- ジョンの娘(Christine)は環境ジャーナリスト(Simon)と結婚する。Simonは工場の汚水問題にも敏感で、ある日クリスティーンと他の友人2人と一緒に工場の排水溝に蓋をしに行くことにする。 大事な彼女さんですし、傷つけないようにしてあげてほしいな。 参考になれば幸いです。 失敗すれば警察に呼ばれ学校や家に通報され、あげく彼女との交際も危ぶまれます。 3.「ふたきれのみかげせきざいに」 彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。  >通報や確認はホテルの方針にもよるかもしれません。 うすあかくいっさう陰惨な雲から 李徴は秀才だったけど天才ではなかった。 記述の問題を解く時は、必ず、「主語と述語」「原因と目的」を意識して、解答を作ること。, (1)ショギョウ (2)ザンギャク (3)シュクゼン (4)ヒキョウ (5)シュウチシン, 本文、第6段落「これは恐ろしいことだ。」とあるが、どのような点で「恐ろしい」と言っているのか。30字以内で説明せよ。, 本文、第6段落「古い宮殿の礎」とは、この場合、何をたとえたものか。本文中から、5字以内で抜き出せ。, 本文、第6段落「俺の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、そのほうが俺はしあわせになれるだろう。」とあるが、なぜ「しあわせ」になれるのか。25字以内で説明せよ。, 本文、第6段落「だのに、俺の中の人間は、そのことを、この上なく恐ろしく感じているのだ。」とあるが、その理由を簡潔に説明せよ。, 本文、第15段落「我が臆病な自尊心と尊大な羞恥心とのせいである。」とあるが、「自尊心」という言葉を用いて、それが当時の李徴にどのような行動として現れたかを100字以内で説明せよ。, 本文、第15段落「この胸を焼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。」とは、どのようなものか。60字以内で説明せよ。, 李徴が人間の時に創った詩は、袁傪曰く、「欠けるところがある」となっている。だが、虎になり果てたのちに即興で創った李徴の詩は、人々にこの詩人の薄幸を嘆じさせた。, 李徴が人間であった時の詩と、虎になってからの詩の違いを、袁傪が指摘した「欠けているところ」を明らかにして、説明せよ。, 記述力は実行することでしか養われていきません。「できる」のではなく、「やり続けた」ことによって、「できる」ようになっていく。, なので、一度だけで完璧な解答を書こうとせず、何度も書き直したり、考えたりする時間をかけてください。, ヒント省略。 漢字を覚えるには、日常的に使う言葉に、熟語を使うようにしてしまうこと。そうすると、自然に覚えるし、忘れません。, 問題文の前に、 「どうして虎になってしまったのか」と「おれはどうして以前人間だったのか」と書いてある。, 前半は、もともと人間だった存在が、虎に変化。 後半は、虎が、人間だったという認識でなければ出ない言葉。, 逆に考えるならば、人間の心が残っていると、幸せになることはない。つまり、不幸である、と言うこと。, 何故、不幸なのか。 それは、何故虎になってしまったのか。 元に戻れる可能性はあるのか。 ずっと、このままなのかと、考え続けているから。, 人間の心が残っていると、不幸である。 けれど、その不幸がなくなり、幸福になる、ということは、同時に何を失ってしまうのかを、考える。, この2つの行動が、具体的に何を指し示すのかを必ず解答に入れ込む。そして、「~という行動」で解答を終わらせる必要があるので、この2つを解答文の最後に配置すること。, そして、その行動に繋がる心理的理由を「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を言い換えて、書く。 「臆病な自尊心」=何かを極度に恐れている。(何を恐れているか) 「尊大な羞恥心」=偉そうな態度をとるのは、何故なのか。 偉そうに振舞う人は、大事に扱われたいという願望を持っています。つまり、今の自分に対する周囲の扱いに、不満を抱いている、ということ。 本文中「碌々として瓦に伍することもできなかった」がヒント。, 珠=才能、天才のこと。 何に対する、才能か。李徴はこれがないことをとても恐れていた。, 猛獣が何なのか。 全ての人間が持っているものであり、「猛獣使い」は「猛獣を意のままに操れる人」ということになるので、全ての人々がもっているものを、制御できる、という意味を書きこむこと。, 本文、第15段落「この胸を焼く悲しみ」とは、どのようなものか。60字以内で説明せよ。, 「どのようなものか」と聞かれているので、「~~~~という悲しみ」が解答のテンプレート。, つまり、自分の過去の行動、態度を反省して、改善したいと願っているのに、何かが問題で、自分の欠点に気がついても、意味がないと考えている。, 人間であった時の李徴は、詩を作ることの目的は、何であったのか。 虎になり果てた李徴の詩を作る目的は、問9の問題部分の続きに書いてある。 その違いを対比で書けばよい。, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。, 松村瞳/文章塾「文LABO」主宰。著書に「古典の裏」笠間書院。 テスト問題に対応できるだけでなく、本当の意味での「国語力」を古典や物語の読解能力を通して子どもたちの文章能力に反映。本の感想を話してくれる生徒の笑顔が何よりも大好き。 月間20万PVブログ「文LABO(https//bunlabo.com/)」を運営中。, This site is protected by wp-copyrightpro.com, 中島敦「山月記」の解説その3 今回は、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の解説となります。プライドが高いと、臆病になっていくのは何故か。恥を感じる気持ちが強いと、偉そうな態度をとってしまうのは何故なのか。人の心の真理を解説します。, 中島敦「山月記」解説その4 全体のまとめです。何かを自慢し威張る人の心は真逆であり、人から褒められたいという欲求が膨らみ続けると、人を破壊してしまうものだという小説の主題に迫ります。, 高校現代文で最も人気の高い作品の一つ。「山月記」その主人公李徴の人となりに迫っていきます。なぜ、彼は嫌な人間だったのか。それには深い理由がありました。解説と合わせて、受験で小説を読み解くにおいて、押さえておくべきポイントを解説します。, 中島敦「山月記」の解説その2 なぜ李徴の詩が人間の時に人の心を動かさず、虎になってからの詩が人の涙を誘ったのか。その二つの違いは一体何なのか。創作において、一番大事なものを、この部分は語っています。, 論語解説  「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」. また この話の中においてさりげなく実現されている発狂したあげく人間から虎へ変身すると言う現代のみならず恐らくこの話が書かれた当時であってもあまりに荒唐無稽すぎて到底何かの比喩としてしか捉えられない表現は、実はこの文章を読んだ読者に人間が変身し別の生物になりうるという奇跡が現実に起こりうるというできごとを現実として潜在意識に認識させ、そのような奇跡的で劇的な変質が読者の人生に起こりうるように読者の潜在意識を改良しようとするもくろみがあったのではないでしょうか?  1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。  >通報や確認はホテルの方針にもよるかもしれません。 しかしこの差をはっきり認識しているのは当のサリエリだけで(モーツァルトは最初からサリエリなど眼中にないので気にも止めていない!)、周囲は気がつきません。 - ある所に中年の化学者(無職)と二人の子供が住んでいる。妻が死んだ後すっかり落ち込んでしまったJohn(主人公)は仕事もやめ子供二人とただ貧しい暮らしをおくっていた。 これを言葉で説明するのはやはり難しいです。 わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ 不可能だと潜在意識が信じていると例え実際には可能であってもできなくなり、一見不可能であっても可能だと潜在意識が信じると実際に可能になったりする原理からして、この山月記の中に記された描写を読んだ後読者の中で生活に不満を持つものはいくばくかこの李徴のようにー例え肉体までは変質しなくともー生活に変化が生じ自分が本当に望んでいた生活を送るような変化が起きるようになる可能性があるように感じます。この文章には発狂という本来理性持つ人間にとっては死と同義の意味合いを持つできごとが実は本質的な、理性が自分にとって正気であると判断できる程度の状態のままでは達成できない程の大きな変容の開始になりうるという深い洞察が込められているようにも感じられます。この文章を読んだ後精神状態が不安定になったり生活に不安が出てきたりという人生での失敗の結果起きる不幸に見舞われた人間はこの話を思い出しいくばくか自分もその虎のようになるのかも知れないという漠然とした不安にとらわれる可能性があります。と、ここで願望の実現と起きて 仲良くてよいですね☆ ということで、一応、どちらの読みも可能だと思います。  あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。  ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか? (Ora Orade Shitori egumo) あんまりどこもまっしろなのだ よろしくお願いします。, 辞書によれば、 みぞれはびちょびちょふってくる   山月記の中で虎に変化した李徴は自分の事を卑下し自分は尊大な羞恥心などの良くない心根によって自分の外形が内心にふさわしいものに変えてしまったと嘆きましたが実際の所彼が詩人として名を成した結果したかった生活というものは正に彼が虎に変化した結果としてするようになった生活なのだと思います。 死ぬといふいまごろになって  あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか?  死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。   徒歩で行く場合はお巡りさんに会うことは考えられる。 頑張ってください☆ 宿題に山月記の読書感想文があります。文字数は1201字以上です。誰か助けてください!, 1600字くらいあります。 雪と水とのまっしろな二相系をたもち 父親が汚染問題に加担していると感じていたクリスティーンは、ジョンと話すことを拒絶し、ジョンはクリスティーンを見舞うこともできない。一方町では工場の安全性についての公聴会が開かれ、会社側はジョンに嘘(工場からの排水には危険性はない)をつくよう要請するが、クリスティーンのことなどですっかりまいっていたジョンは、自分の知っていることをあらいざらいぶちまけてしまう。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0194229998/250-4184941-8984247     くるしまなあよにうまれてくる) 結果的にジョンは工場をくびになり、もとの貧しい生活に戻る。クリスティーンは汚水に落ちた日から半年後に全く問題のない美しい赤ん坊を産む。, 日本語で書かれた要約を探す場合はアマゾンのカスタマー・レビューを参照したり、グーグルで検索してみたりするとよいですよ。 天才と秀才の差は袁サンのような凡人には僅かな差にしか見えない(だから袁サンは「何処か(非常に微妙な点において)欠けるところがある」としか表現できなかった)、しかし李徴当人はこの差は絶望的なものに見えます。 - ジョンに塗料を作る会社での仕事が舞い込む。ジョンはそこで塗料の安全性を検査する仕事に従事し、安定した収入を得、素敵な女性と出会う。しかし一方でジョンは自分の勤める工場が、製造の段階ででる汚水を地域の河川に垂れ流し汚染していることに気づいていた。  半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか?  死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ, 宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。 上下がある話ではなく、社会に貢献するやり方の違い、だという認識です。, 国立大の話をすると、各県に教育学部と医学部が必ずあります。学校の先生とお医者さんは、各県に必ずいる大切な職業で、しかも高等な教育が必要だから、地元に養成機関を作ったんですね。また、ほとんどの県で、工学部か農学部、希に水産学部があります。これも地元の産業を担う人材を育てたい、ということですね。 でも確実に存在するのですよ。 漢文を勉強するときは、漢字を勉強するようなものです。 古い映画ですが名作ですし未見でしたら一度ご覧あれ。 まず、何かあったときの事を考えて答えを出した方が良いと思います。 わたくしもまっすぐにすすんでいくから http://www.voiceblog.jp/kotoba/3120.html この話の中において一貫して李徴が虎に変化したできごとは不幸として扱われていますが私はそうは思いません 彼は生活のため地方の小役人に就職して屈辱を感じつつ生活を送っているとある日山に消え虎に変身し、この結果彼は何か後悔している様子で虎の姿で旧友の前に現れたわけですが実際の所虎になって何より強い存在として獣や人を無意識に食らいつつ生きる暮らしは彼がかつて望んだ詩人としての気ままな暮らしと本質として類似したものだと思えます。それどころか実際には彼は詩人になりたかったわけですらなく本当は何より強い存在として獣や人を食らいつつ生きるような放埓な生き方がしたいという本音が詩人になりたいという歪められた形で心に浮かんでいただけで実際には虎になって常人では一生叶えられない望みを完全に達成したのではないでしょうか。 あああのとざされた病室の   凡人に比べれば才に恵まれている→尊大で傍若無人に振舞う 4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」  みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。」広辞苑 もう答えは出ていますが、、、 言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。