今回はとりあえず全部答えたつもりでしたが問一は完全に間違えていました。 別に学歴なんて気にしてませんでしたし、そこそこ大きい企業に勤めて給料にも不満がありませんでしたし、私も働いていますし「専門技術だけで大きい企業に勤めるなんて凄... 先日、息子が彼女にプロポーズして、相手両親に挨拶に行きました。彼女は一人娘で、彼女の父親から、氏名だけでも彼女の姓を名乗ってもらえないかと言われたと息子より相談の連絡がありました。まだしっかりと話はしていないので、息子の考えや彼女の考えもわかりませんが、いずれこのような相談があるだろうと私自身前... 詐欺メールが届きました。SMSで楽天市場から『購入ありがとうございます。発送状況はこちらにてご確認下さい』 と届きその後にURLが貼られていました。 大宮~宇都宮の区間においては、最高速度ははやぶさ号は275km/hとなっている。こちらもまた、首都圏とあって沿線に住宅街が多く立地する。 半径曲線がきついカーブは大宮駅付近を除いて存在しないものの、騒音への対策からやむを得ず275km/hに設定されている。 はやぶさ・こまち以外の列車は240… 結婚したことを後悔しています。私と結婚した理由を旦那に聞いてみました。そしたら旦那が「顔がタイプだった。スタイルもドンピシャだった。あと性格も好み。」との事です。 どこの何という駅でしょうか, 年末年始の新幹線での帰省について。予想で良いので教えてください。 山陽新幹線:新大阪駅~博多駅 九州新幹線:博多駅~鹿児島中央駅, 引用:JR東海(https://railway.jr-central.co.jp/train/shinkansen/detail_01_01/index.html), n700系は700系新幹線を土台に、さらなる高速性と快適性・環境性能向上の両立を目指し、JR西日本とJR東海によって共同開発されました。, 東海道新幹線は1964年に開業したという日本の新幹線としては最古の歴史を持っています。, 当時の東京オリンピックに合わせるために開業を急いだこともあり、大都市を縫うように走ったり、多くのカーブが存在しているのが特徴です。, 引用:JR東日本(https://www.jreast.co.jp/development/tech/pdf_2/07-10.pdf), 2001年にJR東日本がE3系をベースに開発したのが白ベースに赤の塗装が特徴のイースト・アイです!, 東北、上越、北海道など東日本全域と北陸新幹線のJR西日本区間の検測を担っている存在です。, 引用:JR東海(https://railway.jr-central.co.jp/train/work/detail_04_01/index.html), 運行日が限られており、走行時刻も公開されていないことから「見ると幸せになれる」とも言われています!, 主に新幹線区間において、線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを検測しながら走行します!, 700系をベースとしたこの検測車両の速さは、北陸や九州の新幹線の営業速度のよりも速い時速270kmとなっています。, 検測車両導入時からドクターイエローは東海道・山陽新幹線の検測を担っている車両です。, こだま(山陽新幹線)のコンセントの場所はどこ?700系とN700系は窓側にない?自由席・指定席の位置の違いも!, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。, リニア中央新幹線(https://linear-chuo-shinkansen.jr-central.co.jp/faq/), JR北海道(https://www.jrhokkaido.co.jp/train/shinkansen.html), JR東海(https://railway.jr-central.co.jp/train/shinkansen/detail_01_01/index.html), JR東日本(https://www.jreast.co.jp/development/tech/pdf_2/07-10.pdf), JR東海(https://railway.jr-central.co.jp/train/work/detail_04_01/index.html), 新幹線のぞみ・ひかりの席はどこがいい?1人の時や2人の時に人気なおすすめの席や選び方も!, 【新幹線速さランキング】日本の新幹線で最も早いのは?最高速度や平均速度などのスピードまとめ!. 二次試験は合格率が高いのに 問三と問四も問の意味は理解していました。 ※現時点で乗り込めるのは山梨県にあるリニア実験線(42.8㎞)のみです。, JR東海の公式サイト(https://jr-central.co.jp/)から試乗を申し込むと、抽選で合否が決定します。, 山梨県のリニア実験線にてL0系に乗り込めば、あっというまに時速500kmの世界を体験できるため、応募の倍率はかなり高めですが、磁力で浮上しての営業速度が最高で505kmになる中央新幹線は、圧巻の速さです!, 2015年4月の走行試験では603kmを記録していますが、この速さは鉄道の有人走行としては世界で一番とギネス認定されています。, 営業開始時期:E5系:2011年3月5日 路線名:東北新幹線、秋田新幹線. 変な質問でごめんなさい。2年前に結婚した夫婦です。それまで旦那は「専門学校卒だよー」って言ってました。 区間:東北新幹線:東京駅~盛岡駅 秋田新幹線:盛岡駅~秋田駅. そんなに早く終了すると悲しいです( ; ; ). とてもいい感じです 東北新幹線のうち東京都 - 盛岡市の区間は1971年(昭和46年)1月に全国新幹線鉄道整備法第4条第1項の規定による『建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』により公示された3路線のうちの1つである。 同年4月に整備計画が決定され着工された。 1964年10月1日に “夢の超特急”といわれた東海道新幹線が開業してから早50年を超えました。, 開業した当時に走っていた0系新幹線は210km/hという世界最高速度の営業運転を行っていました。, 日本で実際に走っている新幹線をもとにランキング付けしています。 旦那が東大卒なのを隠してました。                         H5系:2016年3月26日, 引用:JR北海道(https://www.jrhokkaido.co.jp/train/shinkansen.html), 現時点の通常営業の路線で、日本で最も速い新幹線の代表格となるのがH5系・E5系です!, そのボディの特徴は常磐グリーンを基調としていることと先頭車両の長さ15ⅿにおよぶノーズ(先端から後方に向けて車体が大きくなっていく部分)の部分です。, E5系とH5系は、時速320kmに達しており、最短で東京と青森の間(713.7㎞)を3時間で結んでいます。, デビュー当初は最高速度300㎞でしたが、2013年からは時速320kmの早さにスピードアップしています!, 将来的には時速360kmまで引き上げ、世界でも屈指の営業速度を実現する見通しです。, H5系車内は縄文土器の文様やアイヌ文様等にヒントを得た柄をデザインとしているなど、魅力的な内装を見ることができます。, 先頭車両の形状はE5系とよく似た長いノーズを持っており、ノーズによって騒音や空気抵抗の低減を実現しています。, 在来線をE6系が通過する場合には時速130km、東北新幹線に入ると最高時速320kmへスピードアップし、最短で東京~秋田間(662.6㎞)を3時間30分台で走ります。, 現在は秋田新幹線を中心に走っていますが、今後は山形新幹線でも導入される予定となっています!, 区間:東海道新幹線:東京駅~新大阪駅 世間のイメージとはそういうものなのでしょうか?, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13128589003. 東北新幹線の最高速度は宇都宮~盛岡の区間だってのはわかるんだけど、具体的にどこの区間でだせますか?列車名ごとに最高そくどは決まってるんですか? e5系とe6系が、列車名に関係なく320キロ区間 … ※普段乗れない新幹線も含んでいます。, 営業開始時期:山梨リニア実験線:1996年(中央リニア新幹線:2027年部分営業開始予定), 引用:リニア中央新幹線(https://linear-chuo-shinkansen.jr-central.co.jp/faq/), リニア中央新幹線は鉄道のように車輪とレールの間の摩擦が生じないので、超高速での走行が可能です。, 営業速度は時速500km以上で、最速で東京(品川)と名古屋の間(285.6km)を40分で結びます。 旦那は私の顔を上の中と言います。だったら上の上がいたら私は捨て... 英検3級の二次試験が不合格でした。僕は中学三年生です(今年で高校1年)英検3級の二次試験である面接が不合格でした。結果をサイトで見た瞬間、とてもショックで悔しかったです。自分の面接カードを破ってしまいたいくらいです。再受験では一次試験は免除されますか?本屋でCD付きのものを買ったりした方がよいのでしょ... エリザベス女王杯2020日刊スポーツ大阪伊嶋さんの予想を知りたいのです。あとオカダさんの本命もわかればよろしくお願いいたします。, ママ友との会話で旦那が工場勤務とか土方は嫌だよね〜って話題になりました。そのママ友には言っていないのですが旦那が土方仕事をしています。 営業開始時期:2013年3月16日. がんばろう東北!」のステッカーを貼って運転された。また、「はやぶさ」が東京駅 - 新青森駅間で1往復、東京駅 - 仙台駅で1往復運転され、グランクラス料金の一部は被災地復興支援の義援金として寄付された[95][報道 8]。, 運転再開当日は仙台市地下鉄南北線の全線開通や、東北楽天ゴールデンイーグルス(Kスタ宮城・vsオリックス・バファローズ戦)・ベガルタ仙台(仙台スタジアム(ユアテックスタジアム仙台)・vs浦和レッズ戦)の本拠地初戦の開催と重なったことから、仙台市の市民ボランティアのTwitterでの呼びかけにより、九州新幹線開業CMを元に、通過する列車を沿線で手を振って迎えようというプロジェクトが企画され、当日は沿線で多くの人が列車に向かって手を振る様子が見られ、この模様がYouTubeやニコニコ動画などで配信された[新聞 3]。, 全線運転再開後も那須塩原駅 - 盛岡駅間では徐行運転による暫定ダイヤでの運転が継続されたが、7月9日に那須塩原駅 - 福島駅間および一ノ関駅 - 盛岡駅間で[報道 9]、9月23日には全区間で速度規制が解除され[報道 10]、約半年ぶりに震災前の所定ダイヤ(最高速度300 km/h)での運転が可能になった[95]。, 2005年6月からE954形(FASTECH 360S)、2006年4月から新在直通対応のE955形(FASTECH 360Z)による試験走行が開始され、地上設備と車両に関して様々な試験が行われた。その結果結果を踏まえて、2007年7月に東北新幹線320 km/h化が決定された[96]。 湘南ライナーが来春で廃止され、新たに特急湘南が運行されるそうですね。高崎線系統には既に特急あかぎが走っていて、中央線系統には特急おうめ・特急はちおうじが走っていますが、なぜ宇都宮線系統には通勤特急が走っていないのでしょうか? JavaScriptが無効です。ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてください。JavaScriptを有効にするには, 東北新幹線の最高速度は宇都宮~盛岡の区間だってのはわかるんだけど、具体的にどこの区間でだせますか? 身に覚えが無いのでその時は詐欺メールという考えがなく、そのURLを開いてしまいました。 新型コロナの影響で今年のお盆の新幹線の乗車率はかなり減っていましたが、今年の年末年始の帰省客も昨年の年末年始と比べて減ると思いますか?またどれくらい減ると思いますか?, さっきアメリカが国家非常事態宣言を出したそうです。ネットで「これはやばい」というコメントを見たのですが、具体的に何がどうやばいんですか?. 引用:JR東日本. 列車名ごとに最高そくどは決まってるんですか? 開いた後は発送状況を確認できるサイトに移動することは無く、ポップアッ... 英検二級の面接に二回連続で落ちました。 E5系とE6系が、列車名に関係なく320キロ区間は、320キロだしますか?つまり、「はやぶさ」と「こまち」じゃなくても320キロだすのはあるの?, 京都の地下鉄が少ない理由は? 東北新幹線(とうほくしんかんせん)は、東京駅から新青森駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の高速鉄道路線(新幹線)およびその列車である。, 東北新幹線のうち東京都 - 盛岡市の区間は1971年(昭和46年)1月に全国新幹線鉄道整備法第4条第1項の規定による『建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』により公示された3路線のうちの1つである。同年4月に整備計画が決定され着工された。日本国有鉄道(国鉄)によって建設され、1982年(昭和57年)に大宮駅 - 盛岡駅間が開業し[1]、1985年(昭和60年)3月には上野駅 - 大宮駅間が開業した[1]。国鉄分割民営化後、東北新幹線は東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線となり1991年(平成3年)6月に東京駅 - 上野駅間が開業した[2]。, 一方、盛岡市 - 青森市の区間は1972年(昭和47年)に、基本計画が公示され、1973年(昭和48年)11月に整備計画が決定された5路線(いわゆる整備新幹線)の路線の1つである[3]。国鉄の財政悪化により建設が一時凍結されたが、1991年(平成3年)に沼宮内 - 八戸間が標準軌新線(フル規格)、盛岡 - 沼宮内間および八戸 - 青森間が新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線)として着工された。その後、全区間がフル規格で建設され、2002年(平成14年)12月に盛岡駅 - 八戸駅間が開業し[4]、2010年(平成22年)12月に八戸駅 - 新青森駅間が開業した[5]。これにより東北新幹線は整備計画の決定から39年を経て全線開業となった。2016年3月以降は、北海道新幹線との直通運転も実施されている[注 2]。, 全区間が東日本旅客鉄道(JR東日本)により運営されているが、整備新幹線として建設された区間は鉄道建設・運輸施設整備支援機構が鉄道施設を保有している。, 寒冷な積雪地域を高速走行するため、車両および地上設備に冬季対策が施されている。また、開業以来高速化が図られ、2013年のダイヤ改正時より、国内の鉄道の営業速度としては最速の320 km/h運転が一部区間で行われている。, 日本最長の鉄道路線(営業キロ713.7 km、実キロ674.9 km)であり、線内の白石蔵王駅 - 仙台駅間にある 25.7 km の直線区間は、日本最長の線路の直線区間である[注 3]。, 駅施設管理、営業業務は沿線の支社が行なっている。支社毎の駅の管轄割り当ては以下の通り。, かつてJR東日本の新幹線では、全体の運行管理業務を本社内の新幹線運行本部が統括する一方、保線管理や駅営業業務等の現業機関については地方支社が新幹線と在来線の双方を一体管理する組織体系を採っていたが[注 5]、新幹線統括本部の発足により、各支社は新幹線において駅の施設管理・営業業務ならびに工務関係の支援のみを担うようになった。, 途中駅のうち大宮駅・仙台駅・盛岡駅には全列車が停車する[注 7]。東京駅 - 盛岡駅間における各駅のプラットホームはフル規格16両編成対応(約400 m)だが、いわて沼宮内駅 - 八戸駅間はフル規格12両編成(約300 m)、七戸十和田駅以北はフル規格10両編成(約250 m)までしか対応していないため、16両編成が入線可能な駅の北限は盛岡駅である。このため秋田新幹線の盛岡駅 - 秋田駅間が悪天候等で区間運休となった場合、盛岡駅で足止めされた(本来は秋田駅へ向かう予定の)「こまち」車両は盛岡新幹線車両センターへ臨時回送される。また同様の理由で、ミニ新幹線規格車両の停止位置に、旅客転落防止目的で設置されるローピング設備は、いわて沼宮内駅以北では省略されている。, 福島駅の山形新幹線発着ホームは(東京方面から新青森方面に向かって一番左側にある)14番線1本のみとなっているため「つばさ」の上下同時発着はできず、かつ分割・併合相手となる「やまびこ」は上り(東京行き)の場合、当駅前後で下り本線と2度平面交差することとなり、ダイヤ作成上のネックとなっている。, 盛岡駅の秋田新幹線ホームは外側の11番線(上り)および14番線(下り)を用いる(外側線と内側線とでは信号保安装置が異なるため「こまち」と「はやぶさ」の分割・併合は外側線のみで可能)。このため上り「こまち」は当駅構内北側で東北新幹線下り本線と平面交差する。, 盛岡駅以北は沿線人口および利用客が少ないため、建設費削減の観点からホームを17両対応にする必要は無しと判断された。現在当該区間を運行する「はやぶさ」・「はやて」は10両編成のみであるが、2002年開業の盛岡駅 - 八戸駅間は臨時列車の入線も考慮して12両編成対応とされた。2010年開業の七戸十和田・新青森両駅はさらに短い10両編成対応に簡素化されたほか、新青森駅北側にある盛岡新幹線車両センター青森派出への回送線は単線で建設されたため、下り回送列車は北海道新幹線上り本線と平面交差する。, 八戸駅を除く盛岡駅以北の途中駅および同駅以南において開業後に増設されたくりこま高原駅・水沢江刺駅・新花巻駅は待避線の無い「棒線駅」となっており、ホームには可動式安全柵(ホームドア)が設置されている。, 東北新幹線では、上越新幹線と同様に、開業時には在来線とほぼ同様の様式の駅名標が設置されていた[新聞 1]が、JR東日本発足後に順次同社標準の駅名標に交換されている。, なお、東海道新幹線や山陽新幹線ではそれぞれに独自仕様の駅名標が設置されていたが(前者は1970年代中頃に、後者は国鉄末期より順次交換されたため、現存していない)、東北新幹線および上越新幹線では独自仕様の駅名標を採用しなかった。, 東京から仙台・盛岡・新青森および北海道新幹線の新函館北斗方面にはおおむね1時間に1本の割合で運転されており、さらに那須塩原・郡山・仙台方面への区間列車が運転されている。停車駅もおおむね固定されているが、時間帯によっては停車駅が増えたり減ったりする列車もある。全列車が東京駅を4の倍数の「分」に発車し、到着列車も1本をのぞいて4の倍数の「分」に到着する。, 開業当初は東海道・山陽新幹線にならって、「ひかり」に相当する速達タイプを「やまびこ」、「こだま」に相当する各駅停車タイプを「あおば」としていた。, その後、東北・上越両新幹線の列車名を運行区間別とする愛称の再編が行われた。まず1995年12月1日のダイヤ改正からは「あおば」のうち東京駅 - 那須塩原駅間の近距離列車を「なすの」として分離[新聞 2]。また1997年3月22日の秋田新幹線開業時のダイヤ改正からは仙台駅 - 盛岡駅間の「あおば」は秋田新幹線「こまち」と併結されることになり、東北新幹線内は従来通り各駅停車で運転されるものの「やまびこ」に統合。そして秋田新幹線開業半年後の10月1日のダイヤ改正からは東京駅 - 仙台駅間の「あおば」が「やまびこ」に統合され、「あおば」の愛称は消滅した。, その後2002年12月1日の盛岡駅 - 八戸駅間延長開業時のダイヤ改正からは主に東京駅 - 八戸駅間を運行する最速達列車として「はやて」が新設され、八戸駅 - 新青森駅間延伸開業後の2011年3月5日からは「はやて」に代わる東京駅 - 新青森駅間の最速達列車として「はやぶさ」が新設された。現在はE5系の増備により「はやて」のほとんどが「はやぶさ」に置き換えられたが、盛岡駅以北のみを運行する区間列車はE5系であっても「はやて」の名称を用いている(盛岡駅以北は全て最高速度が260 km/hの整備新幹線区間に当たるため。「はやぶさ」は最高速度300 km/h以上で運行される列車のみに用いている)。, このように現在はおおむね行き先別に列車愛称が付されているが、東京駅 - 郡山駅 - 仙台駅の区間では最速達が「はやぶさ」、準速達が「やまびこ」、各駅停車が「なすの」というように速度別の要素も含まれている。, 「はやぶさ」は、主に東京駅 - 盛岡駅・新青森駅・新函館北斗駅間で運行される東北新幹線最速達列車。使用車両はE5系・H5系。全車指定席。, 2011年3月5日に運行開始。大宮駅 - 宇都宮駅間の最高速度は従前の240 km/hから275 km/hに、宇都宮駅 - 盛岡駅間ではE2系「はやて」・「やまびこ」の275 km/hから300 km/hへ引き上げられ、東京駅 - 新青森駅間を最短3時間10分で結んだ。, その後、2013年3月16日のダイヤ改正からは宇都宮駅 - 盛岡駅間の最高速度をさらに320 km/hまで引き上げ、東京駅 - 新青森駅間の所要時間は最短2時間59分となり、初めて3時間を切った[13]。速度向上の詳細は沿革を参照。, 「はやぶさ」号とはやぶさ号以外の列車では区間によっては差額料金が生じる。詳細は運賃と特急料金を参照。, 北海道新幹線開業前は、仙台駅 - 新青森駅間運行の1往復のみ普通車自由席が設定されていたが、2016年3月26日の北海道新幹線開業後は、これを延長した仙台駅 - 新函館北斗駅間運行の1往復も含め全列車が全車指定席となった[報道 1]。, 現在は、最高速度300 km/h以上で運行する区間を含みかつ大宮駅 - 仙台駅間ノンストップの列車(仙台駅以北のみ運行する列車の場合は盛岡駅以北に乗り入れる列車)に「はやぶさ」の愛称が用いられている。, 「はやて」は、主に盛岡駅・新青森駅 - 新函館北斗駅間で運行される速達列車。全車指定席。使用車両はE2系・E5系。, 2002年12月1日の盛岡駅 - 八戸駅間延伸開業と同時に運行開始。大宮駅・仙台駅・盛岡駅・八戸駅には全列車が停車する。仙台駅 - 盛岡駅 - 新青森駅間では時間帯などに応じて列車ごとに停車駅が追加設定される。2009年3月13日までは、大宮駅も通過する仙台駅 - 東京駅間ノンストップ運転の列車が上り1本のみ運転されていた。2014年3月14日までは東京駅 - 仙台駅・盛岡駅間で秋田新幹線「こまち」(E3系およびE6系。東京駅 - 秋田駅間)を併結した16 - 17両編成で運転されていた(一部の盛岡駅発着列車は「はやて」単独の10両編成で運転)。, 北海道新幹線開業前は、盛岡駅 - 新青森駅間の各駅に停車する区間列車も存在し、こちらには普通車自由席が設定されていた。「はやぶさ」運転開始後、盛岡行「やまびこ」の本数が減少したことを受け、仙台駅 - 盛岡駅間では、この区間の途中駅に停車する列車でかつこの区間内を利用する場合に限り、自由席特急券で普通車を利用できるようになった(これは「はやぶさ」にも共通の措置)。2016年3月26日の北海道新幹線開業後は、盛岡駅・新青森駅 - 新函館北斗駅間の列車には、自由席は設定されなくなり、全列車が全車指定席となった[報道 1]。, 現在は、最高速度300 km/h以上で運行する区間が存在せず、かつ大宮駅 - 仙台駅間ノンストップの列車(仙台駅以北のみ運行する列車の場合は盛岡駅以北に乗り入れる列車)に「はやて」の愛称が用いられている。(現在は臨時列車のみで設定されている。), 2019年3月16日のダイヤ改正で東京駅 - 盛岡駅間の定期列車の設定が無くなった[報道 2]。, 「やまびこ」は、東京駅 - 仙台駅・盛岡駅間で運行され、主に上野駅・大宮駅・宇都宮駅・郡山駅・福島駅と仙台駅 - 盛岡駅の各駅に停車する準速達列車。使用車両はE2系(東京駅 - 仙台駅間)・E5系・H5系。また、一部列車には増結車としてE3系・E6系が併結される。, 東京駅 - 仙台駅間の「やまびこ」は、東京駅 - 福島駅間で山形新幹線「つばさ」(東京駅 - 山形駅・新庄駅間)を併結し、日中を中心に白石蔵王駅にも停車する列車と、各駅停車(朝夕)または白石蔵王駅のみ通過する列車(主に日中)などがある。早朝および深夜には、那須塩原駅・郡山駅 - 仙台駅間および仙台駅 - 盛岡駅間の各駅停車区間列車も運行されている。, 現在は、原則として郡山駅以北に乗り入れ、大宮駅 - 仙台駅間を走行する列車の場合は同区間がノンストップではない列車に「やまびこ」の愛称が用いられている。ただし、臨時列車で毎週金曜日(休日と重なる場合はその休前日)のみ運行される「やまびこ249号」は大宮駅 - 仙台駅間をノンストップ運転する。, 「なすの」は、東京駅 - 那須塩原駅・郡山駅間で運行される各駅停車列車。朝の上り252号のみ小山駅→東京駅間で運行される[14]。使用車両はE2系・E5系。また、一部列車には増結車としてE3系・E6系が併結される。, 主に朝夕の栃木県 - 東京都心間の旅客需要に対応する列車で、日中は「やまびこ」とともに東京駅 - 宇都宮駅間利用客の着席機会を増すことを副次的な目的とする。運転開始当初は那須塩原以南のみでの運行であったが、秋田新幹線開業に伴う速達タイプの増加による新白河駅・郡山駅停車列車の減少を補う形で、運行区間が郡山駅まで延長された。これにより「やまびこ」との乗り継ぎが若干改善された。朝夕は土曜日・休日運休となる列車がある。, 「つばさ」は、山形新幹線直通(東京駅 - 福島駅間は「やまびこ」に併結。定期列車の121・160号と、臨時列車の一部は全区間単独運転)。使用車両はE3系(1000・2000番台)、東北新幹線内の最高速度は275 km/h。, 「こまち」は、秋田新幹線直通(東京駅 - 盛岡駅間は「はやぶさ」に併結)。全車指定席。使用車両はE6系、東北新幹線内の最高速度は320 km/h。, E6系を使う列車は営業運転開始当初「スーパーこまち」を名乗っていた。これは、秋田新幹線車両のE3系からE6系への置き換えが完了するまでの約1年間、両者の区別をするための過渡的なものであり、最高速度は300 km/hとなっていた。2014年3月15日のダイヤ改正でE6系への置き換えが完了した後は「こまち」へ統一され、最高速度も320 km/hに引き上げられた。, 「あおば」は、1982年6月の大宮暫定開業時に、速達タイプの盛岡発着「やまびこ」に対して各駅停車タイプの仙台駅発着列車として登場した。大宮駅 - 盛岡駅間暫定開業時は1日6往復だったが[15]、上越新幹線が開業した同年11月には1日12往復に増発され、大宮駅 - 那須塩原駅間や那須塩原駅 - 仙台駅・盛岡駅間、仙台駅 - 盛岡駅間などの区間列車も登場した[16]。その後増発され、1985年の上野駅 - 大宮駅間延伸開業時に上野駅発着、1991年の東京駅 - 上野駅間延伸開業時に東京駅発着となり、1992年の山形新幹線開業時点では定期列車下り1本と臨時列車が上野駅発着となっている[17]。1994年に2階建車両E1系の導入により、「Maxあおば」が登場した。しかし、1995年に東京駅 - 那須塩原駅間の列車が「なすの」・「Maxなすの」が変更され、「あおば」「Maxあおば」は削減[新聞 2]。1997年10月、仙台駅発着の列車は速達タイプ・各駅タイプ問わずに「やまびこ」となり、「あおば」が消滅して全て「やまびこ」・「なすの」に置き換えられた。, 2階建車両のE1系・E4系を使用する列車に使われていた愛称。2012年9月29日ダイヤ改正で廃止され、E2系などを使用する「やまびこ」・「なすの」のみとなった。, 上記のほかに、北陸新幹線用のE7系が試運転や臨時列車で運転されることがあるが[報道 3][21]、定期列車では運用されない。, 編成記号の「S」は、系列に関係なく非営業用車両全般に用いられている。400系などの量産先行車も営業運転開始まで「S」を付けていた。, 運賃は営業キロに基づいて算出する。東京 - 盛岡間の営業キロは対応する在来線である東北本線のものと同一になっている(同区間の営業キロは535.3キロメートル、実キロは496.5キロメートル)。盛岡以北の営業キロは、並行在来線が第三セクター鉄道へ移管されたため、対応するJR路線がないことから実キロ(新幹線での実際の距離)がそのまま用いられている。, 特急料金は、「三角表」により各駅間個別に定められている。一方、この各駅間の特急料金は当該区間の営業キロに基づいて算出されたものである。2019年10月1日改定の営業キロに対応する特急料金、およびその他の特定の区間の特急料金は以下のとおり[22]。, なお、大宮駅 - 盛岡駅間については1982年の大宮暫定開業時、「営業キロが500キロメートルをわずかに越える(505キロメートル)ために特急料金負担増になる」ことが終着駅である盛岡で問題となり、当時、国鉄がこの区間について特例措置を取った経緯から401-500キロメートル区分の特急料金となっている。, 全列車に普通車とグリーン車を連結するほか、E5系・H5系を使用する列車(「はやぶさ」全列車と、「はやて」・「やまびこ」・「なすの」の一部列車)には、より上位のグレードである「グランクラス」車両も連結する。, なお、JR東日本は2007年3月のダイヤ改正以降、東北・上越・山形・秋田の各新幹線[注 8]および在来線特急列車の全てを禁煙車とし、喫煙ルームなども設けていないため、車内での喫煙はできない。, 東海道新幹線は開業4か月目で雪害の影響により列車の定時運行ができなくなった。そのため、寒冷・豪雪地帯を通過する東北・上越新幹線では10年に1度の積雪量に対しても正常に運行することを目的に「新幹線雪害対策委員会」が設立され、その成果が実際の雪害対策に反映された。東北・上越新幹線では10年以上かけて沿線の気象調査や技術開発が行われ、沿線の状況に合わせた雪害対策が取られた[23]。東北新幹線沿線は上越新幹線に比べて降雪量は少ないものの、12月から3月の平均気温が0 ℃未満であることから、年最大積雪深が30 cm以上となる一ノ関 - 盛岡間に貯雪型高架橋が採用された[24]。貯雪式高架橋は、高架橋の軌道面をかさ上げすることで生じた空間に、新幹線車両のスノープラウによって排雪された線路上の雪をためることが可能な構造になっている[25]。貯雪型高架橋は盛岡 - 八戸間でも採用されている[24]。七戸十和田駅付近では予想される最大積雪深が貯雪能力を上回るため、貯雪量を拡大したポケット式貯雪型高架橋や高架橋内の降雪を減らすための雪覆いを設けた半雪覆式貯雪型高架橋が新幹線として初めて採用された[24]。, 積雪量が多いがバラスト軌道である北上駅付近および第2北上川橋梁付近の延長3.0 kmは、貯雪能力が不足するため、散水消雪設備が設けられている[26]。また、東京起点630.44 km以北(七戸十和田 - 新青森間)の明かり区間約13 kmにも散水消雪設備が設けられている[27]。この区間は寒冷・多雪地帯であるため、上越新幹線で実績のあるスプリンクラーによる散水消雪方式の採用が検討され、2000年から2002年にかけて長さ60 mのモデル高架橋を設置した七戸消雪試験場で試験を行った後、2008年度に青森市内に船岡消雪試験場として300 mの本線高架橋を建設し、散水消雪試験が行われた[28][29]。試験で得られた結果をもとに、七戸十和田 - 新青森間で散水消雪システムが導入された[30]。, 分岐器においては雪による転換不良を防止するため、電気温風式融雪装置を設置するとともに、列車からの落雪や持込雪の対策として温水ジェット式の急速除雪装置が設置されている[26]。, 東北新幹線沿線では太平洋沖での地震発生が多いことから、地震をいち早く感知して列車を停止させるため、沿線に約20 km間隔で設置された地震計を用いた沿線検知システムに加えて、海岸線に約80 km間隔で設置された地震計を用いた「海岸線検知システム」が導入された。1982年の開業当時は初期微動を引き起こすP波を用いた警報が実用段階ではなかったため、主要動を引き起こすS波の加速度の大きさを基準とした警報が導入された[31]。地震計が設置されている場所の加速度が設定値以上になると警報が発せられ、予め決められた警報範囲で変電所からのき電を停止し、列車の非常ブレーキが作動することで列車防護を行うものであった[32]。, 1975年から国鉄において、P波から地震の規模や位置を推定するアルゴリズム(早期検知アルゴリズム)の研究が行われ、世界初のP波警報システムである「ユレダス (Urgent Earthquake Detection and Alarm System)」の開発が進められた。ユレダスは1992年に東海道新幹線で導入が開始され、1998年には東北新幹線においても導入された。ユレダス導入によってP波およびS波の2種類の警報判定が可能になり、S波到達より早く新幹線の停止信号を送ることが可能になった[33]。, その後、最新の観測技術や高速ネットワークに対応し、早期探知アルゴリズムを改良した「早期地震防災システム」が開発された[34]。, 2004年に発生した新潟県中越地震による上越新幹線脱線事故をうけて、新幹線車両が地震などにより脱線した場合でも、車両がレールから大きく逸脱することを防止する「車両逸脱防止L型ガイド」を開発し、2008年度上期までにすべての新幹線車両に設置を完了した[35]。さらにレールの転倒や大幅な移動を防ぎ、L型車両ガイドが有効に機能するよう、スラブ軌道用[36]やバラスト軌道用[37]などの「レール転倒防止装置」を開発し、敷設工事が進められている。, JR東日本は早期地震検知体制のさらなる強化を図るため、防災科学技術研究所が整備を行っている「日本海溝海底地震津波観測網(S-net)」の地震観測データを新幹線早期地震検知システムに導入することを進めており、2017年11月より房総沖、2019年1月25日より茨城・福島沖から釧路・青森沖にかけての海底地震計情報が導入された。これにより、従来の検知体制と比較して最大で約20秒程度の検知時間の短縮が図られるとしている[報道 5]。, 1969年(昭和44年)5月30日に「新全国総合開発計画」が閣議決定された。この中で主要開発事業の構想として「東北新幹線鉄道の建設を早急に行なうとともに」[38]と、現在の東北新幹線に相当する新幹線鉄道の建設構想が盛り込まれた。, 1970年(昭和45年)に全国新幹線鉄道整備法(以下は全幹法と略記)が公布された。この法律により、逼迫する幹線の輸送力増強を目的とした東海道・山陽新幹線とは異なり、経済発展や地域の振興を目的とした新幹線の建設が行われるようになった。1971年(昭和46年)1月に全幹法第5条第1項の規定による「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」(昭和46年告示第17号)により東北新幹線(東京都 - 盛岡市)、上越新幹線(東京都 - 新潟市)、成田新幹線(東京都 - 成田市)の基本計画が公示された。この基本計画において東北新幹線(東京都 - 盛岡市)は東京都を起点に宇都宮市附近、仙台市附近を主要な経過地として盛岡市を終点とすることが示された[39]。同年4月1日に3路線の整備計画が決定された[40]。東北新幹線は最高設計速度260 km/h、建設主体は日本国有鉄道(国鉄)とされた[39]。, 全幹法の制定から盛岡以北の整備計画決定までの間、青森県内では、八戸市を経由する実際に建設された「東周りルート」と大館市、弘前市付近を経由する「西周りルート」をめぐって激しい誘致合戦が繰り広げられた。東周りルートでは、八戸市など南部地方の自治体が岩手県と連携して「東北新幹線太平洋周り誘致期成同盟会」を、西周りルートでは弘前市など津軽地方の自治体が秋田県と連携して「東北新幹線秋田・津軽ルート誘致促進期成会」をそれぞれ結成しそれぞれのルートの優位性を主張したため、政治的課題に発展した[41]。, 1972年(昭和47年)6月に、新たに4路線の基本計画が決定され[42]、7月3日に昭和47年告示第242号によって東北新幹線(東京都 - 青森市)に基本計画が改正された。この基本計画において東北新幹線は東京都を起点に宇都宮市附近、仙台市附近、盛岡市を主要な経過地として青森市を終点とすることが示された[39]。これにより、国鉄に対してルート調査の指示が出され、整備計画決定に向けてルート問題の解決が急がれた。最終的に青森県は「東北新幹線と日本海沿岸新幹線の2線について、本県内の実現を期するとともに、両線の同時完成を目標にその建設促進にあたる」とする旨の調停案を作成し、県内の意見統一が図られた[41]。, 翌年の1973年(昭和48年)11月には北海道新幹線(青森市 - 札幌市)、東北新幹線(盛岡市 - 青森市)、北陸新幹線(東京都 - 大阪市)、九州新幹線(福岡市 - 鹿児島市)、九州新幹線(福岡市 - 長崎市)の5路線(いわゆる整備新幹線)の整備計画が決定された。東北新幹線は最高設計速度260 km/h、主要な経過地として「八戸市附近」が示され、建設主体は日本国有鉄道とされた[39]。, 青森市内の駅については、青森駅併設、ヤード地区(現 青い森セントラルパーク)、石江地区(現 新青森駅)の3案が国鉄側から示され、青森駅併設を求める青森市との議論の末、最終的に石江地区への建設が決まった[41]。, 1971年(昭和46年)10月12日に東京 - 盛岡間の工事実施計画(その1)の認可申請が行われ、10月14日に認可、11月に東北新幹線の工事に着手した[43][44]。開業当初は最高速度210 km/h、12両編成の計画であるが、最高速度260 km/h、大きな手戻りなく16両編成に対応できる建設基準であった[45]。認可時点での計画は、東京駅については、東京駅在来第6、第7ホームを東北新幹線に転用し、2面4線の東海道新幹線ホームとあわせて4面8線の新幹線ホームとして、このうち5線を東北新幹線と東海道新幹線が直通可能な配線にする計画であった[46]。2019年時点においても東京駅構内の東北新幹線と東海道新幹線の線路は完全に分離されている。東京駅を出た後は秋葉原駅付近で地下に入り、御徒町から上野公園の下を通って日暮里駅構内で再び地上に出て、京浜東北線沿いに赤羽まで北上し、北区浮間を経て荒川を渡り[46]、荒川から大宮駅手前にかけては延長10.8 kmの南埼玉トンネルを建設する計画であった[47]。, 認可時点での完成目標は1976年(昭和51年)度であったが、オイルショック後の経済悪化や国鉄の経営悪化などにより、1977年(昭和52年)には完成目標が1980年(昭和55年)度に、1981年(昭和56年)には完成目標が1986年(昭和61年)度に繰り下げられた[48]。1978年(昭和53年)6月から1980年(昭和55年)6月にかけては「新幹線総合試験線」として、既に完成した鷲宮 - 石橋間約42.8 kmを使用した走行距離約68,000 kmにおよぶ試験走行が行われ、騒音・振動対策をはじめ約200項目の技術開発試験が行われた[49]。, また、東北新幹線の雪対策設備を実車走行により確認するため、「雪対策試験線」として1979年(昭和54年)冬季に仙台 - 北上間約115 km、1980年(昭和55年)冬季に仙台 - 盛岡間約170 kmにおいて、耐寒・耐雪対応車両として開発された200系および925形を使用して、走行距離約56,400 kmにおよぶ試験走行を行った[50]。同年12月には東北・上越両新幹線の開業を1982年(昭和57年)春とし、仮の始終着駅を大宮駅とすること、大宮 - 上野間の開業を1984年(昭和59年)度とし、東京 - 上野間についても引き続き完成に努力することが発表された[51]。, 1982年(昭和57年)6月23日に大宮駅 - 盛岡駅間が暫定開業した[52]。上野駅 - 大宮駅間には新幹線リレー号が運行された。, 東北・上越新幹線の建設が開始された1970年代前半は、名古屋新幹線訴訟をはじめ、先に開業していた東海道・山陽新幹線の騒音問題が社会問題化した時期にあたる。このような中で建設が開始された東北・上越新幹線の沿線では、東北地方を含めた各地で騒音を懸念しての反対運動が展開された。当初の工事実施計画では地下方式(南埼玉トンネル)での建設が予定されていた荒川北岸 - 大宮駅南側の区間は、軟弱な地質により地盤沈下が懸念されたため、高架方式に変更するとともに、通勤新線(現在の埼京線)を併設するなど計画の変更がなされた[53]。そのため、特に都市化の進展しつつあった東京都北区、埼玉県戸田市・浦和市・与野市での反対運動は、激化・長期化することとなった(特にトンネルで真下を通過することになった星美学園はそのシンボルとなった)。工事用地内への居座り・デモ行進・地元説明会打切りなどの妨害行為がなされ、開業時期の遅れや事業費の肥大化の大きな原因となった。詳細は「東北・上越新幹線反対運動」および「埼京線#当時の沿線住民の反対運動」を参照。, また、住宅密集地を極力避けるため、大宮以南のルートでは曲線半径600 mから2,000 mの急カーブが連続し、線形上の制約により最高速度は110 km/hとなった[54][55]。このような理由により、東京駅 - 大宮駅間は新幹線でも約25分(上野通過の列車は約23分)かかり、並行する在来線の所要時間と大差がない。この区間では最高速度引き上げに向けた工事が行われている。詳細は#今後の見通しを参照。, 1983年(昭和58年)8月には国鉄再建監理委員会の緊急提言により、安全対策上やむを得ない工事に限って施工するとした方針が示され、工事は停滞した[56]。, 1971年(昭和46年)10月の認可時点では、東北新幹線は東京駅在来第6、第7ホームを東北新幹線に転用し、秋葉原駅付近で地下に入り、御徒町から上野公園の下を通って日暮里駅構内で再び地上に出るルートが計画されており、上野に駅を設置する計画は存在しなかった[57]。しかし、東海道新幹線の利用客増加に伴う東京駅の容量不足により、第7ホームは東海道新幹線に転用された。これを補完するために上野駅を設置する工事実施計画の変更が行われ[57]、1977年(昭和52年)12月に東京 - 盛岡間工事計画変更 (その2)が認可された[56]。東北新幹線の上野駅は深さ約30 mの地下4階に設けられ、2面4線で折り返し可能な構造で設計された[58]。, 1983年(昭和58年)3月の役員会において、上野開業時に東北新幹線の運転速度を230 km/h程度とする申し合わせが行われた[59]。その後約1年間大宮 - 盛岡間で行われた約27.6万 kmにおよぶ240 km/h走行耐久試験の結果を踏まえて、1984年(昭和59年)11月に240 km/hの営業運転が決定された [59]。, 1985年(昭和60年)3月14日に上野駅 - 大宮駅間が開業し、最高速度240 km/h運転を開始した。これにより、大宮駅での新幹線リレー号への乗り換えが不要になり、上野駅 - 盛岡駅間の所要時間は最短で2時間45分に短縮された[60]。, 1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、東京 - 盛岡間の東北新幹線の鉄道施設の保有および東京 - 上野間の建設は新幹線鉄道保有機構に移管された[56]。東日本旅客鉄道(JR東日本)は新幹線鉄道保有機構にリース料を支払い、鉄道施設を借り受けて運営していた。また、東京 - 上野間の実際の工事は新幹線鉄道保有機構からの委託契約によりJR東日本により施工された[56]。, 都心部を通過するルートであり用地買収を極力抑えるため、上野 - 東京間のルートは複雑になっている。東京駅では、第6ホームを東北新幹線に転用し、将来的に東海道新幹線と直通運転可能な構造とした[61]。東京駅を出て、呉服橋から竜閑橋の間は都道407号線(江戸通り)の中央分離帯に橋脚を設置し、道路の上空半分に高架橋を建設、神田駅付近では在来線高架橋を取り壊したうえで新幹線高架橋を建設した[62]。この高架橋は新幹線高架橋の上に在来線高架橋を継ぎ足す重層化を考慮した設計がされており [63]、在来線部分は2015年3月に上野東京ラインとして開業している[64]。秋葉原駅付近からは25‰勾配で下り、地下の上野駅へ向かうが、この区間にある第1上野トンネルでは1990年(平成2年)1月にシールド工法区間(御徒町トンネル)の建設中に陥没事故が発生している[65]。, 1991年(平成3年)6月20日に東京駅 - 上野駅間が開業した[66]。東北・上越新幹線で東京駅へ向かう場合の在来線乗り換えが不要となったことにより、所要時間は東京駅 - 仙台駅間では22分短縮されて1時間44分、東京駅 - 盛岡駅間では20分短縮されて2時間36分、東京駅 - 青森駅間では21分短縮されて4時間54分となった[67]。同年10月に新幹線鉄道保有機構は解散し、東京 - 盛岡間の鉄道施設はJR東日本に有償で譲渡された。, 1988年(昭和63年)8月から奥羽本線 福島駅 - 山形駅間を狭軌(1,067 mm)から新幹線車両が直通可能な標準軌(1,435 mm)に改軌する工事が行われ、1992年(平成4年)7月1日に山形新幹線「つばさ」として東北新幹線との直通運転を開始した。山形新幹線開業に合わせて新幹線と在来線の双方の規格に対応した400系が導入された。, 東北・上越新幹線では、東海道・山陽新幹線と同様の「新幹線運行管理システム」(COMTRAC)などの運行管理システムをが用いられていたが、システムの陳腐化や北陸新幹線の開業など運行形態の複雑化を見据えて、新たなシステムとして「新幹線総合システム」(COSMOS)を1995年11月に導入した[68]。また、1995年から1997年10月1日の北陸新幹線開業時のダイヤ改正に至るまで、運行体系の見直しによるダイヤ改正が行われた。東北新幹線では開業以来、速達タイプ「やまびこ」と各駅停車タイプ「あおば」という列車愛称であった。しかし、「あおば」に比べて「やまびこ」の乗車率が高く、仙台や盛岡などの長距離利用客が指定席を取りづらくなっていることや、東京 - 宇都宮間などの近距離需要の増大に伴い、運行体系の見直しが行われた[新聞 2]。1995年12月のダイヤ改正では、運行区間を基本とした列車愛称に変更され、近距離需要向けに東京 - 那須塩原間に「なすの」を新設し、遠距離需要を主とする「やまびこ」の停車駅を削減した[69]。, 1992年(平成4年)3月から田沢湖線 盛岡駅 - 大曲駅間においても同様の改軌工事が、奥羽本線 大曲駅 - 秋田駅間においては狭軌と標準軌の単線並列化工事が行われ、1997年(平成9年)3月22日に秋田新幹線「こまち」として東北新幹線との直通運転を開始した[70]。新たな新在直通対応車両として、在来線区間で最高速度130 km/h、新幹線区間において最高速度275 km/hで走行可能なE3系が導入された。秋田新幹線開業に合わせて「こまち」と併結する「やまびこ」のうち最速タイプの3往復は、宇都宮 - 盛岡間で最高速度275 km/hで走行可能なE2系が導入された。これにより、所要時間は東京駅 - 盛岡駅間で2時間36分から15分短縮されて最速2時間21分、東京駅 - 秋田駅間で開業前の4時間37分から48分短縮されて3時間49分となった[71]。同年10月1日に北陸新幹線 高崎駅 - 長野駅間が開業した。北陸新幹線の乗り入れ開始に伴い、東京駅のJR東日本の新幹線ホームが1面2線から2面4線に増設された[72]。東北新幹線では列車名の見直しが行われ、東京 - 那須塩原間「なすの」、東京 - 仙台・盛岡間「やまびこ」に統一され、「あおば」は列車愛称としては廃止された[73]。, 国鉄の経営悪化などを背景に1982年(昭和57年)9月の臨時行政調査会の基本答申に沿って、東北新幹線(盛岡市 - 青森市)を含む整備新幹線計画を当面見合わせる閣議決定がなされた[3]。, 1985年(昭和60年)12月に、盛岡 - 新青森間の認可申請が行われた[74]。1986年(昭和61年)11月には、青森市の石江地区に、奥羽本線の駅として新青森駅が開業した。国鉄改革や行財政改革の進展、沿線地域の建設促進への強い要望などを背景に、1987年(昭和62年)1月に整備新幹線建設の凍結解除が閣議決定され、盛岡駅以北の東北新幹線の建設に道が開かれた[3]。しかし、建設費を削減するため、いわゆる「運輸省案」が考案され、東北区間については以下のような案が検討された 。時間短縮効果の高い沼宮内 - 八戸間に標準軌新線を建設し、盛岡 - 沼宮内間および八戸 - 青森間に狭軌に加え標準軌を導入する新幹線直通線化(ミニ新幹線化)をすることで上野 - 青森間で新幹線による直通運転を行い、所要時間を4時間51分から4時間2分に短縮するとした[75]。, 1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、1972年(昭和48年)の整備計画では国鉄が建設主体とされていた東北新幹線(盛岡市 - 青森市)は、日本国有鉄道改革法等施行法の附則により東日本旅客鉄道(JR東日本)が建設主体とされたが、同年9月に施行された「旅客鉄道株式会社が建設主体とされている新幹線鉄道の建設に関する事業の日本鉄道建設公団への引継ぎに関する法律」により東北新幹線(盛岡市 - 青森市)の建設は日本鉄道建設公団に引き継がれた。, 1988年(昭和63年)8月31日の「整備新幹線の取扱いについて」において整備新幹線着工優先順位が示され、1(i)として北陸新幹線高崎 - 軽井沢間の標準軌新線、なお軽井沢 - 長野間の取扱いは1998年冬季五輪の開催地決定を考慮して3年以内に結論を出す。1(ii)として高岡 - 金沢間の新幹線規格新線。2として東北新幹線。3として九州新幹線。4として糸魚川 - 魚津間の新幹線規格新線とされた[76]。, 1989年(平成元年)1月17日の政府与党申合わせにおいて、整備新幹線の建設主体などなどが示された。整備新幹線の事業費はJR、国、沿線の地方自治体の負担とすること[77]。建設主体は日本鉄道建設公団とし、建設した鉄道施設を公団がJRに有償で貸し付けること[77]。北陸新幹線 高崎 - 軽井沢間を平成元年度から本格的に着工すること、あわせて難工事推進事業として3トンネルについても平成元年度中に着手すること[78]などが示された。同年6月に難工事推進事業として、沼宮内(現 いわて沼宮内)- 八戸間の岩手トンネルの着工が認可された[79]。, 1992年(平成3年)に新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線)や新幹線鉄道規格新線(スーパー特急)による「暫定整備計画」を決定できるよう全幹法が改正された。昭和63年の「整備新幹線の取扱いについて」において優先順位2位であった東北新幹線は、1991年(平成3年)8月22日に盛岡 - 青森間193.4 kmの工事実施計画が認可され[74]、9月4日に三戸トンネルで起工式が行われた[80]。沼宮内 - 八戸間は標準軌新線(フル規格)、盛岡 - 沼宮内間および八戸 - 青森間は新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線方式)であり、1992年(平成4年)7月29日に盛岡市 - 岩手町間および八戸市 - 青森市間の暫定整備計画が決定された[74]。, 東北新幹線盛岡以北の工事は、フル規格とミニ新幹線が混在する形で着工されたが、1988年(昭和63年)の政府・与党申合せにおいては「従来の整備新幹線の整備計画はすべて維持されることを前提として、これをその第1歩と位置づける。また、今後、経済社会情勢の変化等を考慮して、5年後に見直すこととする。」との文言が盛り込まれていたため、全線フル規格整備を求める運動が続いた。1994年(平成6年)2月に細川内閣における連立与党申合せおよび三大臣(大蔵・運輸・自治)申合せとして見直し案が示され「新たな財源を見出すことを前提として、平成9年以降新しい基本スキームを検討し、その成案を得ることとする。」としていたが、同年6月に村山内閣が発足し、亀井運輸大臣が前述の申合せの撤回を表明した[80]。これを受けて9月に連立与党整備新幹線検討員会が発足し、議論が行われた結果、12月の連立与党および関係大臣申合せにより、盛岡 - 八戸間を標準軌新線(フル規格)に変更し、八戸 - 青森間の暫定整備計画(ミニ新幹線化)は取り下げることが決定された[7]。前述の合意を踏まえて、1995年(平成7年)4月に盛岡 - 沼宮内間の工事実施計画が認可され、盛岡 - 八戸間の全区間がフル規格で建設されることになった[81]。, 1996年(平成8年)1月に橋本内閣が発足すると、連立与党整備新幹線検討委員会が再開され、9月まで議論が行われた。この中では、スーパー特急案、フリーゲージトレイン案なども新たに提案されたが、最終的に、12月25日の「整備新幹線の取扱いについて 政府与党合意」において、東北新幹線の新規着工区間として八戸 - 新青森(石江)間の標準軌新線(フル規格)が示された[81]。平成8年の合意に基づいて、1998年(平成10年)1月に「政府・与党整備新幹線検討委員会における検討結果」が公表され、従来の整備新幹線計画が維持されていることを確認したうえで新規着工区間の優先順位が示され(1)東北新幹線 八戸 - 新青森間、九州新幹線(鹿児島ルート)船小屋 - 新八代間、(2)北陸新幹線 長野 - 上越間とされた[報道 6]。同年3月に八戸 - 新青森間の工事実施計画が追加認可され、新青森駅で起工式が行われた[82]。, 青森県では2003年アジア冬季競技大会の開催が決定されており、この大会までに盛岡 - 八戸間の開業を求めていた。2000年(平成12年)12月18日の「整備新幹線の取扱いについて」政府・与党申合せにおいて、東北新幹線 盛岡 - 八戸間については「平成14年末の完成を目指す」、八戸 - 新青森間については「今後概ね12年後の完成を目指す」とされた[82]。, 2002年(平成14年)12月1日に盛岡駅 - 八戸駅間が開業した[4]。また、新たな最速達列車として「はやて」の運行を開始した。これにより、所要時間は東京駅 - 八戸駅間では37分短縮されて2時間56分[83]、東京駅 - 青森駅間では28分短縮されて3時間59分(在来線乗り換え時間を含む)となった[84]。, 2003年(平成15年)10月1日に鉄道建設・運輸施設整備支援機構が設立され、日本鉄道建設公団は解散した。これにより東北新幹線 盛岡 - 新青森間の建設・貸付け業務は機構に引き継がれた。, 2004年(平成16年)12月16日の「整備新幹線の取扱いについて」政府・与党申合せにおいて、東北新幹線 八戸 - 新青森間については「平成22年度末の開業を目指す」とされた。これにより、開業時期は約2年前倒しされた[82]。, 2010年(平成22年)12月4日に八戸駅 - 新青森駅が開業し、東北新幹線は整備計画決定から39年の歳月を経て全線開通となった[5]。これにより、東京駅 - 新青森駅間の所要時間は36分短縮されて3時間23分となった[85]。, 2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、東北新幹線は大きな被害を受けた。地震発生時には仙台・盛岡支社管内で14本の列車(うち13本は営業列車)が運行していた。14時46分に管内の海底地震計が基準値を超える地震を感知し、仙台 - 古川間を約270 km/hで走行していた2本の列車は、運転中止基準値18.0カインを超過する12 - 15秒前にき電停止により自動的に非常ブレーキが作動し、緊急停車した。[86]。営業列車に脱線は生じなかったが、仙台駅構内を約72 km/hで走行していた試7932B列車(E2系)の4両目の前台車2軸が脱線した。脱線原因としては東北地方太平洋沖地震の地震動のうち高架橋の固有振動数に近い振動が共振現象により増幅され、その振動が車両に上心ロールを生じさせたことが原因とされている。ただし、早期地震検知システムにより脱線直前に減速されていたことや、車両の逸脱防止ガイドが機能したことで、車両が軌道から大きく逸脱することはなかった[87](主要技術も参照)。駅間やトンネル内で停車した列車では、飲食物の配布等が行われたが、当日中に全ての対応を行うことは困難な状況であった。その後、バスで乗客を避難所まで輸送し、翌12日中には全ての乗客の救済が完了した[88]。, 乗客の救済が完了した区間から新幹線線路設備の点検を開始し、16日に完了した。落橋やトンネルの崩落はなかったが、仙台駅ホームの天井が落下する[89]など5つの駅が損傷し、電化柱の損傷が約540箇所、架線の切断が約470箇所、高架橋の橋脚損傷が約100箇所、線路の損傷が約20箇所など、合計で約1,200箇所に被害が生じた[90]。新幹線総合車両センターが被災したことで検測車両(East i)が使用できないため、京浜急行電鉄の軌道検測車等を借用して軌道検測を実施した[91]。仙台駅構内で停止直前に脱線した試7932B列車の撤去作業は3月24日に行われた[92]。, 設備の損傷の少なかった東京駅 - 那須塩原駅間は3月15日に運転を再開した[90]。盛岡駅 - 新青森駅間は3月23日再開予定とされていたが、当初の見込みより1日早く3月22日に運転を再開した(22日は1日6.5往復、23日からは1日10往復)[93]。, 一ノ関駅 - 盛岡駅間は4月8日再開予定とされていたが、当初の見込みより1日早い4月7日に一部区間徐行運転により運転を再開した(上下各5本)[93]。しかし、同日夜に起きた東北地方太平洋沖地震の余震とみられる強い地震により新たに約550か所の被害が生じた[94]。, 4月12日に那須塩原駅 - 福島駅間で一部区間徐行運転により運転を再開した。また、同日再開した東北本線 福島駅 - 仙台駅間で臨時快速列車「新幹線リレー号」を上下計16本運転し(4月24日まで)、首都圏 - 仙台間の鉄道輸送が再開された[94]。4月25日に東京駅 - 仙台駅間で「はやて」「やまびこ」44往復運転により運転を再開した。また、東北本線 仙台駅 - 一ノ関駅で臨時快速列車6往復の運転を開始した[94][報道 7]。4月29日に東北新幹線は全線で運転を再開し、東京駅 - 仙台駅間で上下108本、東京駅 - 盛岡駅間で上下57本、東京駅 - 新青森駅間で上下29本を運行した。全線運転再開にあわせて「つなげよう、日本。」「がんばろう日本!