3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 6「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」 Sponsored Link 2020終末予言に現れる救世主まとめ!メシアとは一体どんな人物か? 前回の記事では、終末予言とその内容についてご紹介しました。 【令和】大和朝廷最後の元号になる!?複合災害は2 … 12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。, トップ|空知太栄光キリスト教会| 詩篇の世界 | 霊性の回復セミナー| ヘブル語コラム |ヘブル語のキーワード|ヘブル語デイリー・ブレッド|ヘブル・ミドゥラーシュ例会|ヨハネの黙示録を味わう | 再臨と終末預言 |主の例祭における預言的意味 |キリストの花嫁 |「光」についての神学的瞑想| 神の住まい(幕屋)|マタイの福音書1|マタイの福音書2|創世記1~3章の原語に基づく瞑想|主の受難24(改定)|The Hebrew Bible|A Hebrew-English Bible|The Greek Bible |Living Bible | Hebrew New Testament|Bible Hub|eBible Japan|原語で聖書検索|, Copyright © 2020 Hidenori Meigata All Rights Reserved. 再臨の正確な時期よりも自分の備えに関心を向けるべきなのはなぜでしょうか。 参照聖句. ③ 目は燃える炎、頭には多くの冠(権威者としての冠)  Copyright © myDate = new Date();myYear = myDate.getFullYear();document.write(myYear); Harvest Time Ministries, All Rights Reserved. 聖書箇所の引用には新改訳聖書を使用しています。その他の場合は明記いたします。 ⑤「神のことば」という名で呼ばれる方  キリストの地上再臨の有様. ⑥ 口には諸国の民を打つための鋭い剣を持つ方 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。, ハーベスト・タイムの働きは、サポーターの皆様のお祈りと、献金により維持されております。ぜひ、応援をよろしくお願いいたします。, 私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 「エン」(έν)は、本来、「~の中に、~に包まれて」という意味。 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。, Mat 10:15 まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。, Luk 12:47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。, Luk 12:48 「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。」(ヨハネの黙示録1:7), 「エピ」(έπί )は、本来、「~の上に座して」という意味。 11 恐れつつ【主】に仕えよ。おののきつつ喜べ。 8わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、 ①出13:2 「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、わ. 9あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」, 10 それゆえ、今、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め。 5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。 ④ 血染めの衣を着た方 2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、【主】と、主に油をそそがれた者とに逆らう。 キリストの地上再臨の前後にはいろいろなことが起こりますが、少しずつ、学んでいきたいと思います。今回取り上げることは、第一に、イェシュアはどのような姿で再臨されるのか、その有様について学びたいと思います。 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、, Rev 19:18 王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」, Rev 19:19 また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。, Rev 19:20 2020年5月11日. ②ここでは、天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる。 ③黙4:1では、ヨハネを招くために天が開かれた。 ④ここでは、キリストが地に下るために天が開いた。 (2)白い馬に乗った方 ... Rev 19:13 … 4 天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。 このようにして、すべてのユダヤ人がイエス・ キリストをメシアとして認める。 (ゼカリヤ12:9~10、13:6、教義と聖約45:51-53) ・エルサレムは荒廃がひどいために、7年間イスラエルは戦利品に頼って 生活する。 第13章:神権 . 未来を変える救世主現る! 第二のキリスト 日本に誕生. 7「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。 その名は「神のことば」と呼ばれた。, Rev 1:14 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。, Joh 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。, Rev 19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。, Mat 16:27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。, Mat 25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。, 2Th 1:7 第14章:神権組織 ... ,これまでに数万人の宣教師が世界各国で多くの言語によって福音を宣べ伝えています。再臨と福千年の前に,主はすべての国民に真理が行き渡る道を開いてくださるで … 予言書や各宗教では、世紀末に人々が行き詰った時に救世主が現れて人類を導くという言葉が数多く記されています。 文脈を重視する 3. あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?, これらのメッセージは、恵比寿と大阪で定期的に行っている集会で収録されています。どなたでもお気軽にお越し下さい。, Rev 19:11 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、 「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。, Mat 24:30 すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。, Rev 19:21 残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。, Mat 25:41 イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。. ② 義をもってさばきをし、戦いをされる方 『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。, Rev 19:15 この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。 ⑦ 鉄の杖をもって支配する方   ヨハネ14:2-3;マタイ26:64(イエスは場所を用意してから再臨される) マラキ3:2-3;4:1;教義と聖約64:23-24(地球は焼かれる) たしのために聖別せよ。それはわたしのものである」 ②出13:15(父から子への言葉) 「メタ」(μετά)は、本来、「~と共に、~を伴う」という意味。, ①「忠実また真実」と呼ばれる方  〒073-0175 北海道砂川市空知太西5条7丁目1-24,TEL(教会) 0125-53-3150 / (自宅) 0125-53-2089, powered by Quick Homepage Maker 5.2 based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. おこるのを見たならば,人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」(マルコ13:28-29), 主はまた,再臨が近いことを知らせる幾つかのしるしを与えてくださいました。イエスはしるしを明らかにされた後,次のように警告されました。, 「だから,目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか,あなたがたには,わからないからである。……, だから,あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」(マタイ24:42,44), 救い主の再臨が近いことをどのように知るかについてさらに詳しいことは,本書第43章を参照してください。, 救い主の再臨に備える最も良い方法は,福音の教えを受け入れ,福音に従って生活することです。イエスがこの世で教えられたように,日々最善を尽くして生活する必要があります。また,預言者の導きに耳を傾け,その勧告に従うことができます。聖霊の導きを受けるためにふさわしい生活をすることができます。そうすれば,救い主の再臨を恐れでなく,喜びをもって待ち望むようになります。主は次のように言われました。「小さい群れよ,恐れてはならない。わたしが来るまで,王国はあなたがたのものである。見よ,わたしはすぐに来る。まことにそのとおりである。アーメン。」(教義と聖約35:27), 再臨の正確な時期よりも自分の備えに関心を向けるべきなのはなぜでしょうか。, ヨハネ14:2-3;マタイ26:64(イエスは場所を用意してから再臨される), マラキ3:2-3;4:1;教義と聖約64:23-24(地球は焼かれる), 教義と聖約133:41-51(悪人は滅ぼされる), マタイ13:40-43(裁きの予告), 1コリント15:40-42;教義と聖約76章;88:17-35(栄光の王国), 教義と聖約43:29-30;29:11(主の再臨は福千年の始まりを告げる), 信仰箇条1:10(イエスの統治), アルマ11:43-44;40:23(復活の説明), 教義と聖約88:96-98(死者のよみがえり), ゼカリヤ14:9;黙示11:15;1ニーファイ22:24-26(イエスは王として統治される), このページをダウンロード(PDF). QHM, これまで三回にわたって「キリストの空中再臨と教会の携挙」について学びました。キリストの再臨は、「空中再臨」と「地上再臨」があるということです。空中再臨はなんの前ぶれもなく、キリストが天から花婿として花嫁なる教会を迎えるために来られます。そのとき教会は一挙に引き上げられ、花婿なるキリストと花嫁なる教会は空中で会い、婚姻をして、天の父の住まいでハネムーンを過ごします。その間、地上では七年間におよぶ反キリストの支配による患難時代があります。それはかつて誰も経験したことのないほどの恐ろしい苦難の時です。しかし主は、地上にいる神の民(イスラエルの民―ユダヤ人)を、反キリストの軍隊から救うためにこの地上に来られます。そのときがキリストの地上再臨です。そのときキリストは一人で来られるのではありません。ゼカリヤ書14章5節に預言されているように、「すべての聖徒たちも主とともに来る」のです。, 今回は、このキリストの地上再臨のことについて学びます。キリストの地上再臨については、空中再臨以上に、聖書の多くの箇所に記されていますが、その時はいったいどのような姿で再臨されるのか。またその目的とはいったい何なのか。そうしたことを、今回、共に学びたいと思います。地上再臨の前にはどんな前兆があるのか、どんな出来事が起こるのかということについては、次回で触れたいと思います。, 大雑把な形でキリストの地上再臨の前後の出来事を見てみたいと思います。それは以下の図をご覧ください。, 図をご覧いただくと分かるように、中央の位置にイェシュアの十字架の死と復活の出来事があります。そして復活されたイエスが天に帰られた後に、約束の御霊が降り注いで教会が誕生します。私たちはその時代の中に生きているわけです。「教会時代」は旧約時代の人々にとっては「奥義」でした。つまり、旧約の預言者たちには誰にも啓示されなかったのです。その「奥義」は使徒パウロによって明らかにされました。その「教会時代」もやがて終わりを迎える時が来ます。しかしそれはあまりにも突然で、教会は一瞬にして天に引き上げられます。それがキリストの空中再臨です。これまでも、そのことについて三回にわたって学んできました。なぜ、教会が携挙されるのかと言えば、教会が反キリストの支配による患難から守られるためです。この反キリストはイスラエルを騙して自らを真のメシアだと思わせます。最初は和平関係を樹立することで、イスラエルの民(ユダヤ人)は、エバがサタンに騙されたように簡単に騙されてしまいます。やがてこの反キリストはその本性を現わします。そのため、この時点で信仰を持つことはほぼ困難となります。七年間の患難時代では多くのことが起こります。その出来事はすでに「ヨハネの黙示録」によって明示されています。この患難時代に起こる多くの事は、日を改めて学びたいと思います。, キリストの地上再臨の前後にはいろいろなことが起こりますが、少しずつ、学んでいきたいと思います。今回取り上げることは、第一に、イェシュアはどのような姿で再臨されるのか、その有様について学びたいと思います。第二は、キリストの地上再臨の目的です。, イェシュアは、終わりの日に起こることとして、弟子たちに「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを, マタイ24章27節にも「人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。」とあるように、地上再臨されるキリストはだれの目にも明らかな形で、しかも見える姿で来られます。それゆえヨハネはその黙示録の中でその方を「, イェシュアは昇天されるとき、弟子たちが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられました。弟子たちが天を見つめていると、白い衣を着たふたり(御使い)が彼らのそばに立ってこう言いました。, ここでの「見たときと同じ有様」とは、雲に包まれたイエスの有様であり、その有様で「またおいでになる」ということです。地上再臨のキリストはだれの目にも見えるのですが、空中再臨による携挙の時には、一瞬のうちに携挙された者だけが、空中の雲の中で主を見ることになります(Ⅰテサロニケ4:17)。ただ、「雲に包まれている」姿は、空中再臨の時であろうと、地上再臨の時であろうと共通しているのです。, ヨハネの黙示録1章7節には、「見よ。彼が、雲に乗って来られる。」とあります。イエス・キリストが「雲に乗って来られる」という表現は、新約聖書では7箇所に使われています。マタイ24:30、26:64/マルコ13:26、14:62/ルカ21:27/黙示録1:7、14:14(ここだけは「御使いが雲に乗る」)。, 「雲に乗る」とはどういうことなのでしょうか。その前に、そこに使われている語彙に注目したいと思います。「雲」という名詞の前にある, 上に掲げた聖書箇所では、前置詞がみな異なっているにもかかわらず、新改訳、新共同訳、口語訳が、一様に「雲に乗って」と訳しています。キリストの再臨のイメージは、このようにみな「雲に乗って来られる」というイメージで一致して翻訳されているのは不思議です。「雲に乗って」というと、どうしても孫悟空のイメージです。しかし、「雲の上に座して」「雲の中に」「雲に包まれて」「雲と共に」「雲を伴って」というイメージは、「雲に乗って」というイメージよりは、神の栄光に包まれてというイメージになります。なぜ、一様に「雲に乗って」と訳しているのでしょうか。その理由の一つに、ここに登場する「雲」はみな, 黙示録19章11節~16節におけるキリストの地上再臨の光景では、キリストは血染めの衣を着て、白い馬に乗り、真っ白なきよい麻布を来た天にある軍勢がやはり白い馬に乗って付き従っています。ここには「雲」の記述はありません。このようなことを考えていくならば、「雲に乗って」とはだれもがそれと分かる、きわめて特別な栄光に満ちた神の臨在(御使いたちを伴って来るメシアの姿)の光景を意味しているのかも知れません。それは、ある者たちにとっては救いをもたらす希望の光景であり、ある者たちにとってはさばきをもたらす恐ろしい光景に映るはずです。, 黙示録19章14節の「天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。」に、再度、目を留めたいと思います。この節にある「, だれもこの方に太刀打ちできる者はいません。地上のエルサレムに集結する反キリストの軍勢は、この天の軍勢を率いる方によって完全に敗北させられるのです。これが最終戦争と呼ばれる「ハルマゲドンの戦い」です。この戦いに参加する「, キリストが地上に再臨されるときは、ご自身の花嫁をも連れて来られるのです。地上では、この後に「千年王国」が実現しますから、花嫁が天で、千年の間、花婿が帰ってくるのを待っているなどとは到底考えられません。また、主に仕える御使いたちも同様に、当然、つき従って来ると考えられます。, これまで、キリストが地上再臨されるときの有様、特に、「雲に乗って来られること」と「天の軍勢を従えて来られること」について学んできましたが、次は「キリストの地上再臨」についての第二のポイント、キリストの地上再臨の目的です。すでに、このことについてもこれまでの説明の中に含まれていたのですが、もう一度、明確にするならば、再臨の目的を二つに絞ってお話しします。一つは、キリストが神の敵を鉄の杖をもって滅ぼし、神の国、天の御国、御国、キングダムをこの地上に打ち建てることです。もう一つは、この地上において、イスラエルの民も民族的に加わっての「小羊の婚宴」、ならびに、過越の祝いである大晩餐会が催されるということです。まず、第一の目的からお話ししたいと思います。, このことのために、御子イエス(黙示録では「小羊」(単なる子羊ではなく、ギリシア語では「アルニオン」と呼ばれる勝利の小羊)が、サタンのひとり子、獣と言われる「反キリスト」の軍勢を打ち滅ぼすために天から「すべての聖徒たち」を従えて地上(エルサレムの東にあるオリーブ山)に来られるのです。, 反キリストとの戦いは、実は、詩篇2篇にすでに預言されています。神の歴史のマスタープランを知って読むと、大変良く理解できるのですが、それを知らずに読むと、まったくもってチンプンカンプンです。, 6節で「わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」とあります。「わたし」とは、神のことであり、「わたしの王」とは神の代理者としての王のことです。旧約時代にはダビデ、ソロモンなど多くの王が立てられましたが、その多くの王が神の代理者としてのあり方に失敗しました。そこで、神は特別に「わたしの子」を立てて(7節)、神の真の代理者としての王を立てられました。それが御子であり、神はやがて御子によってご自身が御父であることをあかしされます。詩篇2篇はそのことを預言しています。, それゆえ、この第2篇は「メシア詩篇」と呼ばれます。御父はこの御子に敵の審判をゆだねられます。御子は「鉄の杖(曲がることのない権威の杖)」で、敵を打ち砕き、全世界を統治されます。その日は、刻々と近づいています。勝利はすべて十字架と復活のみわざを通してなされましたが、この世において、それが目に見える形で実現するのはまだです。シオンに立てられたメシアが、勝利をもって諸国を治め、世界を支配するという枠組みは、キリストの再臨によってもたらされる千年王国において実現します。そしてその実現が確実に迫っているのです。それゆえ、神は、全世界のこの世の支配者たちに降伏を呼びかけ、御子に対する礼拝を呼びかけている。これが詩篇2篇後半なのです。, 「悟れ」(目を覚ませ)、「慎め」(教えを受けよ)、「恐れつつ主に仕え、おののきつつ喜べ」と呼びかけます。昔、中近東では、支配者に対する忠誠と従順を表わす行為として足に口づけしたようです。「御子に口づけせよ」とは、御子を礼拝するようにとの招きです。それは、主の怒りから免れるために、自らの道で自滅しないように、神の代理者である御子を礼拝することが呼びかけられているのです。, キリストの地上再臨の目的の第二は、神の真実を記念する主の食卓(晩餐会)が催されるということです。地上で小羊の婚宴が催されるとき、そこに患難時代を通過して救われた異邦人とイスラエルの民とが加わるのです。イエスがかつて最後の晩餐の席で語られたことば、「過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。・・あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」(ルカ22:18)とは、キリストの地上再臨によって、再び、主の食卓を囲むようになることを意味していたのです。, 御使いはヨハネに、「小羊の婚宴に招かれた者(複数)は幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは(.