「よく頑張った。感動した。おめでとう」 【貴乃花、鬼の形相で仁王立ち】17年前の優勝決定戦 【貴乃花、鬼の形相で仁王立ち】17年前の優勝決定戦. 今、大相撲で話題のひとりになっている貴乃花親方ですが、 Copyright © 2020 オラッ!どすこいスポーツ All Rights Reserved. お客様のブラウザはジャバスクリプト(JavaScript)に対応していないか無効になっています。詳しくはサイトポリシーをご覧ください。, コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった5月24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。千秋楽は大相撲史に残る、貴乃花の22回目の優勝です。, 横綱貴乃花が奇跡を起こした。前日14日目の大関武双山戦で初黒星を喫した際、右膝を亜脱臼。千秋楽に強行出場したが、結びで横綱武蔵丸にあっさり敗れ、13勝2敗で並んだ。優勝決定戦、貴乃花の気迫が武蔵丸を圧倒。執念の上手投げで22度目の優勝を飾った。, 顔はゆがみ、口から血の塊が飛んだ。まゆをギュッと引き絞った鬼の形相で勝ち名乗りを受けた。まるで別人のように、貴乃花は土俵の上で感情をあらわにした。「何か今でもちょっとボーッとしてます。(優勝の)実感が分からないです」。22回も優勝を飾った大横綱が、支度部屋に戻っても冷静さを失っていた。, 本割は、3度の仕切り直しの立ち合いで集中力を奪われ、わずか0秒9、武蔵丸の突き落としにバッタリ倒れた。「やはりダメか……」。絶望的ムードの東支度部屋に一門の花籠親方(元関脇太寿山)、若者頭が飛んでくる。優勝決定戦が可能か、確認のため。貴乃花は即答した。「大丈夫です」。, 異様な静けさだった。柝(き)が入り、武蔵丸が西の花道に出た後も、貴乃花は支度部屋に5分近くとどまった。乱れた集中力を修正し、気の高まりを待った。本割で全く合わなかった立ち合いで、武蔵丸は見入られたように貴乃花の呼吸で立った。貴乃花がすかさず左上手を奪い、右を差す得意な形。武蔵丸が、右のかいなを返し上手を切りにきた瞬間を逃がさない。相手の力も利用した上手投げが、219キロの巨体を土俵にたたきつけた。, 表彰式での優勝インタビュー。ケガの痛みを聞かれ「特にないですよ」と答えると、大きな拍手と歓声が沸いた。内閣総理大臣杯を手渡した小泉純一郎首相は、表彰状を読んだ後、突然「痛みに耐えて、よく頑張った! 感動した!」と絶叫で貴乃花をたたえた。大相撲史に残る感動の優勝だった。, (C)2020,Nikkan Sports News. nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。, nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。すべての. 右ひざ半月板損傷をし一敗を喫します。, 千秋楽も、その怪我のため武蔵丸に負け、 「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」、これは当時の首相・小泉純一郎が5月場所で優勝した貴乃花に放った言葉。現在でも語り継がれている名台詞であり、筆者も強く印象に残っている。, ただ、首相からこのフレーズを出させた張本人・貴乃花は、優勝決定戦となった武蔵丸との取組の最後に、“鬼の形相”を見せつけて、そのフレーズ以上の衝撃を与えている。まさに奇跡と呼ぶ相応しいこの一番は、大相撲ファンなら必ず知っておきたいところだ。, 平成の大横綱と謳われた貴乃花も2000年に差し掛かる頃には、その年に一度も優勝することなく、その勢いが下火に向かっていた。その最たる原因は、左肩骨折、左手上腕二頭筋断裂といった相次ぐ怪我だ。横綱として約6年間、猛者を相手に土俵へ立ち続けた貴乃花の身体は既に限界に達しようとしていた。, しかし、2001年初場所で実に2年ぶりとなる優勝を飾った貴乃花は、翌春場所でも12勝3敗と好成績を収めた。いうなれば、貴乃花が怪我を乗り越え以前の強さを取り戻しつつある、2001年5月場所とは皆にそういう期待を持たせた場所だったといえよう。, 場所が始まると、その期待に応えるかのように貴乃花は初日から連勝を重ねまくる。おそらくこの時点だとほとんどの人が前回に引き続き今場所もイケるぞ!と思い、さもすれば強い貴乃花が戻ってきた、再び我々を楽しませてくれると期待していたと予想出来る。, その後も貴乃花の勢いは止まらず気づいたら13連勝しており、いまだ無敗という状態だった。最大のライバルと目された横綱・武蔵丸もこの日までに11勝2敗としていたので、貴乃花の優勝は目前かと思われていた。, しかし、悲劇は14日目に起こる。勝てば優勝が決まるこの日の相手は、大関・武双山。決して楽な相手ではないが、今場所の貴乃花の調子を考えればまず負けることは考えられない。, ところが、立ち合いから貴乃花が突っ込むも武双山も負けじとこらえ、最後は武双山が巻き落としで、貴乃花はまさかの敗北を喫してしまう。だが、それ以上に深刻だったのが、最後土俵に倒れた際に貴乃花は右膝を痛めてしまい、歩くこともままならない状態となってしまったことだ。, 優勝まであと一歩だった貴乃花は、一変して窮地に立たされることになり、怪我の状態は想像以上に酷く、翌日の千秋楽はまず間違いなく貴乃花の休場と思われた。, 千秋楽は休場必至と目された貴乃花であったが、武蔵丸が14日目に勝ったことが怪我以上にこたえたのか翌日、貴乃花は強行出場に踏み切った。仮に千秋楽で貴乃花が休場ともなれば、必然的に武蔵丸が優勝となるからだ。, 決死の覚悟で千秋楽に出場した貴乃花であったが、本割では武蔵丸のはたき一発で貴乃花は軽くのされてしまう。その様子は、見ている側にも痛々しく感じられるほどだ。, その後、優勝決定戦となり再度貴乃花対武蔵丸が組まれるになる。周囲の心配をよそに貴乃花は、「大丈夫です。」と即答。武蔵丸が花道から出てきて、遅れること5分。右膝の痛みを必死にこらえて貴乃花もまた、土俵へと向かった。, 両雄土俵へ立つも既に勝ち負けが見えている一番にみえたが、よもやの事態が起こる。貴乃花が立ち合いからまるで別人のように息を吹き替えしたのだ。貴乃花は、武蔵丸に強烈な平手を見舞った後にすぐさま左の上手をもぎ取る。そのまま右四つになるも貴乃花がすぐさま右手を引き寄せるようにして、最後は武蔵丸を上手投げで土俵に叩き付けていた。そして、叩き付けた際には、貴乃花の顔が見るものを圧巻させる“鬼の形相”と化していた。, この奇跡ともいえる勝利に観衆は狂喜乱舞し日本中が感動の渦に巻き込まれた。そして、これが貴乃花最後の優勝にもなった。平成の大横綱・貴乃花を支えていたもの、それは類稀なる強靭な意志だったといえる。, ・「大相撲名力士風雲録 4―月刊DVDマガジン 貴乃花 (ベースボール・マガジン社分冊百科シリーズ)」. そして、叩き付けた際には、貴乃花の顔が見るものを圧巻させる“鬼の形相”と化していた。 この奇跡ともいえる勝利に観衆は狂喜乱舞し日本中が感動の渦に巻き込まれた。そして、これが貴乃花最後の優勝 … 五剣山博之(ごけんざん ひろゆき、1973年7月12日 - )は、香川県高松市出身で貴乃花部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士。本名は五藤 博之(ごとう ひろゆき)。得意手は右四つ、寄り。身長194cm、体重195kg。最高位は東十両6枚目(2003年3月場所)。, 中学卒業後に藤島部屋に入門し、1989年3月場所初土俵。1991年5月場所には17歳の若さで幕下に昇進、194cmの長身で豪快な右四つ相撲で早くから期待されていた。幕下上位でやや苦労したが1994年11月場所には、西幕下23枚目で幕下優勝を果たした。その勢いで1995年1月場所も勝ち越し、1995年3月場所には十両に昇進した。, しかし、相次ぐ腰や膝の怪我に悩まされ幕下に低迷。一時は三段目まで陥落したが、徐々に番付を戻し2002年11月場所には実に4年振りに十両に返り咲き、2003年3月場所は自己最高位の東十両6枚目まで番付を上げ、優勝を争うまで体調が回復したが、再び腰を痛め2004年1月場所を最後に幕下に陥落した。, それ以降は体調が依然として思わしくない状態が続き、十両復帰を目指して懸命の土俵を続けつつ、同時に貴乃花部屋の古参として苦闘が続く貴乃花部屋を支えていた。しかし2006年11月場所13日目の11月24日に引退を表明、これにより貴乃花部屋の関取経験力士が0になった。また、香川県出身の力士も一時不在となった。, 二子山部屋は若貴兄弟、貴ノ浪、安芸乃島、貴闘力といった数多くの名力士を生み出してきた反面、200kgを超える豊ノ海が三役に上がれず、190kgを超える五剣山が十両止まりで終わるなど、パワー相撲をとる巨漢力士が大成しないといった一面があった。, 引退後、2007年12月に香川県のビルメンテナンス業、西日本ビル管理が立ち上げた相撲部(県内初の実業団相撲部)のコーチに就任したが同相撲部は大会への出場はなく、西日本ビル管理も2009年1月に民事再生法を申請した。その後も地域のイベントなどに出演し、相撲の普及に努めている。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=五剣山博之&oldid=74593616, 現在の貴乃花部屋へ改称する前の二子山部屋時代に、最後に関取昇進を果たした力士である。, テレビの大相撲放送で花道の奥に控える貴乃花と一緒に映ることもしばしばあり、熊を思わせる力士らしい容姿であることも手伝ってか、名前だけでなく顔も広く知られていた。, 現役時代は同部屋の中渕と1、2を争うほどの強面力士として知られた。中渕は2004年に死去。, 五藤を名乗っていた幕下時代、他の部屋の下位力士に容貌がよく似た者がおり、彼が五藤と間違えられ困惑した逸話が相撲雑誌に掲載されたことがある。. まゆをギュッと引き絞った鬼の形相で勝ち名乗りを受けた。 ... 貴乃花がすかさず左上手を奪い、右を差す得意な形。 ... [11月10日 8:40] 平成の大横綱と謳われた貴乃花も2000年に差し掛かる頃には、その年に一度も優勝することなく、その勢いが下火に向かっていた。その最たる原因は、左肩骨折、左手上腕二頭筋断裂といった相次ぐ怪我だ。横綱として約6年間、猛者を相手に土俵へ立ち続けた貴乃花の身体は既に限界に達しようとしていた。 しかし、2001年初場所で実に2年ぶりとなる優勝を飾った貴乃花は、翌春場所でも12勝3敗と好成績を収めた。いうなれば、 … ですが、貴乃花は大怪我を負ったにも関わらず、この場所、なんと奇跡的な優勝を果たします。 この貴乃花の優勝は、伝説として今や語り草なのは周知の通り。 記事:貴乃花対武蔵丸~“鬼の形相”貴乃花最後の賜杯~(2001年5月場所) 13勝2敗となり、同じく武蔵丸との優勝決定戦に臨みました。, 表彰式で、就任間もない小泉純一郎首相から、 五剣山博之(ごけんざん ひろゆき、1973年 7月12日 - )は、香川県 高松市出身で貴乃花部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲 力士。 本名は五藤 博之(ごとう ひろゆき)。得意手は右四つ、寄り。身長194cm、体重195kg。最高位は東十両6枚目(2003年3月場所)。