、中宮が太政大臣平清盛の女であったので、その威勢を憚り姿を隠してしまった。 `高倉天皇が葵の前の訃報で涙に沈んでおられたのをお慰めしようと、中宮・徳子は自分に仕える者の中から小督殿という女房を送られた; `この女房というのは、桜町中納言・藤原重教殿の娘で、比類ない美人、琴の名手であった 小督:平家物語巻第六 (平家物語絵巻から 小督) 「小督」の章は、能の人気曲にもなっており、また黒田節の一節にも取り入れられているとおり、人々にとりわけ親しまれてきた部分だ。 ‚«Šo‚¦AL‚ß‚½‚Æ‚³‚ê‚éB‚»‚ÌŒã‚àA•½‰Æ•¨Œê‚́A¢‘ã‚ð’´‚¦‚Ä”ú”i–@Žt‚ª“`³‚µ‚½B,  @•½‰Æ•¨Œê‚ÌŒ´•¶EŒ»‘ãŒê–óiŒûŒê–óE‰ðŽßj. ¦å³ã‚’経ずして、内大臣より太政大臣従一位に至り~, 『平家物語』の原文・現代語訳6:かくて清盛公、仁安三年十一月十一日、年五十一にて病にをかされ~, 『平家物語』の原文・現代語訳7:我が身の栄花を極むるのみならず~, 『平家物語』の原文・現代語訳8:一人は后に立たせ給ふ~, 『平家物語』の原文・現代語訳9:太政入道は、かやうに天下を掌の中に握り給ひし上は~, 『平家物語』の原文・現代語訳10:ある時佛御前申しけるは~, 『平家物語』の原文・現代語訳11:妓王は、もとより思ひ設けたる道なれども、さすが昨日今日とは思ひもよらず~, 『平家物語』の原文・現代語訳12:妓王、独り参らん事の余りに心憂しとて~, 『平家物語』の原文・現代語訳13:かくて春過ぎ夏たけぬ~, 『平家物語』の原文・現代語訳14:昔より今に至るまで~(現在位置). 平家物語」は決して難解な書物ではない。 異本の類は多いが、怪談「耳なし芳一(ほういち)」にみられるように、盲人の僧が日々の糧を得るため、辻芸で琵琶を弾きつつ語って聞かせた大衆娯楽でもあったからだ。 そして私たちは「平家物語」を中学、高校で「日本文学の中心に位置している書物」と教わる。その理由は漢文の読み下し調と源氏物語のごとき和語の「和漢混交」の文で綴られ、以降の「書き言葉」の原型となったからだ。例えば人と人との情実を語るには「和文」を、戦いの場面を描写 … 平家物語の原文と現代語訳です。現代語訳は、分かりやすく原文に忠実な言葉遣いで表しました。平家物語は、平清盛を中心に平家の栄枯盛衰を描いています。ただし、平家物語は、あくまでも物語。史実と異なる部分もありますので、文学としてお楽しみください。 経歴. 小督(こごう、保元2年(1157年) - 没年不詳)は、平安時代末期の女性。 本名は不明(角田文衞説では成子とされる)。 藤原通憲(信西)の孫。 桜町中納言・藤原成範の娘。 高倉天皇の後宮。. 『平家物語』の原文・現代語訳12:妓王、独り参らん事の余りに心憂しとて~ 『平家物語』の原文・現代語訳13:かくて春過ぎ夏たけぬ~ 『平家物語』の原文・現代語訳14:昔より今に至るまで~(現在位置) [古文・原文] 二代の后の事 「平家物語」では高倉帝は小督が去った悲しみで二十一歳の若さで病気になり、崩御したと伝えています。 小督は高倉帝が葬られた清閑寺近くに庵を結んで生涯をかけて天皇の菩提を弔い、四十四歳でこの世を去りました。